手紙には、お見合い結婚だったと書いてあった。

やはり相手に対する条件は(懲りずに?)しっかりだしたそうだ。

「あれから、なかなかぴったり合う人が見つからなかったの。主人は長男という事以外、条件にぴったりの人だったのよ。だけど長男でも、実家は遠いし、弟が跡を継ぐから老後帰る必要もないと言われて決めたの。」

ふむふむ。素晴らしいじゃないか。信念を変えず、自分の将来の為にしっかり結婚を考えて居る。

ちゃんと見つかるものなんだなあ。


あれから何年たったかなあ。焦らず探したんだな。


「結婚式は高級ホテルで、ウエディングドレスは桂由美、パールのネックレスは田崎真珠でと思っていたんだけど、現実は、近所の神社で式をあげ、披露宴はレンタルのドレスで地味にやったわ(笑)」と書いてあるのを見て、ほほえましかった。


地味で堅実な人を選んだのかな、今度は大丈夫だよねとO恵の幸せを祈った。


その頃の私はというと、自己愛強い夫に強い違和感を感じ始め、結婚した事に後悔し始めていた。

子どもが生まれて、知らない土地で孤独感で心ががんじがらめになっていた。

しっかり納得のいく結婚を焦らず決めたO恵に対して、自分の現状なんて話せるわけはなく、惨めな気持ちと孤独感で益々落ち込んだ私。

良く考えず、何となく流されて結婚したからこうなるんだと自分を責めていた。


若さゆえ?のいい加減さが原因なのだから、自業自得だった。

何て思われようと、失敗しようと、しっかり自分の人生を大事に考え、じっくりと選んだ相手との結婚をしたO恵を、尊敬した。

O恵は自分を大事にしているのだ。自分が納得いける生き方、自分が確実に幸せになれる様に良く考えていた。自分を素直にだして、自分らしい結婚を選んだのだ。

私は、自分を大事にしていないのかもしれない。どこか人の犠牲?(と勝手に思う)になる、人に尽くすのが美しい生き方みたいに間違った結婚観を持っていたのかもしれない。

後から後悔する位なら、我儘だと言われようが、「私はこうでないと嫌なんだ」と言い張る位の勢いでちゃんと考えるべきだった。

☆自分を大事にしていないから、自分が一番大事という自己愛の強い人を引き寄せてしまうのか。

自分なりに分析していくと、自分の育った環境にも原因があるのかもしれない。