順番が前後して申し訳ないが、初めての出産の時の記憶を辿っていたら、妊娠中からトラブルがあった事を思い出した。


嫌な思い出は忘れた方がいいと思うが、もうかなり前の事だし、今だからこそ話せるようになった。

私の中でもう終わった事になっているからだと思う。書き出して、自分の人生を整理していくのも良いかもしれない。


自分が初めて妊娠がわかった時、なかなかできないかもと思っていたので、驚いて感動していた。

夫に伝えた時、最初は喜んでいたが、翌日になると「まだ遊びたいだろう。困ったね」と言う。

耳を疑った。私は怒った。すると夫は慌てて「冗談、冗談」と誤魔化した。


悪阻もひどく、私は仕事はできないどころか家事もろくにできなくなった。

夫は酔っ払って帰宅する毎日で、具合悪い私を見ても、妊婦の立場を想像する力は無さそうだった。

体重が落ち、食事もあまり食べられない日々が続いた。

ある日、絞られるような腹痛がした後に、少し不正出血があった。その後、急に気分が良くなり、悪阻が消えた。

気分が良くなったから大丈夫。元気になって食欲がでてきた!」と勘違いし、溜まった家事をやろうとした。

が、よく考えると、「悪阻は妊娠しているからなるわけで、それが急に無くなるというのは妊娠の状態が止まったという事ではないか」と気が付いたのだ。

すぐに産婦人科に行くと、切迫流産で絶対安静と言われ、入院を勧められた。

ショックを受けたまま家に帰り、落ち込んだ気持ちで1人で入院準備をし、翌日の朝、重いカバンを下げて入院した。

流産しかけているのに、一人で荷物抱えてきたので、看護師さんが「付き添いの方はおられないのですか?」と驚いていた。


前日の夜、夫に入院する事を話したが、意外にあっさりとしていた。

私が留守中の生活費として、夫の給与振り込み用の預金通帳を夫に渡した。
「ここから入院費用も払うのだから無駄使いしないでね」と一言くぎをさしておいた。


入院してから3日たっても、誰も私に会いにに来なかった。
といっても、夫しかいなかったのだが、洗濯物や持ってきてほしい物などがあったので困っていた。

自分の実家には電話をして、「大丈夫だから遠くからわざわざ来なくてもいいよ」と言って置いた。

母に来てもらっても、夫の世話をさせるだけだし、1週間で退院できる見込みだったので遠くから来させる必要はないと思った。

誰も知り合いのいない土地に引っ越してきたばかりだった。唯一来るべき夫が来ないのは、流石に病院側も驚いていた。

やっと退院前に夫が来た。「何で今まで来なかったのか、してほしい事があったのに」と言うと「毎日飲みに誘われて、帰宅が深夜だったから無理だったんだよ。」と言う。

退院前日の夜、姑から私に電話がきた。

その内容はこうだ。

「流産しそうになるなんて、どうしたの?あなたは子どもを産めない体質だったの?あなたのお母さんはどんな体質なの?弱い体質の遺伝じゃないでしょうね。
あの子(夫)が心配していたわよ。入院費がかかって困るって。それとね、こうなった事をあの子のせいにしてほしくないの。だからあなたの実家には入院した事は黙っておくのよ。いいわね。息子にも連絡するなと言っといたから。」

同じ女性で母親である人の言葉とは思えなかった。


しかも悪いのは流産しやすい遺伝体質の私と母だと作り話をしてしまう。

「もう実家には連絡したから親は知っています」と言うと
「そんな事したら息子の立場が悪くなるでしょう!」と怒られた。


入院してから悪阻が戻り、流産の心配が無くなり退院した。

帰宅し、夫に預けた通帳を返してもらった。

なんと、たった1週間の夫1人の食費しか減らないはずなのに、残高は0になっていた。
余分に貯金していた分も全て使われていた。帰宅後からの生活費は無くなっていた。

ストレスだらけのスタートだった。