りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

2023年07月


健康診断の結果が届いた。
前回から1年も経っていないし、あまり変化なしだった。
 
異常値とされているものは、以前から変わらず
過去に医師からは、特に治療の必要無しと言われたことがあり放置。

以前から思っていた事だが、
日本の検診の基準値は、厳し目では無いかという事。
病人を増やす為?病気の不安を持たせるのが目的?と疑う位だ。

海外では研究が進んで、これまでの考え方を否定したりして
基準値の変更を行っている。(緩くなっている。)

例えば、血圧、コレステロール。
年齢、性別でも変わってくるのに、検診での基準は厳しめで一律。
高齢の人は異常と指摘されてしまいがち。

私の様に、普段は低血圧なのに、ばたばたと動かされてすぐに血圧を測ったり、
緊張して高くでた数値を見て、要治療と結果がくる時がある。
今回は、要領がわかって緊張感をおさえる呼吸をしたので
血圧は正常だった。
そうやって、ちょっとしたことですぐに数値は変化する。

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家で血圧を測る習慣のない人なら、
自分は高血圧と思い込むことだろう。

コレステロールも同じ。
特に女性は高齢になると急に高くなる。
海外の新基準では、ほとんどの人が正常枠内なのに、
古い基準を維持したがる日本では、異常、要治療と言われ、
薬を飲まされる。

若い医師から「善玉と悪玉の比率が悪くなければ気にしなくていい」と
聞いた事がある。
数値が基準内でも、比率が高いと逆に危険なのだそう。

試しに、ネットで血圧、コレステロール、HBa1C の年齢別平均値、基準値を調べると、
年齢、性別で数値が異なっていた。
高齢の人には正常値内になるのに
若い人の基準値で判断され、異常、要治療という結果になる事もある訳だ。
とは言え、検診を受けるだけでも健康維持の為の意識づけになる。

他の内臓などの検査結果などでは、病気が見つかることがある。
弟嫁は、検診嫌いで受けていなかった事が死期を早めた。
なので、検診は受けた方が良いことは確かだ。

とにかく運動が一番。これからも室内運動は毎日続けていこう。


インターネットのお陰で、県外の高校野球の試合も観れるのは有り難い。
興味ある決勝戦をライブ配信で観ている。
ファィヤースティックを買った時は、その機能をよく知らなかったが、
無料のアプリを使ってテレビ画面で色んなものが見られる様になった。
 
予選でこんなに楽しめているので、
いざ甲子園大会が始まったらどうなることか、と
自分で自分に突っ込みを入れている。
地元の贔屓のチーム?は決勝で負けてしまった。
出場する県代表は、良い線までいけるのではと期待している。

何でもいいから、ささやかな楽しみがあるのは良いこと。
暑くなくて、体力があれば甲子園球場に行きたいけどなあ。
バテて倒れたら迷惑かかるからやめておこう。

甲子園球場はアルプススタンドまで屋根を広げるそうだ。
何もしないよりはましだが、選手の暑さ対策を考えてほしい。
屋根を広げるのも2年後?とは遅い。
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高齢者が家の中で、熱中症で亡くなるニュースが増えて来た。
エアコンの電気代を節約しようとしたのか、
暑さを感じにくくなっていたのか、他人事ではない。
やっぱり父の様子が気になってくる。

7年ほど前の夏に、母が足の手術で入院した時、
2週間ほど父の世話をしに帰った。
実家に入ると父は冷房と間違えて煖房をつけ、うたた寝していた。

老化すると色んな事で、いつ命を落とすかわからない危険を招く。
野球が大好きだった父は、今は全く興味を示さない。
一緒にプロ野球観戦も行ったことがあるし、
テレビで野球を見ている時は、声をかけても聞こえていないほど夢中だった。

テレビ画面や言葉を理解するスピードについていけなくなったと父は言う。
老いによって趣味が消えていくのは悲しい。
若い頃の父の姿が今の衰えた父に塗り替えられてしまうのも寂しい。


これから夏の異常な猛暑はどんどん酷くなっていく事だろう。
そのうち40度なんていうのが普通になっていくのだろうか。
部活や体育の授業、各競技の試合も命がけになってくる。
根性論は辞めて命を守る事を第一に考えてほしい。

ほんの数分外に出ただけでも、やばいという感覚がする。
そうなると、父のことが心配になってくる。

もっと頻繁に帰省して面倒を見るつもりだったのに
実家は物があふれ、私の寝る場所も確保できない状態。
料理をしたくても、台所の掃除から始めないとできない。
それが一日かかる。
父のペースがあるので、それに合わせているとバタバタする。
台所だけではなく、お風呂、トイレもそう。
以前、あんなに綺麗に片付けたのに、
父がめちゃくちゃに変えてしまった。
結局、弟夫婦が見て見ぬふりをしてきたツケを私が払うことになる。

で、何も知らない世間や親族は、弟が小まめに良く世話をしているねと労う。

嫌なことから逃げて目をそらすのは弟夫婦の癖だった。
母も不満を抱え、弟嫁の病気も手遅れになってしまった。
その都度、弟は反省したと言うのだが、
そう簡単に人は変らない。
私は夫に変わるふりをされて何度も裏切られた。

トラブルを起こし、会社をくびになったり、
人から嫌われ孤独を感じると「これからは、家族の意見を聞いて家族のそばにいたい」
などと臭い台詞で騙していた。
家族からの批判をかわし、その時だけ家庭を逃げ場に使う。

でも、また次のターゲットが見つかるとすぐに元通り。
勝手な行動をし、また家族の意見は無視か脅しで黙らせる。
もううんざり、もう信じない。
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弟は夫とは全然違い、もっとまともだが、
嫌な事から目をそらす癖は、変わっていない。

とは言え、父のそばに誰もいないよりは安心なので、文句は言えない。
私がずっと両親の世話をしていれば、
もっと清潔で、きちんとした生活をさせられただろう。
母は最期まで父に苦しめられた。
弟夫婦がもっと母に優しくして家事を助けていたら。
と、いくら私が思っても今更仕方ない。

母亡き後、実家がこんなに居心地悪くなるとは思わなかった。
父に最後に会った時には、家の整理をよろしく頼むと言われたが、
いざ私が実家にいると、また機嫌が悪くなるかもしれない。
とは言え親は親。心配だ。
不衛生な家の中で、この猛暑の中大丈夫だろうか。

もっと頻繁に帰りたいが、こちらの仕事、用事もあり、
交通費や色んな経済的負担、この暑さ、
実家の居心地の悪さを想像すると行く気が失せる。
私の居場所、スペースすら無い。

母が残っていたら、全く違っていたはず。
父はどんどん負の遺産を増やしていく。
それが母の心残りだった。
自分の方が長生きすれば、父の残した負の遺産をさっさと処分し、
私達があとから困らない様に整理したいと言っていた。

もうすぐお盆なのに、父も弟も私の事は頭に無さそう。
こっちも、子ども達が帰省する実家と言う立場。
家にいた方が楽しいのは確か。

期待されていないのに、勝手に気にするのも無駄かも。
実家の事を考えるのが、何だか馬鹿らしくなってきた。





最近、お店で値札の数字が見えにくくて困る。
老眼が進んできたのだと思う。
強度近視なので、眼鏡をいつもかけている。
同じ度数で作った眼鏡なのに、
矯正視力は良くなっていて、近く以外はばっちり見える。

眼鏡をかけたままで、近くを見ると良く見えない。
眼鏡をはずすと、良く見える。
いちいち、近視用をはずして遠視用にかえるのは面倒臭い。
まだ裸眼で近くは良く見えるから、まだ老眼鏡はいらないし
つけたり外したりが面倒だ。遠近両用も使いたくない。

眼鏡は2年で交換している。
2年経つと、フレームやレンズが壊れて来る。
分厚いレンズを薄くする為の加工料もかかる。
本当に近眼はいい事が無いし、不経済。
以前はコンタクトだったけど、つけたままうたた寝ができないし、
目やにが出やすくなったりして、やめた。

近視は遺伝すると言われてるけど、実家では私だけだ。
視力が落ちて来たのは中学生の時。
原因は何となく思い当たる。

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母は、私が強度の近視とはいまいちわかっておらず、
視力0,7の伯母のことを、
「全然見えないみたい、信じられない。もう終わりね」と
馬鹿にして優越感に浸っているようだった。

私が「何言ってるの、私0,1ないのよ。私はどうなるの」と言うと、
「えっ!」とショックを受けて何も言えなくなっていたのを覚えている。
そういう親の無知、無関心、特に娘に対しての差別も
視力が落ちる環境に置く原因だったのかもしれない。

これから、わずかな年金で生きていかないといけないのに、
眼鏡代に永遠とお金が必要になる。
健康であることが一番の節約だとつくづく思う。

飛蚊症もあいかわらずで、網膜剥離の不安は持ちつつ、
歯もいつかは悪くなってくるだろうし、
足腰も弱ってくるのだろうか。
これからは、医療にお金がかかり始める。
病院嫌いの私にとって、憂鬱な未来が待っている?
予防意識は自分の為に大切だなと改めて思う。

自分のことだけで精一杯なのに、
これで夫がまた勝手に同居を決め、私の老後まで搾取するつもりでいるなら
絶対に阻止するつもりだ。



先日、近くの大型ショッピングセンターに行った時、
薬売り場の目立たない場所に、血圧計、血管年齢測定器、体脂肪計が置いてあった。
客が自由に使う様に設置してある。

かなり前からあったのだが、コロナ禍は使えず、
久し振りに使用可能になっていた。
人がいる所ではやりたくないけど、誰もいなかったので
血管年齢だけ測る事にした。

機器が古いのか、画面をタッチしてもなかなか反応せず、
何度か打って、やっとスタート。
で、出た数字が実年齢よりも10歳上。
ありえない、絶対おかしい、簡易検査機なんていい加減!と
認められない自分。まるで頑固な老人みたいに。

昨年の検診では、血管は実年齢より少し若いと言う歳相応の結果。
昨年よりも運動もしているし、明らかに健康になっているはずという変な自信?があった。
コロナ禍の自分はあまりに運動不足で
不健康な生活をしていたと思うし、そんな昨年に比べて悪くなるはずがないと。

きっとこの機器が古くておかしいのだ。と不機嫌な私。
あまり長くその場にいると、売り場の人から声をかけられそうなので、
すぐにその場を去った。

買い物をした後、帰り際にまた通りかかったので、
再度計測してみた。
すると、昨年と同じ数値で、年齢より少し若いとでた。

試しに、血圧計も使ってみた。
これは正常。

まあ、病院ではないし検診の場でもなく、
お店に簡易で置いてあるものだから気楽に使えばよいのだろう。
が、あまりに数値が違い過ぎるのも意味が無い気がする。
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以前見た夕方のニュース番組を思い出した。
ある会社が社員の健康管理の為に、血管年齢測定器を配置した話題。
早速測定したら、全員が10歳以上高い数値がでて、皆ショックを受けた。
お陰で生活習慣を改善する意識が高まった、などと伝えていた。

あの時、全員がそんな数値とかおかしいだろ、
何度も測らないと正確じゃないんじゃないの、
簡易検査機はあてにならんと思って見ていた。

昨年の検診の時は、血管年齢を測ったのに、
今年は無かったのは、もしかして簡易だから精度が落ちるのが理由?
指の置き方なども関係するのかもしれないし、
何回も測らないと正確な数値はわからない気がする。

ひやかしに、これからも行く度に計ってみようかな。
測る度に数値が大きく変われば面白いかも。
何だか、いたずらっ子みたい。
(あまりに悪い数字が出ると、血液どろどろかと思って怖くなる。)


 


買い物に行くと、平日なのに賑やかなのは夏休みになったからかと気が付いた。
家に子どもがいないと、学校行事に疎くなる。
子育て時代は、仕事の合間に授業参観に行ったり、
PTA役員をしたり、面倒臭いななんて思っていたが、
いざ学校と縁が切れると、懐かしく思えてくる。

永遠に続く様な気がしていた事も
終るとあっけなく感じて、もっとちゃんとしていたら良かったとか、
後悔と共に良い思い出だけが残る様だ。

我が子というものは、どんなに大人になっても、
親にとっては幼い頃の手のかかる子ども達のまま。
愛しさに変化はない。
残念なのは、子どもの時の様に毎日会えないし、
べたべたできない事。

海外ドラマかぶれの私には、
やたらハグをしたり、手を握ったり「愛してる」と言葉の最後に必ずつけたりと、
日本ではあまり日常的ではない表現をしてみたいと思うのだが、現実は不可能。

何かよっぽどのことがあれば、スキンシップはできるだろうが、
普段は相手に嫌がられるだろうし、
私の頭がおかしくなったと思われそう?
子どもの時はハグを良くやっていたが、もうできない。

また母の話になってしまうが、
母がもう先が無いと覚悟を決めて、毎日泣いていた頃、
コロナ禍で面会がなかなかできず、
きっと恐怖と孤独感で頭が一杯だったろうと思った。

やっと面会できたわずかな時間、
母の背中、手、足に触れ、マッサージをしてあげ、
短い時間だったが、ずっと横にいた。
母は「ずっと触れていてほしい」と言った。
その気持ち、とても理解できた。

もう親では無く弱い子どもに見えていた。
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コロナ禍は、家族間でそれができなかった事が一番残酷な事だった。
今もまだコロナは続いているが、
傍にいて、さすったり世話をしたくてもできないのは辛い。

話がそれてしまった。
駐車場や大きなお店で、小さい子どもだけでうろうろしているのを見ると心配になる。
親は何故手を繋がないのだろう。

トイレで子どもが事件に巻き込まれる事も多い。
私の子育ても、ひやっとしたり反省することばかりだっだ。

友人の子どもが小学生の時、親から離れてエスカレーターで遊んでおり、
頭を隙間に挟まれ、意識を失い、救急車で運ばれ騒ぎになった。
何事も無くて良かったが、他人事には思えなかった。

我が子もたまたま運が良く無事に育ったと思っている。
大変だけど、子どもさんから目を離さないでほしい。

今年も楽しい夏休みの思い出ができますように。

 


だいぶ前の話だが、我が子の同級生に不登校の子がいた。 
我が子が一番の仲良しで、学校との連絡係みたいになっていた。
というか、その子の親が自分の子と遊ぶ相手や、連絡係を選んでいた。

たまに登校していたその子は、保健室や別室で個別授業を受けたり、
自習したりと、その子がなるべく居心地良くいられる様に学校は務めていた。
いじめもなく、クラスには何の問題も無かった。

不登校は、頭痛がすると言うのが理由だった。
たまに登校した日は、帰宅すると必ず何かしら担任の文句を母親に言っていたそうだ。
母親は翌日どなりこむことの繰り返し。
「うちの子を特別扱いしない担任の態度が気に入らない」
「うちの子が悪い事をしても、注意しないでください。家で私が躾けてるから、何度も
怒られたら可哀想」
「うちの子は、○○君が嫌いなので、近づけない様にして」
「来年の担任はベテランの先生にしてください。若い先生なんかにうちの子を預けられない」

などなど、親子で色々な事を学校に要求していた。

後で知ったのだが、休日まで、担任にレストランで一緒に食事をする様に要求したらしい。
放課後も、担任に一緒に遊ぶように要求し、おもちゃを持ち込み相手をさせていた。

要求を受け入れれば不登校をやめると言う風に思わせていたらしい。

私は、毎年お母さんから、担任が変わる度に悪口を聞かされていた。
が、学年が変わると「去年の方が良かった。」と必ず言い出すその子。

あんなに悪く言っていた前の担任を「前の先生が良かった」と言っていた。

毎年、担任が代わる度に学校側は苦労していた。
毅然とした態度で、お母さんに反論した先生もいたが、
聞き入れられず、お母さんは、最低な教師だと言いふらしていた。

あれから年月が流れ、今どうしているのかわからない。
そのうち、風の便りで噂が流れてくるかも。
関わるつもりもないけど。

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この子の「前の方がよかったと後から言いだし、必ず今を悪く言う」癖は、
夫と似ていると思った。

今いる職場を必ずけなし、社長を馬鹿にして、粗探しをする。
辞めて、転職してもやはり同じ事を繰り返す。
そして必ず「前の方が良かった」と言い出す。どんなに過去けなしていた会社でも。

最近は、一周回って
最初に新卒で就職した一番まともで大手だった会社のことを言う。
まるで、今もそこの社員、幹部であるかのように。

はるか昔に辞めた会社なのに、結局それ以上の就職先に入れず、
完全な負け組になったことを、認めたくないのだろう。
辞めた会社のことを「うちの会社は」「僕の会社は」と口にする。
そして「うちの会社を見習うべき」と言う。???

そもそも、夫なんて、その会社にすれば、とっくに忘れられた存在。
若い平社員の時に、悪口いって嫌な辞め方をしているのだ。

自分はこんな会社にいるのは物足りない、
自分は能力があるのに給料が安い、
もっと自分にい高給を出す大手が自分にふさわしい、
こんなケチで古臭い会社なんか、潰れるに決まってる、
と、さんざんけなして辞めたのに。
「うちの会社は良かった。あなた方は見習うべきだ」
と、転職する度、指導するのだから呆れる。

都合の悪い事は記憶を変え、自分の意志で辞めたのに
誰かが騙して辞めさせたみたいになっていたり、
悪いのは全部他人だと言っている。

何度も転職する度に、前の方が良かったと言うのが
恥かしくないのだろうか。
どんどん自分が堕ちていると言うことだろう。

確かに、後から色々反省して、相手の良さに気が付くということはある。
夫の場合はそうじゃない。
振り返って思いを巡らせるとか、反省なんてできない人。
自分を守る為に、都合よく話を作っているだけ。

結婚生活についても、同じだろう。
あの頃は良かったのに、と
ずっと同居していればよかった、と言い出すのかも。
事実を改竄して、こうなったのは、家族のせいだ、
一緒にいたかったのに、犠牲になった。同居していた頃は良かった。
妻は変ってしまった。昔は言いなりになって素直だった。
などと、言いだすことだろう。

勝手に言ってればいい。惨めだねと笑ってあげるから。



数日前から早朝や夕方に、外から子猫らしき鳴き声が聞こえる。
ミャーミャーと大きな声。
困ったような助けを求めている様に聞こえてしまう。
母猫を探しているのだろうか。迷子になったのかな。
気になって仕方ない。

窓に近づいた時に、外から聞こえるが見えないので
どこにいるのかはわからない。
毎日、家の周囲を掃除しながら見ているけど、猫はいない。

もしかしたら、お隣さんが猫を飼い始めたのかな?
それならいいけど、迷子では無い事を祈る。

以前は、母猫が子猫を探し回る声が聞こえる事が多かった。
子猫の鳴き声も聞こえて、すぐに見つかった様でほっとした。

今回は、母猫らしき声は聞こえない。

もし、捨て猫や迷子猫だったらどうしようと心配になった。
どこで鳴いていたのだろう、2日間同じ方向から大きく聞こえた。

昨日から声が聞こえなくなった。
無事に母猫の元に帰ったのか、どこかの飼い猫だったのか
わからずじまいだけど、無事なことを祈る。
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心のどこかで、捨て猫をみつけなくてホッとしている。
飼い猫だったと思いたい。
我が家は近所の飼い猫たちの通り道。
数匹の常連さん?がおすましして通り抜けていく。
以前、私に声をかけてくれ、ちょっと休ませてと腰掛ける猫さんもいた。

その中の誰かの産んだ子猫だったかもしれない。
この地区には、野良猫はほとんど見かけない。
可哀想な事実は無いと思いたい。

もし、今捨て猫を見つけてしまったら、
飼ってしまいそうな自分がいる。
飼い犬を亡くしたロスがあり、精神的に癒されるものを欲している。
手離せなくなりそうで怖い。

でも、現実を考えると、子の1人が猫アレルギーだし、
旅行や実家に長く行って留守をする時の事を思うと無理だし、
またいつか、悲しい別れをするのも嫌だ。

なので、もう動物は飼わないし飼えない。
そんな私に、今、こんな誘惑は困るのだ。


 


この世に二度と生まれ変わりたくない、と思う。
よっぽど自分の人生に納得していないってことなのかな。

若い時は、まだどうにかなるかも、
夢がかなうかもと、何だかの夢を持って踏ん張っていた。
夢を持つことで生きる力が出たと思う。

寝る前には、楽しい未来を想像してから眠りについていた。
いつのまにか、それができなくなった。
もう夢なんて無いから。
このまま、つまらない人生をあと何年生きるのだろう、と思うだけ。

結婚を失敗したと後悔しても、まだ若ければ何かしらやる気が出て
人生後半をやり直す夢も持てた。

気が付けば、自分の体力も気力も弱り、
すっかり人間不信、1人で気楽に生きることで精一杯。

結婚した時に描いた計画は全て夫に裏切られた。
洗脳が解けそうになると、夫のフーバリングによってずるずると
時間を潰されてしまった。

夫から逃げようとすると、優しい口調で、
「近いうちに自宅の近くで良い仕事がある。子育ても一緒にできるし、
経済的にも楽になるよ。もう少しの我慢だから。ヘッドハンティングされている」
と言う甘い話を繰り返された。(フ―バリング)
信じた自分が馬鹿だった。

夫を疑ってはいたが、当時の自分は余裕がなく、
信じて楽になりたかったのだ。
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すぐに嘘はばれ、追及すると逆切れされることの繰り返しで、
もう騙されない、と我に返った時は、子どもに一番お金と手がかかる時期。
子どもを利用して、私を精神的、経済的に縛り、弱らせるのが夫の作戦だったのだ。

まんまとやられた自分が馬鹿で、
親からも男女差別されて育ったせいか、
夫から差別されている事に鈍く、
ターゲットにぴったりだったのだろう。

自分がNPDに狙われやすいのなら
誰と結婚しても同じなのかも。
夫と似た様なタイプばかり選んでいたかもしれない。

そんな風に悟ったら、
自分には一人の生活が合うと思えるようになってきた。

母親の影響で男性の性格が変わるなら、
女性を差別するのも女性なのかもと思ってしまう。

だから、男性不信というより、人間不信かも。
女性のNPDもいるし、DV妻もいる。

私がもっと早く気が付いて、夫より強い態度で
何でも抵抗し、やられたらやり返す位の行動力と経済力があったら良かったのだけど。
これからは強く立ち向かう。
夫が家族を無視すればするほど、
家族は強くなっていくし、嫌悪するし、存在を忘れていく。
夫の嫌がらせは全部夫自身に不都合になっていくのが面白い。





高校野球甲子園大会の予選が盛り上がっている。
猛暑の中、テレビで見ているだけでも暑そう。
時代は変わったのだから、暑さ対策をやってほしい。
早朝、ナイターにするとか、ドーム球場があれば使うとか。

甲子園も何故ドームにしないのだろう。
できない事情があるなら、いっそ甲子園にこだわらず、
他の球場を借りてやればと思うが、
甲子園だからこその価値があり、それでは意味が無いのだろうが。
伝統より人の命の方が優先だ。
昔の軍隊のような悪しき習慣は廃止してほしい。
命がけでやる事では無い。
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甲子園球場は、浜風が吹くからスタンド席は涼しくなる時もあるみたいだが、
選手達はどうなのだろう。
毎年、地方大会でも足がつる選手を見ると、
何も変わっていない事に苛立ってくる。

選手の父兄も大変だろうと思う。楽しみには違いないだろうが。
親の協力なしでは、部活もできないと思う。
我が子は、もっと楽な部活だったけど、
卒業して解放された時は、親として本当に楽になった。

来週には、出場校が続々と決まる事だろう。
自分も高校生の時、地方大会準決勝の応援に全校生徒で行った。
その時の対戦校が甲子園に出場し、活躍をした。
ピッチャーは、ドラフト1位で巨人軍に。
人気者になった。

そんな青春の一コマが残っている幸せ。
今より気候が良かった時代の良き思い出。

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