子どもの虐待件数の増加に伴い、東京都では親への新しい条例を作る案がでているそうだ。
海外ではすでに虐待に対する条例があり、日本は対策が遅れていると言われている。
驚いたことに、
「子どもには体罰を受ける権利がある」「体罰とは、進歩を目的とした有形力の行使」「体罰は教育」「教育上の進歩を実現するにおいて必要不可欠なもの」
と体罰を推奨する「体罰の会」という団体があるようだ。
(そう言えば夫も似た様な事を言っていた。)
命の危険があり、子を守る為にやむを得ない場合以外では、体罰は必要ではないと思う。
体罰は、身体の痛みと同時に心も痛む。心に残った傷は一生残る。
私は体罰は受けてはいなかったが、体罰が当たり前の様な環境にいた。友人が親や教師に殴られ、怒鳴られているのを見させられる事も、体罰を受けている事と同じく心が痛んだ。

ただ恐怖でしかない。恐怖で子どもを支配する事が教育とは思えない。
学校では、体罰禁止になっているはずだったが、私の時代は守られてはいなかった。
暴力や暴言で支配する教師のクラスは、恐怖心から表面ではまとまって見えて、他のクラスより成績も良く、その教師は自分に能力があると誤解し調子に乗っていた。
体罰も暴言も無い教師のクラスは、子どもが明るくのびのびしているのに評価されないというおかしな風潮があった。
今では暴力教師は、父兄からの苦情やSNSなどで問題になるという時代背景もあり、ほとんど存在しないと思うが、当時の私の地方ではそんな古臭い考えの大人が多かったと思う。
生徒だった自分は、体罰を指導の道具として使う教師は、サイコパスにしか見えなかった。
愛情など感じず、子どもの為では無く、自分の為の指導、そんな教師を尊敬どころか、癇癪持ちの病気の人としか思えなかった。内心軽蔑していた。
成人してもその場面を夢に見る事が多かった。体罰を受けていない私でも、どれだけ心に深く残るのかと自分でも驚いた。
学校現場でもこうなのだから、親からの体罰はどれだけ深く悲しく心に残ることだろうか。
続く