不安の為、電車に乗る時は動悸が激しくなっていた。
昼間は幼い子どもと二人で、もし私が突然気を失ったらこの子はどうなるんだろうとか考えて居ると益々外出できなくなり、孤立感が強くなった。
ある日、昼間に腹痛がきた。一瞬不安がよぎったが、出産後、初めて訪れた生理だった。
キリキリとした痛みは、あの時の傷みと似ていたが、子宮が収縮した時の痛みだと思った。
そこで、腹痛は子宮が原因ではないかと気がついた。今思えば、なぜ最初にそれに気が付かなかったのか不思議だ。
産婦人科に行ってみた。すると内診した医師がすぐに言った。
「これは、産後の処置が悪かったようですね。産後排出されないといけなかった物が残ったままになっていたのでしょう。子宮内で感染し、その痕がケロイド状になっていますよ。」
それで、生理が復活しようとして、子宮が収縮した時に、その部分が傷みを発したという事の様だった。
あまりの傷みで、迷走神経反射をおこしたという事か。
そう言えば、産後の処置は確かにひどかった。
当時、転勤で実家は病院の少ない地方に引っ越していた。産婦人科も少なく、その為にいつも患者や妊婦さんにあふれ、一人しかいない医師は過労気味。
私の出産の時は、医師も婦長も不在で、新人看護師しかおらず、ぎりぎりまで冷え切った分娩室に放置されるという状態だった。
初めての出産は、ドタバタして酷いものだった。病院を選べないというのは何かあった時に困るものだ。
産後一か月検診で、「子宮に残留物があるから出します」と言われ、いきなり麻酔なしで処置された。出産より痛かったし、感染予防の薬もその後の生活上の注意も無く、そのまま帰された。
おそらくそれで、知らない間に傷口が感染し、自然治癒した後子宮壁がケロイドになったのだろう。
熱がでたり、痛みがでない程度だったから気がつかなかった。
本来なら、病院は、処置した時についた傷が化膿しない様に抗生物質など感染予防をし、しばらく安静にと注意をするべきだったのではないか。
付き添った母も、昔の人で自宅で産んでいる為、そういった知識はなく、実家では私を安静にさせる気は全くなかった。
私は産後は全く眠れず、休めずだった。
何の為に実家で出産したのか意味がないのではと、思うほどだった。
母は、私の身体よりも、世間体を優先。「どんなに体調が悪かろうが、産後の肥立ちが悪いなんて、みっともないから、40日経ったら、絶対に帰ってもらうからね。」
といつも言っていた。だから、フラフラしながら赤ん坊を抱いて帰宅した記憶がある。
今思えば、若い頃の私は強く自分の意志を言えない、抵抗できない人間だったのだ。今思えば、あの頃の自分が情けないし、可哀想になってくる。
診察した産婦人科の医師は「これはどうしようもない事で、昔は血の道といって、多くの女性が苦しんできた症状なんです。もし、また痛みがきたら我慢しないですぐに薬を飲みなさい。そしたら大丈夫だから。」と私の不安感を取り除く事を優先してくれた。
優しく安心させてくれ、痛み止めの薬をだしてくれ、それだけで、私はだいぶ救われた。
そして「完治させる方法はありますよ。出産する事です。また子どもを産む事により、子宮の壁は新しく生まれ変わりますからね。」
と言われた。これらの話が全て真実かどうかは確かではない。でもその時はそう言われた事で精神的に楽になり、救われたのだ。
夫に不信感があり、もう子どもなんていらないと思っていたので、二人目は無理だなと思っていたのだが、それから3年後に二人目を出産し、本当にこの症状は完全に無くなった。
2度目の時は、幸いに実家は都市部に転勤しており、出産する病院も慎重に選ぶ事ができた。
出産は病気ではないと言う人もいる。
とんでもない。一歩間違うと一生重い体調不良を抱えたり、感染して命を落としたり、大出血を起こしたり、子どもの命も母親の命も危険になる事だって、ありえるのだ。
昔の女性は、嫁という立場で何も言えず、産後の肥立ちが悪い事を恥と思われ、一生我慢を強いられてきた。
私は、自分が嫌だった事は、絶対に子どもにはしないと決めてきた。
自分が誰かのお産の世話をする時は、母親になった人の一番の味方になろうと思った。
昼間は幼い子どもと二人で、もし私が突然気を失ったらこの子はどうなるんだろうとか考えて居ると益々外出できなくなり、孤立感が強くなった。
ある日、昼間に腹痛がきた。一瞬不安がよぎったが、出産後、初めて訪れた生理だった。
キリキリとした痛みは、あの時の傷みと似ていたが、子宮が収縮した時の痛みだと思った。
そこで、腹痛は子宮が原因ではないかと気がついた。今思えば、なぜ最初にそれに気が付かなかったのか不思議だ。
産婦人科に行ってみた。すると内診した医師がすぐに言った。
「これは、産後の処置が悪かったようですね。産後排出されないといけなかった物が残ったままになっていたのでしょう。子宮内で感染し、その痕がケロイド状になっていますよ。」
それで、生理が復活しようとして、子宮が収縮した時に、その部分が傷みを発したという事の様だった。
あまりの傷みで、迷走神経反射をおこしたという事か。
そう言えば、産後の処置は確かにひどかった。
当時、転勤で実家は病院の少ない地方に引っ越していた。産婦人科も少なく、その為にいつも患者や妊婦さんにあふれ、一人しかいない医師は過労気味。
私の出産の時は、医師も婦長も不在で、新人看護師しかおらず、ぎりぎりまで冷え切った分娩室に放置されるという状態だった。
初めての出産は、ドタバタして酷いものだった。病院を選べないというのは何かあった時に困るものだ。
産後一か月検診で、「子宮に残留物があるから出します」と言われ、いきなり麻酔なしで処置された。出産より痛かったし、感染予防の薬もその後の生活上の注意も無く、そのまま帰された。
おそらくそれで、知らない間に傷口が感染し、自然治癒した後子宮壁がケロイドになったのだろう。
熱がでたり、痛みがでない程度だったから気がつかなかった。
本来なら、病院は、処置した時についた傷が化膿しない様に抗生物質など感染予防をし、しばらく安静にと注意をするべきだったのではないか。
付き添った母も、昔の人で自宅で産んでいる為、そういった知識はなく、実家では私を安静にさせる気は全くなかった。
私は産後は全く眠れず、休めずだった。
何の為に実家で出産したのか意味がないのではと、思うほどだった。
母は、私の身体よりも、世間体を優先。「どんなに体調が悪かろうが、産後の肥立ちが悪いなんて、みっともないから、40日経ったら、絶対に帰ってもらうからね。」
といつも言っていた。だから、フラフラしながら赤ん坊を抱いて帰宅した記憶がある。
今思えば、若い頃の私は強く自分の意志を言えない、抵抗できない人間だったのだ。今思えば、あの頃の自分が情けないし、可哀想になってくる。
診察した産婦人科の医師は「これはどうしようもない事で、昔は血の道といって、多くの女性が苦しんできた症状なんです。もし、また痛みがきたら我慢しないですぐに薬を飲みなさい。そしたら大丈夫だから。」と私の不安感を取り除く事を優先してくれた。
優しく安心させてくれ、痛み止めの薬をだしてくれ、それだけで、私はだいぶ救われた。
そして「完治させる方法はありますよ。出産する事です。また子どもを産む事により、子宮の壁は新しく生まれ変わりますからね。」
と言われた。これらの話が全て真実かどうかは確かではない。でもその時はそう言われた事で精神的に楽になり、救われたのだ。
夫に不信感があり、もう子どもなんていらないと思っていたので、二人目は無理だなと思っていたのだが、それから3年後に二人目を出産し、本当にこの症状は完全に無くなった。
2度目の時は、幸いに実家は都市部に転勤しており、出産する病院も慎重に選ぶ事ができた。
出産は病気ではないと言う人もいる。
とんでもない。一歩間違うと一生重い体調不良を抱えたり、感染して命を落としたり、大出血を起こしたり、子どもの命も母親の命も危険になる事だって、ありえるのだ。
昔の女性は、嫁という立場で何も言えず、産後の肥立ちが悪い事を恥と思われ、一生我慢を強いられてきた。
私は、自分が嫌だった事は、絶対に子どもにはしないと決めてきた。
自分が誰かのお産の世話をする時は、母親になった人の一番の味方になろうと思った。