りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

2023年10月


前の休日、近所で火事があった。
急に焦げ臭いにおいが家の中に入って来た。
何かおかしいぞと思い、外を見ると、
少し先の家から真っ黒い煙がもくもくと上がっている。

自分は今その方向から帰宅したばかり。
という事は、今燃え上がったばかりなのかと思っていた矢先、
消防車のサイレンと人の叫ぶ声、救急車のサイレンなどが
響きだして、騒然となってきた。

SNSにはすぐ近くにいた人の火事の動画や写真の投稿が出ていた。
火の勢いが強く、動画を見ても恐怖を感じた。

ニュースからの情報では、全焼で高齢の男性が火傷を負ったらしい。

すぐに父を思い浮かべた。
自炊をしている様だからガス火を使っている。
IH調理器は使っていない。
次に帰った時に、勧めてみなきゃ。

実家が火事を出したら、両隣に間違いなく延焼すると思う。
父が話を聞いてくれるだろうか。
弟にも話してみよう。
自分も気を付けないといけない。

災害時、長い停電の時にガスが使えたので助かった。
どっちみちオール電化に換える費用も無いし。

冬にガスコンロの火は暖かい。
寒い朝、お弁当を作る時、火が暖かくて助かった。
高齢者には、電気の方が安心だ。
換えるにしても、誰かがやってあげないと。
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火事は何もかも失うし、近所に迷惑をかけてしまう。
あの臭いと煙を見たら、もっと近いお宅は、どれだけ大変だったかと思った。
臭いや煙も家を覆っただろうし、
自分の家にも燃え移るかもという恐怖が襲った事だろう。

以前から、外出するたびに、火を消したかな、
鍵をかけたかな、と不安になっていた。
家のある方向でサイレンが聞こえると、
我が家ではないかと心配してしまう。

なので、家を出る前は、台所の火のチェック、よし!
鍵を閉めた、よし!と自分で意識してから出る。
ばたばたしていたり、何かに気を取られた状態で
無造作に戸締りして出ると、後から気になって仕方が無い。

場を去る時も、必ず振り返ってチェックしてからと決めている。
夫があまりにもだらしなく、置き忘れが多すぎて、
一緒の時は私が振り返って確認する癖がついていた。

夫は、物も人も自分から欲しがり、自分から捨てる。
いくらでも変わりは見つかると思っていたのだろう。
でも、そうじゃなかったと今頃になって焦っているかも。
自分が捨てた物も人も、二度と戻ってこない事をわかっているのだろうか。


帰宅した弟からお礼のラインが来た。
奥さん亡き後、家庭の味をすっかり忘れていて、
久し振りに食べた手作り料理に感動したとの事だった。
私の前では何も言っていなかったけど、照れくさかったのだろうか。
(いい歳になっても昔のまま。)

私は当たり前にいつもの通りに
子ども達に作るのと同じメニューを作ろうと
台所に立っていた。
包丁のトントンと言う音、
鍋から上がる湯気、
フライパンでジゃーッと炒める音と匂い、
どれも、家庭の幸せな音。
弟は、奥さんの料理を作る姿と重なり、
懐かしく思い出したことだろう。

弟は夫婦で家事を分担してやっていたが、
いつも傍にいた人を失って初めて
当たり前の日常がいかに幸せだったかを感じている事だろう。

子ども達が来た時も、弟が来た時も
私は特別な事はせずに、いつもの通りにする。
お金も無いし、したくてもできないのだけど(笑)
ここに来て、ホッとしてもらいたい。
ストレス、疲れを少しでも忘れて帰ってほしいと思う。

それが長期になり、私を当たり前に家政婦扱いする人にはやらない。
大事な人で、たまにだからできること。

子ども達や弟を見ていると、
こういう時の反応で人格がわかるなと自分で勝手に感じている。
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以前は、たまに帰宅する夫にも、
家庭の味、家族のいる幸せを感じてもらおうとしていた。
まともな人なら、弟の様に家庭の味を素直に喜び、
やっぱり家族っていいなと、何気ない日常の幸せを感じると思う。
当時の私は、夫も普通の感覚の持ち主だと思っていた。

いくら私が努力しようが、家族団らんを感じない様で、
自分の方がもっと料理はできるとか
自分はもっと美味い物を食べているとか、
おかしな競争意識を出していた。
いつも笑顔で意地悪をするので、
仮面を見ている様な気持ち悪さがあった。

夫は、自分が家庭の温かさや価値を認めたら負けで、
家族から夫がいないと生きていけないとか、
夫ほど大事な人はいないと言わせ、精神的に支配したいだけだった。
自分は責任からは逃げて、
都合の良い時だけ家族を利用できると思っていた様だ。

仮に妻子が夫にそう言ったとしても
絶対に帰ることはなく、理由をつけて拒否し、
更に傷つけるのが目的なのだ。それも人のせいにして。
自分は気持ちはあるができない。○○のせいで。
と、まるで○○真理教の手口と同じで
架空の敵を作り、そこから自分が家族を守るかのように
不満の矛先をそらし、自分の好きに生きようとしてきた。
その結果が孤独な末路になるとも知らず?

今私も子ども達も、夫がいなくて平和だから
心が落ち着いていて、優しい気持ちになれる。

もし夫が今後私に、弟と同じ反応を繰り返し言って来ても
(それもかなりのお世辞と甘い言葉で)二度と騙されない。
間違いなく、私を利用し私の幸せを壊し搾取する為の演技だから。




最近の生活リズムが、早寝早起きになっている。
夕飯もお風呂も早くすませて、眠くなるまでの間、
パジャマでくつろいで過ごすと言う贅沢な1人暮らし。
子ども達が来ても、好きにさせてもらうし、
眠くなったら、お先に~と寝室に消えている。

弟に対してはそうはいかない。
昨夜は予定がずれこみ、夜遅くに到着した。
私はいつもとリズムがずれて、眠くてたまらない。

弟は、話したい事が溜まっていた様で、
ご飯を食べながら色々話してくる。
父の事も愚痴っていたが、たいした内容ではなく安心した。 
これまでは、奥さんに話したであろう事を
今は誰もいない家で1人だから、
ちょっとした愚痴でも、聞いてほしいのだろう。

何も言って来なかった初盆は、奥さんの親族の希望で、
簡単に身内だけで済ませようと決めたらしい。
料理も無しで、お茶を飲んで終わりにしましょうと言われたとか。
私に、遠くから交通費を使わせてまで来てもらう必要もないと気を使ったらしい。
奥さんの親族の希望なら、弟も同意し、気楽にできて良かったならいいと思う。
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でも、気をもんでいた私にすれば、
先にそう言ってくれたら良かったのにと内心思ったけど。
何を遠慮して今まで黙っていたのだろう。
呼ばれるつもりで、準備していたから。
むしろ行かなけりゃ、文句言われるかと思っていた。

先日お参りできたから良かったけど。

コロナのせいもあって、母の葬儀も小さく身内だけで済ませ、
(費用はぼったくられたけど)
弟の奥さんの葬儀も、旅行先だったので、直葬で
簡単に終わらせたそうで、まさかそんな風になるとは
かつては誰も予想していなかった事だ。
これからは、簡単な身内だけのお金をかけない葬儀の時代になるのかも。

身内に不幸があった時、家族、兄弟がいるといないとでは違うなあと感じる。
いたとしても、縁を切られていたり、誰も相手にしない場合もある。
孤独で寂しくこの世を去り、誰も引き取り手がいない人もいる。
その人の生き様が最後に出るものなのかもなと思う。

自業自得とはそう言う事か。
夫がいなくなっても、涙一粒流す人はどこにもいない気がする。
悲しんで、泣いてくれる人がいると言う事は
本当に幸せな事なのだ。


1人暮らしの食事は、簡単なもので済ませてしまいがち。
骨や筋肉の老化を気にして、肉、野菜の他に、納豆とか豆腐など も
なるべ毎日摂る様にはしている。

なにせお金が無いので、節約料理を意識せざるを得ない。
子ども達や来客があった時に、惜しまずきちんと料理できるように
普段は質素に。それが自分に合っている。
子育てがあったから、今も子ども達が来てくれるから、
嫌でも食事に気を使う事ができて
それが自分の栄養にもなっていて、良かったと思う。
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これも、夫がいないからこそだ。
いたら滅茶苦茶にされる。
(がつがつと人の分まで食べた後に
自分の方が上手く作れると嘘でマウント取る。
笑顔で言うのが気持ち悪い)

今夜は弟が来るので、手抜きじゃない夕飯のメニューを考えている。
食材を考え、料理をするのは脳トレにもなる。
弟も1人暮らしになって、食事は手抜きかもしれない。
なので、普通の地味な家庭料理だけど、高価なステーキも無いけど
心をこめて料理しようと思う。
父の話題もあるそうだから、楽しみだ。



明日晩、急遽弟が我が家に泊まる事になった。
隣県に用があり、その帰りに立ち寄るとのこと。
気分転換をしたいらしい。

これまでなら、こういう時、どこかで奥さんの機嫌を伺っていた。
ああ、もう何も気にしなくていいのだと思うのだが、
それもどこか寂しい。

父の事で愚痴りたい事もある様だ。
そうだろうなあ。母が残っていたらそうじゃなかったと思うけど
こんなに予想と違う結果になるものなのか。
夫が自分より先にいってほしいと願う私には
そうならないのは恐怖でしかない。

弟はフットワークが軽く、行動的なので羨ましい。
私は、過去は行動的だったと思うが、
段々引きこもりがちになってきた。

思い出せば、まだ夫がよく帰宅していた頃、
子どもが自立したら、次は私が抜き打ちで夫の所へ行くぞと
思っていた。
それを察したのか、夫は、口では全く構わない様な事を言い、
現実には、こっそり引っ越しし、今も隠している。
そして全く帰宅もしなくなった。
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聞かれたら返事に困る嘘が沢山あって、
帰宅するのが怖い?のと、無視する事で
家族にすがりつかせようとしている。
バカみたい。

弟も、何となくわかっていて、
気を使って夫の話はしない。
でも心配はしてくれて、離婚を勧めて来た事もあった。

もしうちに夫がいたら、弟はこんなに気楽に来ないだろう。
夫は歓迎するふりはするが、
心の中は、嫉妬まみれで嫌味を言ったり、けなそうとしたり、
マウントをとろうとする。
誰も相手にしていないし、関心も無いのに、
コンプレックスから、誰にでも勝手に敵意を持つ。

夫が帰宅しなくなって、本当に良かった。
このまま長く音信不通なら縁を切りやすくなる。
何を言いわけしようと、もう通じない。
夫がこのブログを見ているとは思わないが、
毎日の様子をSNSに書かなくなったので、
嘘の証拠が残せなくなったのが残念だ。




新生姜を2キロ頂いたので、甘酢浸けを作った。
いつもは、スーパーで小さい袋のを買って
ちょっとだけ しか作らない。

なので、沢山作る事に慣れておらず、
洗ってスライスし終わるまでが、長く感じた。
1人暮らしになって、長い時間キッチンに立つ事が減った。
時計を見ると、意外に時間はかかっていなかった。
何故かホッとする。

スライスしながら、結婚したばかりの頃、
紅生姜を沢山漬けていたのを思い出した。
が、子どももまだ小さかったし、なかなか減らず、
作るのをやめた。

その頃、結婚を後悔していた自分と重なって、
もう紅生姜は作りたくない。

10年位前に、遊びに行った道の駅で、お土産に新生姜を買った。
それ以来、毎年甘酢漬けを作っている。
焼き魚に添えたり、ちょっとかじってみたり、
おやつ感覚で食べる。
酢は身体にいいし、糖分はあるけど、
酢の物かわりに料理に添えると、口がすっきりする。
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子ども達も、小さい瓶に詰めて持って帰る。

紅生姜より食べやすい。
夫が存在しない世界になってから作り始めたので、
同じ新生姜でも、嫌な思い出は消え、幸せな思い出に上書きされた(笑)。

甘酢を作る時は、酢の臭いがするし、
生姜を洗って、スライス、湯がくと生姜の臭いが立ち込める。
家の中は生姜の香りまみれだ。

2キロなので、大きな瓶を用意したが、
よく考えると、冷蔵庫保存するので入らない。
慌てて、家中の空き瓶を探し、洗って消毒。
普段、瓶はどんどん捨てているが、
可愛い形の物は、取っていた。良かった。

甘酢漬けの入った小さい瓶を、ゴロゴロと冷蔵庫に並べて終了。

見た目はすぐにでも食べられそう。
1週間後にはばっちりだと思う。
甘めにすれば食べやすいのかもしれないけど、
糖分を気にして、少し抑えめ。

さて、今年はどんな味になるかな。


布団を干すのも一苦労。
いつ腰に激痛が走るかわからないのでおそるおそる持ち上げる。
お尻と太ももの裏を使う事を意識し、
持ち上げる時は膝を曲げてから。

毎日行うエアロビクスは、腹筋を意識した動画を選んでいる。
以前は、歩いていても腰痛があったけど、だいぶ良くなった。
少しづつだけど、コロナ禍で怠けて固まった身体は
元に戻りつつある。

お腹周りについたぜい肉も腰の負担になっているかも。(どんだけあるんだ?)
はあはあ言いながら、腹筋を使う体操は快感だ。
腰痛は完全に無くなる事は無いだろう。
元々、出産の後や子育て中などに腰痛があった。
骨盤の歪みが原因だったかもしれない。

冷房の効いた部屋で長く同じ姿勢をした後や、
椅子に座った後の立ち上がりが辛い。

くじけないぞ。頑張って体操するぞ。 
今の腰痛の酷い時は、ふいうちの雷に打たれた様な痛みで
腰がくだけて思わず座り込む。
痛みは一瞬で、骨盤周りが重苦しくはなるけど
動くこともできるし、湿布を貼って一晩寝ると消える。

整体などに通うのも良いのかもしれない。
知り合いに紹介された店は遠すぎて通えない。
近くで気に入るお店があればいいけど、
なかなか探す勇気がでない。

最悪の場合は整形外科に行く。

数年前までは「実は力持ちです」と言って
重い物を持ちあげていたのに。
20キロ近くの灯油缶を2個抱えて車に積んでいた。、
今それをやったら、腰が確実にやられるし、
後から肩や腕が痛くなる。
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そう言えば、固い蓋を開けようとして
ひねった左腕がずっと痛くて、力が入らなかったけど
いつのまにか、治ってる。
1年位かかった?
回復するにも時間かかる様になってる。
治るだけましだと思わないと。

確実に老化が進んでいる。
自分の状況を素直に認めて、
何が良くないかを分析して、改善していくしかない。

現実から目をそらし、
見栄を張ったり、自分を騙したくはない。
中には、世間体を気にしたり、人と競って我も負けじと
観劇、海外旅行、グルメ巡りと充実アピールに必死な人もいる。
自分が本当にしたい事なら良いけれど、
人と競っても疲れるだけに感じてしまう。
自分の価値とか、幸せの判断は、自分でするもの。
自分が満足ならそれが一番。

常に誰かとべったり関わっていないとだめな人がいるが、
自分はそういうのは苦手。

会いたい時に会う線を引いた関係が、寂しい様だけど、自分に合っている。
神経を使って疲れる様な事はしたくない。
もしかしたら、長年気を張って来た事と、
夫からのダメージが強すぎて
自分にパワーが残っていないのかもしれない。

でもいいんだ。
間違いなく、夫よりも自分の方が幸せな状況になっているから。
(ざまーみろ(*`Д'))



相変わらず、子ども等が交互に帰宅する。
今夜も泊まりがけで来る。

明日の弁当を頼まれた。
久し振りに作る事になる。
何年も長い間、お弁当を作ったのに、
変に緊張?する。
ちゃんと美味しく作らなきゃと張り切りすぎ?

と言っても、凝ったものは作れない。
手抜きと言えば手抜き。
朝はいつも早く目が覚めるから、慌てずゆっくり作れるはず。
私が子どもの頃は、冷凍食品もレトルトも無かっただろうし、
昔のお母さん達は料理するのが大変だったろうなあ。

最近の冷凍食品は優れものだし、
忙しいママさん達の強い味方。
手抜きだとけなす大人もいるし、学校でもお弁当の内容を馬鹿にする虐めも
問題になっている。

 我が子は、お弁当に親の愛を感じるらしい。
以前も書いたけど、どんな手抜きでも、
作ってあげるととても喜ぶ。
それがまた私の幸せになっていた。
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それに比べ、自分は親への感謝が全く無かった。
母の作るお弁当が恥かしくて、隠して食べていた。
いつも残して帰っていて、母はがっかりしていた事だろう。

母が自分の死を覚悟した時、
「人生で一番楽しかったのは、子ども達のお弁当を毎朝作っていた時だった」
と私に話した。
父と私と弟の3人分を、毎朝作っていた時期があった。
きっと大変だったと思うけど、
母は自分が一番頑張った時だったと自分を褒めていたに違いない。
そう思ってくれた事で、こちらも救われた。

確かに一番大変だった時の事が
後になってから、一番自分が頑張った時だったと
楽しい思い出に変わっていくみたいだ。

さて、変に緊張している自分がおかしいけど
明日朝は頑張って作ろう。

もうあの頃みたいに毎日何年も朝早く起きてお弁当作るのは
2度とできないし、したくないなあ。
今は、たまに作るからいいのだ。




もんたよしのりが亡くなった 。
72歳の若さで。また70代前半だ。
健康寿命との戦いは厳しそうだ。
元気で長生きだった両親を見てきたから
当たり前に80歳まで生きていけると思ってしまう。

70代を無事に生き延びれるかどうかは、運みたいなものだろうか。

だから、いつ何があってもこの世に未練を残さない様にしたい。
自分はただ一つだけ。
自分より夫が先であってほしい。
そうすれば、何も心配なく安心して旅立てる。

何度も家族を危険な目に遭わせといて、
何故、本人は何事もなく元気なのか、不思議だ。
結婚する前、「いざとなったら家族の為に命を失ってもいい。
その時は、僕の生命保険を受け取って家族は生きてくれ」
と、臭い台詞を吐いていた。
自分は家族思いのヒーローだとうっとり自己陶酔していたのだろう。

簡単に、命をかけるとか平気で言う人間ほど、信用できない。
平気で嘘を吐く。あまりに綺麗なセリフばかり並べる。
現実は、正反対。
自分だけさっさと逃げて、家族の生活を犠牲にした。

言葉が軽すぎる。言葉に責任を持たない。
その場、その瞬間だけ自分を良く見せれば良いだけ。
嘘がばれたら言い訳すればいいと、人を舐めている。
人には想像力があって、意思があると言う事をわかっていない。

自分に意思が無いから、人の事がわからないのだ。
人も自分と同じか、それ以下だと思っている。
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異常さを感じるのは、独身の時から、偽りの自慢話の内容が
ずっと変わらず同じなところも。
それ以外の言葉が無い。
何十年も生きてきたのに、失敗した体験から学んで、
何か自分で作る言葉がありそうなもの。

例えば「僕は小学校の時、野球が特別に上手いと言われていた」
「高校の時、ラグビーをやっていたから、筋肉がついてしまって、今もその体型」
と、自慢するのを何度も聞いた。
(これは、ほんの一部。具体的に言うと、ばれてしまうので。)

夫は、野球もラグビーもやったことがない。
放課後に、公園で草野球を友達をやって遊んだだけ。
ラグビーも、高校の時に休み時間にラグビー部の友人と
ラグビーごっこをしていただけ。
そもそも、部活やクラブをやっていない。

スポーツしていないし、ただ太っているだけ。
それをこれはラグビーでついた筋肉だ、とか、
野球もやっていたから、足に綺麗な筋肉がついているとか
いつも自慢する。今でも。
10代後半から同じ内容の自慢を
何十年とし続けるのはどうみてもおかしい。
他にも色々似た様な嘘を長い間、言い続けている。

恥をかくのは夫だし、もうどうでもいい。

「言葉には魂が入っている。言葉に責任をもて」
などとSNSで説教をしている。
お前が言うか。だ。
絶対に、夫が自分でそんな事思うはずがない。
もしかして誰かに注意されたのかもしれない。
人の名言を使って人を説教する癖もある。

夫は注意しても、素直に言葉を受け止められず、
言われた事をすぐに誰かにぶつけて発散する。
他人に投影して逃げる。

歳をとってきて、おそらく悪化していると思われる。
放っといても、このまま勝手に自滅していく気もするし、
そうなってほしい。



心静かに過ごしたい時は、ジョージハリスンのアルバム、
”オールシングスマストパス”を聴く。
ジョージの音には、朝の澄み切った爽やかな空気を感じる。

ジョージの曲で一番好きなのは、
”ビウェアオブダークネス”

一番苦しかった頃、
車の中で涙が出そうな時、ジョージの曲が流れてきて
頑張れ、と励まされている気がした。

1990年前後、ポールに続いてジョージがクラプトンと来日公演した時、
嬉しすぎて、2回観に行った。
今は亡きジョージ、あの時行ってて良かったと思う。
肉眼でビートルズのメンバーを見るチャンスがあったという事が
子どもの頃には全く予想もしていなかった。

大谷選手を初め、世界で活躍する(した)人達に
楽しみを与えて貰って、この人達と同じ時代に生きていて良かったといつも思う。
それも平和だからこそ。
子どもの頃は、今の平和な生活が永遠に続くと信じて居た。

昭和、平成、令和と変わったけれど、
まだまだ戦後からはそう長くは経っていない。
こんなにすぐに、戦争が身近に感じられる世の中に戻るとは。

人間は愚かだと思う。
生まれながらにして残酷な人間が一部存在する様だ。
ある人にとっては、残虐な行為であっても、
その人にとっては、それが正義で正しい行動になる、
絶対に分かり合えるものではない。
平和な生活を営むという事の大変さ、当たり前ではない事が
とても怖く感じるこの頃。
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残酷とまではいかなくても、
世の中には、一部人格が歪んだ人間が存在する事を
もっと早くに気が付くべきだった。
話せばわかる、変わるなんて期待してしまう事が
深みから逃げ出せなく原因の一つ。
(国同士の外交は別)

瞬間的に、これまで夫の変な行動を思い出す時がある。
何かにつけてトラブルに巻き込んできて、
お金をださずに脅して来たりする夫にうんざりし、
もう関わりたくないと限界だった時、
「あなたと関わるのが怖くなった」
と夫に言ったことがある。

そう言われた夫の反応は嬉しそうだった。
「そうか、怖いのか、ふふっ」と笑った。
自分の事を、強いとか、力があると認めたと
奴隷化に成功したと勝手に誤解したのだと思う。
「やっと俺の価値をわかったか」と言いたげだった。

そういう愚かな反応を見て、夫の異常さを確信した。
そして、夫の言う事を信じない。
全て嘘で演技だと思った方がいい。
と自分に言い聞かせた。

それまでの夫からの悪影響は、まだ私に残っていた。
嫌な卑屈な人間から早く元の自分に戻ろうと言い聞かせていた。
結構大変な作業だった。
離れていて本当に良かった。

自分をリセットしたい時、
本来の自分らしさを取り戻したい時、
私はジョージの曲を聴く事にしている。

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