大切な命が奪われる事は、残念で悔しい。胸が苦しくなってくる。
誰でも家を出る時や、最後に誰かと会話した時は、まさかそれが最後になるとは思わずにいつもの通りに過ごしている。
平和な日常が永遠に続く気がするのは、被害者だけでなく、加害者にとっても同じだ。
自分もいつ加害者、被害者になってもおかしくはない。でも、まさか自分がと思っている。
高齢者は特に気をつけなければいけないのに、池袋の事故の加害者の老人は、足がうまく動かないのに運転したのは、考えが甘く、運転をなめていたと思う。
自分が大丈夫だからと思うのではなく、誰かに迷惑をかけてはいけないからという発想は無かったのか。自分が怪我をする事より、誰かを怪我させるとは想像できなかったのかと思う。
おまけに逮捕はされていない。報道の仕方も違う。
警察に電話をせず、息子に電話をしたらしいが、頼れる息子がいるのなら、その息子はもっと早くに運転をやめさせるべきだった。
事故が起きてからでは遅い。親の名誉を守ることより、先にやるべきことがあっただろう。
私は、家族も自分も外出する時には、「無事に帰ってきますように」と祈ってしまう。無事帰宅するとホッとする。
自分が出かける時、もし何かあったら、この家にはもう帰れないかもと思ってみる。
すると、帰ってから整理しようと思って大事な物を出しっぱなしにはできない。さっと片付けてから出かける様になった。
心配しすぎてもきりがないが、最近のショックな交通事故を知ると、今自分が生きているのが奇跡に感じて来てしまう。
亡くなった人たち、怪我をした人たちは、何の落ち度もないのだ。
いくら「気を付けてね」と言っても、ちゃんと気を付けていたのに、車にはねられた。何て理不尽な事か。

運転をしていると、ひやっとする事も多い。
運が良かっただけと思ったり、落ち込んだり、運転するのが怖くなる時もある。
運転が上手いとか好きというのと、事故を起こさないという事は全く別だ。いつでも初心者のつもりでいたい。
我が家の近くに事故が頻発する場所がある。
整備の行き届かない田舎の道路だからか。PTAなどでお役所に事故防止の整備を訴えても、何も変わらない。
事故が起こる度、ああまたかと悲しくなる。そこを通る事もトラウマになる。
最近では、保育園に向かう親子の自転車が、車にはねられた。
たまたま家にいたのだが、バーンという音がしたあと、子どもの鳴き声が聞こえた。