地震が手術中に突然襲ったり、出産中だったら。恐い恐い。
過去、現実にそういう事は起こった訳だし、逃げたくても逃げられないという状況はどんなにか恐怖だろう。
そして患者さんをお世話する医療従事者の方々も自分の事、家族は後回しで必死で責任を全うされようと努力される姿に頭が下がる。
医療に近い介護の世界でも似たような一面がある。
介護施設や老人施設が建物ごと被害にあって多くの方が亡くなられたケースもあった。
自分は、以前介護の仕事に従事していた時、仕事をしながらいつも考えて居たのは、「今ここで大地震が起きたらどうするか」という事だった。
会社から、緊急連絡網や、利用者の急変についてのマニュアルはあったものの、災害にあった時の対処については何もなかった。たまたまその会社がそうだったのだと思う。
☆建物が倒壊しそうな危機感を感じたら、自分はどうしたらよいのだろうといつも不安だった。
何が不安かというと、自分の身体で、寝たきりのお年寄りを抱えて、階段を下り、安全な場所まで逃げる事ができるだろうかという事だ。
たまにふらついたりする様な、老化の進んだ自分の身体。
かといって、自分だけさっさと逃げる事ができるのだろうか。
「何かあればこの人が助けてくれる」と信じている利用者さん達。
☆研修の時に、質問してみた。
責任者から「自分の命が優先です。気にしないで自分だけ逃げてください。無理に利用者さんを連れ出そうとすると、もたもたしているうちに逃げ遅れて誰も助からなくなります。」
という答えがあった。
確かにそうだろう。自分もそう思うから悩んでいる。
実際、そんな事ができるだろうか。「助けて!」と叫ぶ利用者さんを見捨てて逃げる勇気があるだろうかと不安は消えなかった。
東北の震災時だったか、現実にそういう事例(利用者と一緒に亡くなった)はあった。マスコミは、「責任感の強さから身を捨ててまで職責を全うしたという美談」にしていた。が、そう簡単な話ではないだろう。
亡くなった職員さんにもお子さんがいて、避難所でお母さんを待っていたはずだ。亡くなった職員さんは、内心家族の事が心配で、一刻も家族の元へ行きたかったと思う。
当時、そんな辛いニュースを見ていて、自分もあんな風になってしまうかもしれないと思った。
そんな時、子どもが強い口調で私に言ってきた。
「お母さん、絶対自分だけ逃げてね!お年寄りには悪いけど、二人共亡くなったら意味ないじゃん。後から遺族の方から文句言われてもいいから、逃げて。仕事のせいで死んでほしくないよ!」と訴えてきた。
その言葉を聞いてから心が落ち着き、覚悟を決めて仕事をする事が出来た気がする。
(これは、その時の仕事の場での話であり、職場それぞれで、違ったもっと良いマニュアルがあると思う。全てがそうだと言う訳ではありません)
今は介護の仕事から離れたが、保育士や学校の先生も同じ、人の命を預かる仕事というのは必ず限界があって、仕方のない事だったとしても、1人でも命が失われると一生自分を責めてしまいそうな気がする。
東北の津波から必死で子どもを抱えて逃げた保育士さん、目の前で流されていく人を助けられずに見ているだけだったという話もあった。
災害のせいで人間の味わう地獄を思うと、改めて自然の残酷さ、怖さを感じる。