父親がワンマンで、母は言いなり。おかしな事も、子どもがどんなに困る事でも。
自分の考え、文句を一切言うなと言われて育った。母に。
今思えば子どもの人権なんて無かった。
弟は男だから自転車を買ってもらえる。私は女だから必要ないと言われた。
いつの時代の話か。当時から我が家だけ戦時中に生きている様だった。
経済的な理由なのかと思っていたが、弟はすぐに物を無くす性格で、自転車もすぐに盗難にあったり、壊したりして、何台か買い直してもらっていた。だからお金の問題では無い事はわかった。弟は怒られている事もなく、叱られるのはいつも私だった。
自転車がないと不便だった。
友達は当たり前に乗っている時代に、女だからいらないとか意味がわからなかった。
学校に通学するにもバスで乗り換えて遠回りした。
友達と自転車で遊びに行こうと誘われても断るしかなかった。
周りから自転車に乗れない事を馬鹿にされてきた。
初めて自転車に乗ったのは、家を出て大学に入った後だ。
大人になってから練習したので、今でも下手だ。
自分が親になった時、子どもにはそんな事は絶対しない、ありえないと思った。
せめて母が父を説得すればよいのに、我が身可愛さで、とばっちりが自分にこないように知らん顔だった。
父親の虐待を母親が止めない、見て見ぬふりをする事が問題になるが、わかる気がする。
もし、私が父親に虐待を受けていたら、母は自分を守る事が最優先で、子どもを犠牲にしただろう。
父と直接話せば簡単に許可してくれた事も、母は「私にとばっちりがくるから絶対お父さんと話すな」と父と子の会話を遮断していた。
父は単純で気が小さい。話せばわかる人だったかもしれない。
父は母に良く怒っていた。でもそれは正しいことだった。
母は、マナーが悪くて下品なところがあったから、私も嫌でたまらなかった。友達にも「あなたのお母さん言葉が汚いし、変ね。」とよく馬鹿にされていた。
だから父が母に注意する事は嬉しかった。
だが、母は黙ってきいているふりで、そのストレスを子どもに向けていた。
「お父さんはおかしい、怖い。だからあなたたちも口を聞いてはいけない。」と洗脳していた。

もしかしたら、自転車も直接ほしいと言えば買ってくれたのではないかと思う。すべて母が止めていたのだ。
高校3年になると、父の方から、「好きな進路に行っていいんだよ」と声をかけてきた。
父は、私を自由にしてくれた。
母の話と父の考えは違っていた。
母は自分の思い通りに娘を利用するしか頭になかった。近くにおいて、自分のストレス発散に使うつもりが、計算が狂った。
不満そうな母。私は父に救われたと今も思っている。(差別された環境で育ったことは確かだが。)
もしかすると差別していたのは母の方だったのかもしれない。
今でも母は、「男の子が一番。長男さえいればいい」みたいな事を言うし、「娘は自分の都合良く使う為に産んだ」と口にする。
介護状態になったら娘にさせ、弟には遠慮するだろう。弟自身もそのつもりだろう。
実際私がやった事でも、世間には「息子がやってくれたのよ」と自慢し、「娘は何もしなかった事にしよう」と言っていた。もちろん私は抗議し、いつも母に怒っている。
男尊女卑の扱いを私にしながら、弟夫婦に対しては、女尊男卑だ。弟嫁がどんなに非常識でも、冷たくても何も言わず、弟と一緒にご機嫌うかがいをしている。
弟夫婦に多額のお小遣いをわたし、ペコペコする母。
弟嫁は、母の前で弟を罵倒し、私の方が上よと、なめんなよと強い態度で好きな事をしている。
父が救急車で運ばれても、遊びに行って帰らない。
我が子が入院しても、母に付き添いをさせ、自分は世話をしない。頭をさげたくないからと母に会わない。そんなお嫁さん。親を大事にしてくれるはずがない。それをわかっていても、ご機嫌をとり続けている両親。
私と弟では、両親の気の使い方が違い過ぎるのだ。
こんなとんちんかんな親だから、私も弟も親も配偶者に馬鹿にされるのだ。と私は勝手に思っている。母にも話した。母は、何も言えず黙っていた。