かなり前の話だが、「子育て失敗した」
「子どもなんか産まなきゃよかった」
と、職場でしょっちゅう愚痴る人がいた。
親は完璧じゃないし、子どもが反抗したり、問題を起こしたりすると
疲弊して、誰かに愚痴りたくなる事だってあるだろう。
子育ては本当に大変で、嫌になるのは当然のこと。
でも、だ。自分だったら、そんな事は思っても口にはできない。
口に出さなければ自分が壊れそうになってるなら、
極々、身内とか、自分を良く知る人、
そして「あれはあの時だけの軽い愚痴。本心じゃない」と
分かってくれる人の前だけでしか言わない。
公の場で、被害者と言わんばかりの表情でそんな言葉を
口にしてしまったら、自分は一生後悔すると思う。
「自分の子育てが不器用で、未熟で、子どもには申し訳なかった。」
という意味ならば、自分は毎日思っている。
もっとこうしたらよかったと反省ばかり。
「こんな親だけど、我慢ばかりさせてごめんね。我が家に生まれてきてくれてありがとう」
と感謝しかない。
その気持ちを、子育て失敗だとは思わない。
子どもに原因は無く、自分だけの問題だから。
子育て失敗した=子どもは失敗作
と言う響きに聞こえる。
子どもに原因ありき、当てが外れたという印象。
「成績優秀で大人しい真面目な子」
「何でも親の言う通りにする良い子」
では無かったから、自慢できない失敗作だとなるらしい。
親が「子をコントロールするのに失敗した」ということか。
子には子の意志、好きな生き方がある。
親から見て、劣等生であろうが、
喧嘩が多いとか、苦労の多いお子さんでも、
自分が産んだ子どもじゃないか。
いらない、失敗とか、どうして口に出せるのだろう。
それは本心では無いと思って聞いている。
人の価値観もそれぞれだ。
負けず嫌い、世間体を気にする、義実家から非難されるなど、
その人の性格、環境によって、追い詰められることもあるだろう。
周囲からの圧にも原因があるのかもしれない。

私が自分の体験を通じて感じたのは、
親には、子どもを育て、守る責任がある。
子育てに成功、失敗、があるとしたら、
「成功」というのは、
”親がいなくても、1人で生きていける(自立した)人間にする”
という事なのだと、しみじみ、感じた。
(障碍や病気など、事情のある方は別)
とりあえずは経済的な自立。
働くのは生きる為に当然のこと、
大人になっても親を頼るなんてみっともない。早く親を楽にさせたい。
と、子どもが思ってくれたら、子育ては大成功だろう。
それ以上、何を望むのか。
「就職先が大企業じゃない」とか「学歴が低い」とかの世間体を気にする親。
反抗してくる子どもの気持ちを理解できず「子育て失敗した」
「こんな人間になるなんて」などと、怒りだす人もいる。
どんな事情があったとしても、自立して親離れしてくれたら大成功じゃないの。
子は、親の所有物でも、世間体の為の道具じゃない。
謙遜のつもりで口にしたとしても「失敗した」の言葉は引っかかる。
むしろ、私から見て、こういう風に言われる人のお子さんは、
大成功例だと思えるし、むしろ、自分をしっかり持っていると思う。
何が不満なのかと思うほどだ。
もし、自分が子育て失敗したと後悔するとしたら(犯罪者になったら当然のこと)
社会にでても、人に迷惑(被害)を与えているとか、
健康なのに働くのを嫌がり、人のお金をあてにするとか、
冷酷な人間になっているとか、
一言で言うと、人格に問題ありな大人になった場合だろう。
今でも、成人した我が子に説教する時もある。
親しか叱れない場合もあるから。
まだ、社会人として未熟で常識の無いこともあるし、
教えてやらないといけない事もある。
逆に、自分が子どもから叱られ、はっとする事も多い。
幸せは、勝ち負けでもなく、比較できるものでもない。
欲を出せば永遠に幸せを感じられなくなる。
ウクライナ情勢を見ていると、他人事じゃない。
平和な生活、人の命なんて、
突然、いつどうなるかわからない、儚いものなのだと感じる。
人間とはつくづく愚かなもの…。