りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

2023年06月


ツイッターで、目に飛び込んできた動画があり、
いつもならスルーするのだが、
気になって観て見たら、思わずイイねを押したくなった。

それは、元サッカー日本代表の本田圭祐氏が、
大学の卒業式らしき会場で講演しているものだ。

話のポイント部分の切りとりではあったが、
今の私にはピタリとはまった。
それは「どうせ〇ぬんで、やりたいようにやってください」 と言う言葉。

彼はどんなに追い込まれても、
「いつかは〇ぬ。」「行きたい様に生きろ」
と言う言葉を思い出し、ポジティブに考え方を変えて乗り切り、
どうにか楽しくここまで続けて来れたと語る。

これから社会の荒波に飛び込む若い人達は、
うまく行かない事もあるだろうし、色々悩む事もあるだろう。
そんな時、本田氏の
「どーせし〇んです」「悩んだ時は、一旦この言葉を思い出してもらうと
しょうもない悩みが、吹き飛びます」
の言葉を思い浮かべると救いになるかもしれない。

成功者の先輩からの言葉は最高の贈り物だと思う。羨ましい。
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私は、母がいなくなってから、似た様な考えが浮かぶ様になったが、
気持ち的には、いつ事故にあうかわからないとか、
何があるかわからないという意識であり、
物事の考え方としてポジティブというより、ネガティブだった。

もっと早くにこんな考え方をしていたら
少しは違う生き方をしていたかもしれない。
が、意外と頭でわかっていても、割り切る勇気があったかどうか。

それでも、この言葉はすきっと割り切れる。気持ちがいい。
勇気の出る言葉だと思う。
何かを成し遂げた人の話には、悟りにも似た生きる上でのヒントがある。
未熟な自分には、とても有り難い。
今更手遅れかもしれないけれど。



子どもが自立し家を出た後、部屋の模様替えをした。
それぞれが自分の物や家具を運び出した事もあって
気分的にがらんとした空間になった。

とは言え、物が減ったのは快適だ。
掃除も楽。
やっと自分の部屋ができた。

結婚以来、初めての自分の部屋。
誰もいないんだし、家全部が自分の部屋みたいなものだけど。
(夫はいないものとしている)

模様換えのついでに、母の遺影コーナーを私の部屋に移した。
寝る時に一緒にいる方が良い気がするから。
それと、母の事も夫から守りたいという意識が強くある。

夫が母の遺影を見て、反応する時を思うと憂鬱になる。
わざとらしく悲しむふりをしながらも、嬉しそうな表情をするのを
私は感じ取ると思う。
そして、すぐに父はどうしているのか、まだ生きているのかを
またまた心配するふりして、聞きだすだろう。
まだ元気とわかると、がっかりするのもバレバレだろう。

そして母から何か相続していないか探り、急に帰宅が増えてきて
私に執着してくるかもしれない。お金目当てで。
何も無いと言っても、隠していると信じないだろう。
夫がそうだったから。
考えると不快になるので、遺影を私の部屋に移した。
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一昨日、熱帯夜で眠れず、昨日は気分がずっと悪かった。
新自分部屋が家の中で一番暑い。
なので、試しに昨日は、リビングに寝てみた。
ごろ寝で熟睡はできなかったけど、長く寝られて
今朝は気分良く起きることができた。

朝、カーテンをあけていると、
自分の部屋の方から、私の名前を呼ぶ母の声がした。
えっ?今のは?聞き間違い?と思ったが、
すぐ部屋に行き、母の遺影に向かって挨拶をした。
昨日、部屋で寝なかったから心配したのかな?

聞き間違いだろうが、母の声が久し振りで、
とっても懐かしかった。
あんな風に、呼ばれていたなあと思い出した。
最近、母の若い頃を見て見たくなる。
写真でしか見られないが、私の幼い頃、一生懸命子育てしていたのは
伝わるし、記憶もある。

昔は今よりも家事、育児は大変だったし
女性の立場も弱かったし、やりくりも大変だったろうし、
苦労の多いことだったろう。
でも、頑張ったね。私よりずっと強くて充実した人生だったよね。
と労う気持ちが募るようになった。

生きているうちに、そう言えば良かった。
亡くなる前に、よくがんばったよね、って。
でも、半分毒親に思えた部分がそれを邪魔していた。

毒親の思い出は横に置いて、
母の人生を1人の女性として想像し、記憶をたどり、
どんな思いで生きて来たのだろうと、
思いを巡らせることも多くなってきた。
自分がこれから一人でどう生きていくか、
何か参考になり、励みにしていく事もあると思うから。




晴れたり曇ったり、蒸し暑い。
昨夜は嫌な暑さで目が覚めた。
脱水になってはいけないと思い、台所へ行き水を飲んだ。 
それからまた寝たけれど、すっきりしない。

季節の変わり目は疲れる。
早く蝉がうるさい位のからっとした夏になってほしい。
と言っても、最近の夏は爽やかでもなく、
猛暑で命の危険まで感じるほど。

子どもの頃、夏休みには祖父の家に行き、
蝉の声の響く自然の中で遊んだ。
今の家と違って、土、川のせせらぎ、風、木陰もあって
人間らしく?いられた。
夏とは言え、風は涼しく気持ち良かった。

今の実家は祖父の家ほどの田舎では無く、
木も川も近くには無いけど、家が高台なので眺めが良く、
北側の窓を開ければ、風が通って気持ち良かった。

母が健在の時は、家を綺麗に掃除して開放的にしていた。
なので、子どもの頃を思い出す雰囲気が残っていた。

今は、父が家を荒らしているので、もう別の家の様だ。

子ども達にも、心も身体も癒される故郷的な場所を持っていてほしい。
私の祖父の家は空き家で荒れており、周囲の自然も荒れてしまい、
災害の危険すら感じるほどになってしまった。

自然にあふれているが、癒される場所ではなくなった。
せめて実家を、子ども達の思い出の故郷的場所にしたかった。
母は家を、父がいなくなった後も孫たちの為に残して使ってほしいと
いつも言っていた。
私もそう思っていた。母が残っていればそうしただろう。

弟は全くそういう感情が無い。
自分が育った家なのに、愛着が無い。
さっさと壊して処分するつもりだろう。
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私がもっと頻繁に実家に帰って、掃除をして家を綺麗にし、
父の世話もやっていくつもりだった。
全然うまくいかない。
自分にその気が起こらない。
父が嫌がるのではという不安もあるし、
経済面と自分の体力も心配になってきた。

母の面会に行っていた頃~葬儀を終えるまでの自分はとても体調が良かった。
何か心配事や、気を張る事があると、
よけいな事を考えないで済み、集中できるので
私にとっては良いのかもしれない。

若い頃も、具合が悪くても、子どもが熱をだしたら
自分の事は後回しにし、子どもの世話をしているうちに
いつのまにか自分の体調が良くなっていることはよくあった。

以前なら張り切って動いていた事が
最近は、失敗が怖くてストレスになり、
それが体調に出てしまう悪循環。

そんな時は、室内体操で汗をかく。外を歩く。
身体を動かすのが一番いい。

猛暑は困るけど、早く夏になってほしい。
蝉の声で、思い切り夏を感じたい。
その後にくる秋には、虫たちの合唱が
子守歌になってくれる。

そんな事ばかり思っていると、あっという間に今年は終わる。
また何もしないで時間だけが過ぎる。
せっかく自由なのだから、今のうちに動かないとと思っているのに。
焦るだけで、なかなか気分が上がらない。


先日我が家の前の道路について書いたけど、
今日もハプニングが舞い込んだ。

夕方、インターホンが鳴り、出ると
通りすがりの女性が、子ども用のタブレットを見せて
「今そこで拾ったんですけど、私この辺に住んでいなくて、
急いでいるので、お宅に託しても良いですか?
これは学校の貸し出しの物だと思うし、落とした子どもさんの気持ちを思うと
気になって。」
と私に後の処理をお願いされた。

近所に小学校が2校あり、そのどちらかだろうと思ったので、
交番か、学校に届ければいいだけ。
私が引きうけると、ホッとした表情で急いで車で去っていった。 
タブレットには、番号と名前のシールがはってあり、
すぐに持ち主は見つかるだろう。

夕方遅かったので、すぐ近くの交番に届けた。
タブレットをお巡りさんが触ると待ち受け画面に学校名が出てきた様だった。

後はこちらできちんとやっておきますとの言葉を聞いて安心し、
書類に記入して帰宅した。
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自分で学校に連絡した方が早かったのかもしれないが、
もし、学校の物では無かったら困るし、
時間も遅かったし、拾得物として交番に届け、後はお任せするのが確実。
後は早く落とし主に連絡がいく事を願うだけ。

持ち主の子どもさんは、泣いているかも。
叱られたかなとか、親御さんも困っていたかもしれない、
色々想像すると、交番から一刻も早く連絡してほしいと願った。

中には、友達の物を悪戯で、外に隠すふざけた子もいる。
上の子の時、近所の子が友達のリコーダーを盗み、
全く知らない家の裏庭に隠した。
たまたま、別の子が見つけて、すぐに持ち主に届けたから良かったが。

私は、3年前だったか、財布を拾い交番に届けた。
またその数年前は、新しい自転車が放置してあるのを見つけ、
交番に連絡したら盗難車だった。
高校生が通学用に買って貰ったばかりの自転車だった。
無くなってショックを受けていたが、見つかりとても喜んでおられたそうだ。

我が家の前には、色んなハプニングが落ちていて?
私は何故か、巻き込まれる運命にある様だ。

結果が悪い事にはならず、誰かの助けになっていればそれも私の幸せ。


電車の中で、料理人がもっていた包丁を見て騒ぎになったけど
ついこの前も同じ様な騒ぎがあって、連続している。
人目につかないように工夫して持ち歩かないとそう言う事になる。 
お店で包丁を買って帰る時、
どこかで職務質問されて、刃物を持っているのを変に思われたらどうしようと
一瞬考える時がある。
最初は冗談で言っていたが、入れ物の箱が見えただけで通報された人もいるし、
誤解されない様、気を付けなくては。

先日の騒ぎは、簡単に布にくるんだだけだったのが誤解の元だったらしい。
しかも、それを人前で落としたら、そりゃびっくりする。
乗客がパニックになったきっかけがあったはず。
悲鳴とか、「刃物だ」とか言う声を誰かが発したのだろうか。
それがいつのまにか「刃物をふりまわしている」「火をつけた」とまでデマが広がった。

集団パニックになり、けが人まで。
誤解された人はいい迷惑だったろう。
持ち方が悪かったのも良くないが、何もしていないのに
まるで犯罪者のように騒がれた。

これとは種類は違うが、
以前勤めていた会社のある上司を思い出した。
上司自身が指示をし、やらせた仕事なのに、
それを実行した報告を部下がすると、
労うどころか突然大きな声で「えーっ!そんな事をしたの?だめでしょ!」
と叫んだのだ。

部下の人は、ほめられると思いきや、意外な反応をされ、
「いや、あなたの指示どおりにしたのですが」
と言おうとするが、それをまた大声でかき消そうとする上司。

周囲の人が「どうしたの。何かしでかしたの?」と寄ってくる。
上司は「この人、してはいけない事をした」と嘘を言う。
部下が「違います」と再び説明しようとしても、
上司は目を合わさず「次からは気を付けてよね。今度は目をつぶってやるから」と
また、強く言葉をかぶせて打ち消す。

お節介な他の人も「えーつ。だめじゃないの。そんな事しちゃ」
と注意してくる。
この上司もNPDで、周囲の人はフライングモンキーみたいなものだった。
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人によって態度をかえる上司なので、
被害にあう人は、この人以外にもいた。
だから被害者同士で気持ちはわかりあえていた。
理不尽さをもっと上に訴えても、上は騙されていたから無駄だった。

私もこの人の存在はストレスだったが、
他人だし、縁はいつでも切れると思えば気楽だった。

夫と共通点があるなと一番感じたのは、
「自分が一番」で「嫉妬深い」ところ。

あからさまに嫉妬が態度に出て、その相手をどうにか陥れようとする。
悪い噂、イメージを周囲に植え付けようとする。
勝手にライバル視して、自分だけに賞賛が来ないと気に入らない。

それにしても、あの突然の上司の大きな声は
集団パニックとまではいかなくても、
周囲の人に間違った印象を植え付けた。
一斉に集団で1人を責めたてる様な雰囲気にした。
ああやって故意に集団を煽り、人を陥れるなんてとんでもない事だ。

電車の中で、最初に誤解をして周囲にパニックを起こすきっかけになった人。
どんな言葉を口にしたのだろう。
悲鳴一つでも、それがきっかけで大きな事故を引き起こすかもしれないと思うと怖い。



朝目が覚めた時、不安な気持ちがよぎる日がある。
普通に起き上がれるだろうか、気分は悪くならないだろうか、
今日一日、元気に過ごせるだろうか。などなど。
目を開けるのが怖いのだ。
目を開けたら真っ黒だったり、歪んで見えるのではないかとか。
悪い暗示は良くないと思いつつ、その不安を振り切る。
目を開ける前に、足や腰を動かして身体をほぐしてから
そっと瞼を開ける。

そして自分に言い聞かす。
「さて、今日もやらねばならない事があるぞ。大丈夫。今日も元気だ!」
ベッドに腰掛け、足をぶらぶらさせてから起き上がる。

カーテンと窓を開け、外の空気を吸い陽を浴びる。
外が明るいとほっとする。

大丈夫!といつも心の中ではっぱをかける。
パニック障害と診断されたことはないけれど、
その予期不安みたいなものなのだろう。
過去に夫が原因で壊れかけた時からだいぶ回復している。
大丈夫だ。もうあんなストレスは無いし、健康になってると言い聞かす。

当時、夫は私の体調不良は自分が原因だとわかっていたはず。
舅からも注意されていた。
が、自分のせいじゃない、誰かのせいと、相変わらず人のせいにした。

自分が原因で妻が病んだとしたら、
自分をそうさせたのは誰だ。
悪いのはそうさせた誰かだ。

と、関係ない他人や身内のせいにして、
粗探しをしては誰かの悪口ばかり言っていた。
いつのまにか被害者は私ではなく自分だと話をすりかえた。

だから、夫に何を言っても無駄で、
関係のない第三者を夫が巻き込んで新しい被害を産むので
もう何も言わない様にしている。

証拠や記録を溜めて、いざと言う時に
事務的に、夫がどういう人間かを訴えれたら良いと思っている。
そんな機会も無く、すんなり縁がきれるならいいのだが。

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子ども達が社会人になった今、夫の事をたまに思い出して話題にする時の様子は、
「失望」と言う言葉がぴったりくる。
大人になって、親としても夫としても社会人としてもあり得ないと
自分に置き換えても、世の中の人を見渡しでも、父親はまともじゃないと確信した様だ。
何故こんな人が父なんだと悔しさや怒りも湧いた事だろう。

ずっと同居して仕事も真面目にして、子育てもしてきた父親であっても、
どこかずれた考えで子どもにストレスを与える毒親も存在する。
なので、子育て放棄とか勝手に出ていった夫のパターンじゃなくても、
べったりでも、子に恨みを持たれる親はいる。

出て行ってくれて結果的には良かった。
結果が良かったなら、ラッキー。
夫のトラウマは母子の楽しかった思い出が消してくれる。
時々、子の誰かがかわるがわる私に会いにくるので退屈しない。

普段は離れていて、干渉せず、たまに会って近況を話合い、
一緒に出掛けたりする程度の親子関係になっている。

大きな災害やトラブルがあったり、誰かが困った時などは
団結して助けあう、そんな関係がいつのまにかできている。
それも、夫がいなかったからこそできた関係だと思う。

だから私には不安になる要素は無いんだよと今日も自分に言い聞かせる。



以前、百均で、ラッキークローバーという花の球根を見つけた。
葉は四葉のクローバーを大きくした様な形だけどクローバーでは無く、
カタバミの仲間だそうだ。

今、大きく葉も伸びて、可愛い花が咲いている。
これから株が増えていくのが楽しみだ。
手もかからず、枯れないでずっと同じ状態なので嬉しい。
見た目も可愛いけど、名前が気に入った。

最近なにかと体調面で不安になるので、
明るい言葉を目にするだけでほっとする。

自分が1人でいるのが好きな性格で良かったと思う。
人によっては、若き良き時代の華やかで、贅沢できて
重宝がられた過去が忘れられない人もいる。
地味にパートで1人暮らしなんて耐えられない様だ。

どうしても自分の老いや社会での立場を受け入れたくなくて、
過去の栄光話を繰り返し、家に1人でいるのも辛そうで、
色んな人に電話をかけ、いつも誰かに構ってもらっている人もいる。

生き方は人それぞれ、性質があるので、
好きに過ごされたら良いと思う。
私は心が狭いので、過去の自慢話ばかり何度も聞いてあげる優しさや器は無い。
(夫でうんざりしている)

そう言う人に限って、人の話は聞かないし、
自分と似た様なタイプの人を嫌う。
       2011228MJ
         (サカタのタネより)

あの頃が良かったと思うのは、当然だ。
今の日本と比べれば確かにそうだ。
活気があって豊かで夢を持てたあの頃を
今の若い人に体験させてあげたい。

当時、世の中がバブルだったというだけで、
自分自身の能力とは別に考えた方が良いと思う。
あの頃、景気が良いのは自分の力と錯覚して、
脱サラして独立し、失敗した人は多かった。

あの頃、どんなに良い思いをしていても、
それは時代に流されていただけ。
本当の自分は、あの頃も今もずっと変わらない。
今の自分の状況は自分が創ったんだと認め、
自分と会話するのも面白いと思う。
過去とは別の幸せを沢山手に入れているかもしれない。

百円で、4個の球根が買えて、
可愛い大きな四葉とピンクの花を楽しめる。
「ラッキーなことが起こりますように。
世界中の人達にも幸せなことが起こりますように。」
と、祈ることだってできる。



寝る前に観た海外ドラマの影響だったのか、
久し振りに楽しい夢をみて、目覚めが良かった。
自分の単純さには笑う。

楽しいと言うか、うっとりする夢だった(笑)
地味だけど売れっ子の若い俳優さんと仲良くなって、腕を組み、一緒に散歩をする夢。
特にファンでは無く、好感のもてるな程度にしか思っていない俳優さん。
他に好きな俳優さんはいるのに。何故彼が出て来たのか、不思議だ。

高校生の頃、夢に同級生の男子が出てきて、
全く意識した事も、話した事も無い人なのに、
何故彼なんだろうと不思議になったのを思い出した。
他に気になる子はいたのに、何故って思った懐かしい思い出。
その後、特に何も起こらなかったけれど。
気になる夢~あるあるなのかな。

昨日は、夢の中の自分も若かった。
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出来る事なら、独身時代に戻ってやり直したいという願望?
次は絶対失敗しないぞ、と言う意志の表れ?
でも、何故あの俳優だったのだろう。
真面目で好青年のイメージだからかな。
どこかで、結婚するならこんな人なら良いだろうなと無意識に思っていたのだろうか。

自分の若い頃は、世間知らずで考えが甘かった。
どこか危なげな人が好みだったかも。
自分の力を過信していた。

私は、完全にターゲットにぴったりのタイプなんだ。

育った環境が影響しているのだろうか。
自分を大事にしていなかった。
犠牲になるのが正しいかのように親には思わせられていたから。

今更もう遅いけど、
夢の中だけでも幸せなひとときを過ごせたから満足。

これが、何か良いことが起こる知らせならどんなに嬉しい事か。



夫は、結婚するまでは私や両親に対する態度は普通だった。
いや、普通よりもやけにぺこぺこしていた。
必死で演技していたのだろう。
たまに本性がでた時、私は違和感を感じて、疑問をぶつけた。
夫はその度慌てて誤魔化していた。 
うまく誤魔化され、信じようとした自分の失敗なのだが、
今でも仕方がないと思うほど、演技や言い訳がうまくて魅力的な人に見えた。

結婚後、夫の本性を見て不快だったのが
”妻の親の前で、妻より自分が上”という態度をとりたがること。
これは、弟の奥さんも同じだった。
ちょっと考えれば、逆効果だとわかりそうだが、
夫と弟嫁はタイプが似ていた。

私の両親にまでもマウントをとり始めた。
何の根拠もなく、自分が上だと言葉使いや目つきが変わって来た。
結婚前とは全く別人。職場でも同じ。
騙されたとわかって誰もが夫を嫌いになる。

それを本人はわからない。

夫は自分の親には甘えて媚びていた。(私の前では、親離れしていると嘘)
自分と自分の親を世の中の一番上に置いている。

世間話をしていても、楽しい会話にならない。
すぐに「自分は」「自分の親は」と言う話に持って行かれ、
「俺様家族に勝てると思うな」的な結論で終ろうとする。
途中から、会話の相手は興ざめし、不快感も出しているが、
話に夢中な夫は、相手の気持ちも全くわからず、空気も読めない。

それどころか、相手が黙ると
「俺様の凄さに圧倒されてる。勝った。」
とばかりにニヤニヤして得意な顔になる。
(馬鹿じゃないの、恥かしい。馬鹿にされてるのに)と呆れる私。
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私は、以前は黙ってはいなかったし、何度も夫に注意した。
が、NPDには理解できるわけもなく、
言っても無駄だった。
相手にするとこっちが病んでしまう。

以前は人格障害についての心理学や、
モラハラやDVについても世間にはあまり浸透しておらず、
私も無知だった。

これまで、そしてこれからも、夫は、人生の失敗の尻拭いを、
私と子ども、実家に押し付けてきたし、今後もそうするはずだ。
人の話も聞かず、黙って勝手にやった結果は失敗の連続。
結果だけを人に押しつけ、あとは責任をとらない最低な男。
同性にも嫌われるタイプ。

私が父から相続財産が貰えると誤解していて、老後は
それをあてにしているはずだ。
態度を急に変え、ごまをすり綺麗ごとを言う、いつもの嘘で
私に擦り寄る事だろう。

自分が相続したものは隠し、人の物は自分の物だと思っている。
拒否されたら、罪悪感を与える脅しや嫌味を言って
被害者ぶるのも想定済だ。

生活に困ったら、また同居して妻子を奴隷にすればいいと思っている。
想像力が無いし、人の気持ちがわからない狂人に思える。

将来、父に何かあった時、もし夫に連絡すると嘘みたいに善人ぶって
すりよってきて、同居したいと言い出すかもしれない。
香典も1円もださない人間が、どの面下げてと言いたい。(真正のケチ)

だから、その時は、夫に教えないし、同居も二度としない。
もう夫は家族じゃない。
そうしむけたのは夫自身だし、孤独な末路にならなきゃおかしい。



朝からひざが痛い。そしてだるい。
昨日沢山歩いたから?
歩くのはいつものことなのに、ひざが痛くなるのは初めて。

足全体も重くて動きが悪い。
もしかして靴のせい?ペタンコの新しい靴をはいたせいかも。

かかと低めや、ペタンコは、自分にはあわないのかも。
少し横幅締め付け感ありで、かかとに高さのある方が疲れない。

腰に痛みがきていないから良いけれど。
20分位の室内運動をやりだしてから、かなり調子良くなっている。
色んな動画があるので、無理なくできるものから始めてる。
終る頃には、汗をかいて心拍数も上がり、筋肉疲労も気持ち良い。

ひざは起床時にぶらぶらするのが良いらしく、
毎朝、ひざを動かしてから歩き出している。
なのに…。

今日も、何度も動かしているけど、嫌な違和感。
ただの筋肉疲労でありますように。
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母は、若い時からひざが悪く、
高齢になると通院が増え、悪化しない様、
予防運動をして頑張っていたが、後には痛みで歩くのが辛くなり、
人工関節に換える手術をした。

ひどい0脚を気にしていたが、手術で足が真っ直ぐになり、
歩き方もスマートになり、かなり喜んでいた。

なのに、足の手術後2年で今度は腸の手術。
病気になるまでの2年間が一番笑顔の多い母だった。

今、自分がこの程度のことで痛いなんて、
当時の母からすれば、どうって事はないレベル。
しかも、父がいて、我儘な息子夫婦に利用されていた。
私も夫のことで心配をかけていた。
そう思えば自分は甘い。あまり気にしないでいよう。

最近、自分と同じ年齢の頃の母と比べてしまう。
今の平和な私の生活は、母がずっと待ち焦がれていたおひとり様の世界。
会いたければいつでも子ども達に会える距離で、自由。

結局母にはそんな生活は来なかった。
そしてあの頃、母が私に言っていた。
「あの人は、人のお金をあてにして生きる、ダメな人だったね」
と夫の事を見抜き、怒っていた。
母にはそういう事は鋭く見抜く面があり、
夫の愚痴を唯一話せる相手だった。

私と母と絶対に違う点は、
退屈な時、母はすぐに私に電話をかけてきた。
長電話をしてストレス発散していた。
その分、私にはストレスが残った。

私は誰にもそういう電話はかけない。
子どもにかけるなんて、絶対しない。

母は長生きをし、女性として幸せだったんじゃないかなと思う。
ただ、あんな風に精神的に辛い逝き方をしたのは可哀想だったし、
自分はあんな風に最期を過ごしたくないと思うけれど、
どうなっても仕方がないのかなあ。




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