叔母の病気
私が知っているのは、その人の長い人生のほんの一部でしかない。
人それぞれに色んなドラマがある。
幕の引き方も人それぞれ。誰にも予想できない。だからこそ、日々生きられる。
「生きているのは当たり前」「将来は」「老後は」
自分に未来が来ると信じ、夢を描き、不安に取りつかれたりしながらも、明日がくることが当たり前に思っていた若い頃もあった。
そんな私の若い頃に縁のあった叔母の話をしたい。
東京の叔母=トキ子さんは、2年前に人生の幕を降ろした。
私が東京で独身生活を過ごしていた時期、電車で1時間ほど乗って、トキ子さん宅に何回か遊びに行っていた。
トキ子さんは美人で、綺麗好き、仕事ができて、男勝り、冗談が好きでよく人を笑わせていた。
お酒も大好きで、宴会では盛り上げ役。
当時トキ子さんは、仕事関係で知り合い結婚したご主人と小学生の男の子、義両親と暮らしていた。
そんなある日、近くまで用事で行った際、立ち寄って見ようと思った。もう半年以上会ってなかったし、突然行って驚かせようと思った。
玄関のドアを開けたら、きっと笑顔で大きな声で「ひや~!びっくりしたわ。いらっしゃい!」と言って歓迎してくれるものと思った。
いつもそうだったから。
その時は違った。
ドアを開けたら、昼間なのにパジャマを着ていて、髪はくしゃくしゃで、目に力が無いトキ子さんが立っていた。
そして「誰?」と言ってぼーっとした様子だった。
名前を言うと「あ、そうね。あなただったのね。ああ、あのね、私病気なの…」とかすれた弱々しい声で叔母が言った。
トキ子さんは鬱病になっていた。私は知らなかった。親族は皆知っていたのだが、母が私には教えていなかった。
私が同じ東京にいて付き合いがあるのに、隠したところでどうなるんだと腹がたった。私に対しての世間体らしかった。自分の妹が精神科に通う事を知られたくなかったという。???
(母のそういうつまらないおかしな見栄は、娘に対してまで?その後も色々あった。)
叔母の様子に驚いた私は、そのまま帰ろうと思ったが、トキさんは家に招き入れてくれた。
その日は、きつかっただろうが、無理してテーブルに座り、話をしてくれた。
決して軽い病状ではなく、自死願望が強く出ている状態だと聞いた。時々親族が泊まりがけで来て、夜は紐で手をつないで横に寝て、トキ子さんを見守っているとの事だった。
いつの間にそこまで悪化していたのか、全く何も知らなかった私は、鬱病というものの怖さも初めて知った。
快活で、明るくサパサパした叔母からは、一番縁のない病気に感じたが、むしろそういった性格の人の方が、鬱病になりやすいと聞いた。真偽はわからない。誰でも性格は関係なくという事だろう。
何も知らない私に、鬱病と診断されるまでの自分の変化を詳しく話してくれた。
ぽつりぽつりとゆっくり。
「自分の言いたい事をこの家では言えないの。良かった、私の味方になってくれる人が来てくれて。」
みたいな事も言っていた。
お姑さん、お舅さんとも同居だったので、家事は助かっていたが、同居も病気の原因かもしれないとトキ子さんが呟いた。
この伯母は、それから長い年月、良くなったり悪化したりを繰り返し、やがて認知症になって、施設に預けられた。
息子が結婚後、同居して介護をしていたのだが、長い年月の介護は大変だっただろう。
特にお嫁さんは義両親を看取るまで頑張って、立派だった。義両親の介護をする為の結婚みたいだったと言ってもおかしくない。
当然、息子夫婦には何回も離婚危機があったそうだ。
その都度、トキ子さんの息子は「親のせいで僕には幸せは来ないのか」と嘆いていたという。
子どもの時に母親が病気になって以来、我慢する事も多かったと思う。蓄積されたストレスはかなりのものだっただろう。
介護中、「もう限界です。母をそちらに送りますからそっちで看てください。兄弟姉妹で世話するべきです。母はもういりません。」
ととんでもない事を親族に言ってきた事もある。そこまで言いたくなるほどのストレスだったのだろう。
勿論、親族はそんな事は受け入れられる余裕も体力もなく、しかし、息子の気持ちは受け止めてあげ、相談にのり、結果施設に預ける事で落ちついた。
鬱だけでなく、認知症もあった為、伯母は動きも鈍く、食べては寝るだけの別人の様になっていた。
亡くなってから聞いた事だが、トキさんの預けられた施設は、自宅から遠い県外で、(そこしか空きが無かったのだろうと思うのだが、)まるで家族に見捨てられた様な寂しい最後だったという。
預けられてから、一度も家族の誰もトキさんの顔を見に行く人はいなかった。
伯母が亡くなった翌年、息子が突然亡くなったとの連絡があった。
原因は聞いていない。母も教えてもらっていないと言う。
病気というものは家族の人生までも影響を与えてしまうので怖い。健康な時はわからないものだ。
「息子のお嫁さんは、しっかりしているから大丈夫」と聞いて、少し安心した。どんな苦労の連続だったろうか。義両親、旦那さんを看取り、今は大きくなった子ども達と静かに過ごしている。
話は戻るが、この伯母が鬱病を発症したきっかけは、トキ子さん本人から聞いている。
「結婚した事を強く後悔していたこと」だと、トキ子さんは自分で分析していた。