りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

2021年10月




昨日は、弟が家に保管していた着物を持ってきたので、
持ち帰れる分だけ選び、他にも私が買って送った衣類などを探して
段ボールに詰めた。

腕時計はどこを探してもなかった。

こんなに慌てて探す必要もないはずなのに、
父がいつ捨てるかわからないから仕方ない。悲しいけど。

私は「仏壇のお参りと、忘れ物をとりに立ち寄った」
とメモとお土産を置いておこうと思っていた。
留守と知らずに来たと。

そうすれば、堂々と過ごせる。
ゴミ一個触らないように過ごせと言われても、息が詰まる。
実家なのに、なぜそこまでしないといけない?
と、悲しくなる。
自分の荷物も触れない?変だよ。
特に弟がうるさい。まるで父の代理人みたい。
ゴミ一個、残すな。持ち帰れと言う。
言われずとも、そうするつもりだよ。💢

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メモを置けば、弟にも迷惑かからないし
物が多少動いても、父は納得する。
それを、弟は反対する。
誰も来なかったことにしたい。だから
気をつけて何も触るなと。
いざとなると、父の顔色優先。
母の息子への不信感も
こういうところだったのだろう。

弟が積極的に協力してくれたから嬉しかったけど、
途中から、父が怖くなってきたのか。
父は、年齢的にも、いつか私の顔も
わからなくなるだろう。
言うこともクルクル変わるだろう。
振り回されないようにしないと。

私は今日帰るし、
後は勝手にどうぞみたいな気分。

ある時は、頼りになるし、
今回も協力してくれたけど、本心がよくわからない。

こんな実家帰りは苦痛でしかなかった。
離れてわかる自宅の居心地の良さ。
まあ、夫がいたら別だろうけど(笑)



疲れた。
駅に到着した頃には外は暗く、弟が迎えにきてくれ、
近くのファミレスで夕食を一緒に食べた。
約8か月ぶりなのに、実家にいたのは
ついこの前の様な気がする。
今回は、もう母はいない。

父の愚痴などを2人で話した後、
自分の食料を買い物してから実家に行った。

弟から、くれぐれも、物を動かさないようにと注意された。
弟が留守中に来るのは日常なんだから、
自分が触ったと言えば済むのになあと思いながらも、
なるべく触らないようにして、
早速、探し物をする。

家の中は、散らかり、床はゴミが落ちたまま、
物が増えて狭くなり、汚い。

私が帰省していた時に、来客を考えて
掃除していたのは、全くの無駄だった。

驚いたのは、押し入れや、食器棚などの中が、入れ替わっていたこと。

探していた物がどこにいったか、わからない。

物が減っている気がする。
母の衣類が。
捨てたのか?

ガラクタやゴミは散乱し、母の形見は捨てる?
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前回、バタバタして帰宅した時に
捨てられるような気がして、とっさに目の前にあった母の形見の一部は、
持ち帰って正解だった。

時計が見つからない。
私が就職記念にプレゼントしたもの。

亡くなる前まで使っていてくれた。
私が引き出しに入れたのに、父がどこかにやってしまった。
捨ててなければよいが。

家の中は、負のパワーが澱んでる気がして、疲れた。

また弟と一緒に探してみようと思う。


弟から連絡あり、予定通り父が留守をするとのこと。
急いで家事をすませ、カバンの中をチェックし、
さあ、出発。

駅に弟が車で迎えに来てくれると言う。
助かる。待っていてくれる人がまだいるという安堵感。

旅行は好きで慣れているはずなのに
小さいカバンを持って、実家に行くのに
何だか緊張している。
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変な不安がある。
コロナであまり遠出をしなかったからなのか、
父の留守にこっそり行くからなのか
もし、これが母が残っていたら
もっと気楽で、何の心配も無く、
いつでも行ける時に行けたことだろう。

 あまり欲張らず、今回は仏壇をお参りできれば良しとしたい。



弟から、多分今夜には父の予定がはっきりするから
分かり次第連絡するとのこと。

明日の昼に出発出来る様、小さいカバンに着替えだけ詰めて準備した。
コロナが落ち着いている今、行かないと
6波がきたら、行けなくなる。

準備をしていると、何故か気持ちが落ち込む。

何故?やっと実家に帰れるのに。

父の歓迎が無く、留守中に行くことが一番のストレスだけど
それは別として、落ち込む理由がわかった。 

母がいなくなって初めての帰省だからだ。

最後に帰省したのは、母の転院の時。
病院の外に出た時なら会えるかもと、母に会う為に帰った。
そのまま、ひたすら面会許可がおりるまで我慢し、
毎日電話で話し、看取ることもできた。

あの時は、まだ母が体力、気力もあって
電話でも普通に話せていたから
今から帰るよ!と言って、母もコロナを心配しながら
会えるのを楽しみにしていたし、
父の世話をする人がやっと来てくれたと
私の帰省を本当に、助かった、安心したと言っていた。

だから、これまでは、帰ると母が待っているというのが
当たり前だった。

今回は、誰も待っていない。
仏壇の中の母だけ。
弟も待っていてくれる感じではある。
兄弟もいなかったら、もっと暗い気持ちになったかも。

故郷に弟がいるというだけで、救われる。
駅まで迎えに行くよと言ってくれる。
「お帰り」と言ってくれる人の存在が、こんなに温かいものだとは
失って初めてわかるものなんだなあ。
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葬儀の後に自宅に帰った時も、
凄い喪失感があった。

それまでは、毎回「無事に帰った?大丈夫だった?また来てね」と
母が電話をくれていた。
初めてそれが無かった。
あの日は、母を看取った直後で、まだ心が動揺していたから。

その代わり、弟が連絡をくれた。
それで、気持ちが落ち着いた。

今回は、母がいなくなって初めての帰省だから
こんなだけど、一度克服?すれば次からは慣れてきて
喪失感も薄れるだろう。

長年の習慣が突然変わった時は、
慣れるまでは戸惑うものだ。
親が元気で長生きだったからこその
贅沢な感情だと思う。

理想的な見送りができたと自分は満足している。
コロナのせいで、面会がなかなかできないまま
やってあげたい事が出来ないままだった事が
ずっと心残りでいる。
父より先になってしまった母の悔しさも
自分に置き換えてしまい、いつまでも残る。

上手くいけば、明日帰省し、
こっそり、わからない程度に整理し、
ついでに心も整理することが出来ればいいなと思う。



昨日の眞子さんとKKさんの会見に脱力。
もうどうでもいい。暗い気持ちだけが残った。

話題を変えて。
最近、起床と睡眠に入る時間がずれてしまっている。

朝は、5時前後に目が覚め、夜は9時にはうつらうつらしている。
我慢できないほど、眠くなる。

眠くなる、眠れる幸せ。
涼しくなったし、老化のせいもあるだろう。

ただ、これまでより、眠る力が復活してきたのが嬉しい。

太陽にしっかり当たった日は、特にぐっすり眠れる。
体内時計は正直だなあ。

かつて不眠になった時は辛かった。
精神的に参る時は、まず不眠が始まる。
睡眠は大事だ。
母が亡くなる前の兆候として、睡眠が狂いだした。
朝と夜の区別もつかなくなり、
寝たり起きたりを不規則に繰り返していた。

今、眠れるうちに体調を整えておこうという気がする。
なるべく太陽にも当たろう。

特定健診も受けないといけない。
実家から帰ったら、申し込もう。
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実家に帰れると思ったからか、
最近は、ベッドに入ると母を看取った時の場面が甦る。

今朝も朝早く目が覚め、お茶を沸かそうと
リビングに行き、ライトをつけた。

すると、LED電球が、チカチカと合図の様に点滅した。
不良品だったのか。
何で今頃、壊れる?
人によっては、これもラップ現象かと思うかな。

そういうことにした方が、あの世との交信みたいで楽しい。
母が、私が実家に帰れることを喜んでいるのかな、
もうすぐ会えるねと実家で待っているのかもしれない。


 


弟から連絡があり、
父が月末に3泊4日の留守をするという。

やっとチャンスがきたか。

葬儀の後、追い返されたまま
新しい仏壇も見ていない。

母のお骨がやっと帰宅した直後に、母と私は父によって離された。

実家なのに、私の部屋も物もあるのに
自由に出入りできなくなった。

勝手に自分の物まで捨てられる不安解決と母の形見を守る為に
とにかく、早く帰りたかった。

父には、内緒だ。
だからあまり物の位置を変えたりできない。

弟は、自由に出入りしているので
何か言われたら、弟が触った事にしてもらう。

家の中は汚いだろうなあ。
掃除したいが、我慢。
父がいないので、こっそり実家に泊まる。作業に時間かかりそうだし。

新幹線で行く予定だが、1泊2日で高い旅費は痛い。
2泊できればいいのだが。

父の気分がいつ変わるかわからないので
前日まで決められない。
でも、すぐに行けるように準備はしておく。
コロナが落ち着いている今がチャンスだ。
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母が待っている。
でも、こんな形で実家に帰ることになるなんて。

母もまさか父がここまで酷くなるとは想像しておらず、
亡くなる前には
「あなたが今、一緒にいてくれるから、お父さんは気が紛れているけど、
家に帰ったら、淋しくなると思うわ。 あなたがいてくれて良かった。
何の心配も無い」
と、父の事は、娘に任せれば安心と話していた位だ。

父が娘を可愛がるはず、と信じていた。そう感じる事もあったから。
私が結婚した日の夜、父は布団の中で号泣していたそうだ。
母からそれを聞いて、父親の愛情を感じた。

でも、今ではこうなった。
まさかの、娘排除だった。

理由は全くわからない。父の口から出る言葉から推察すれば
男女差別位しか思いつかない。
娘は他人だ。息子はうちの人間。後継ぎ。そういう古い感覚。

でも、実家では、他人であるはずの?娘をこき使い、
息子夫婦と自分はお客様な態度をとる。
矛盾している。だから尚更、腹がたつ。
男女差別するなら、嫁さんも差別するかと思えば違う。

娘差別というのが正しいかもしれない。

壊れた父は、もうどうにもできないから好きにさせる。

弟に協力してもらい、宅配で送ったり、弟に預けたりしようかと思う。
弟も、普段1人で抱えているストレスも、
私と愚痴る事で、少しは和らぐと良いが。

それにしても、実家なのに、こんな事、馬鹿らしいなあと思う。
父が施設に入れば、こんな苦労も無くなるだろうが
父が在宅しているうちは、帰りたいのに帰れないなんて、
いつまで、続くのだろう。

母が可哀想で仕方が無い。
墓参りもなかなかできない土地に1人ぼっちで置かれている。
実家から遠いので、時間も無く、今回はいけない。

先日みた母の夢の内容は思い出せないが、
実家で、母が私に、こうしてああしてと何かを頼んでいる夢だった。
その言葉を思い出せない。
でも、私に実家で何かをしてほしいという夢であることは確か。

わかってる。とにかく行けるようにするから待っててね。
と語りかけた。


眞子さまがいよいよ明日結婚される。
KKさんと記者会見も。

明日はさぞ、マスコミが賑やかな事だろう。
それにしても、残念な形になった。
これまで、皇室のご結婚は、国民にお祝いムードを盛り上がらせ、
ほのぼのとした気持ちと活気をあたえてくれた。

こんな中途半端な、
すっきりしないご結婚話があったろうか。

どう考えても、最初から簡単に解決できる方法はあったのに
何もせず、恩人にお金も返さず、更に人のお金で留学し、
就職まで支えて貰い、皇室を利用しているイメージを持たれた婚約者、
そして、問題の母親の行動。

まともな人なら、息子の足を引っ張ってはいけないと
母親がすぐに解決の為に動くだろう。
それもせず、更に問題を大きくしている。

これだけ、世間から暴露され、非難されているのに
辞退もせず、堂々としているのが凄い。
こんな人もいるんだと、ショックを受けている。

大人なんだし、結婚は自由。喜んであげなよとか
KKさん、頑張っている、凄いじゃないかと
心から応援する人も多いだろう。

問題を解決しようとする努力が見られないのが引っ掛かる。
長い説明文も言い訳に感じたし、上から目線で、恩人への感謝も感じられない。
人のお金は自分のお金みたいな理解できない感覚の持ち主?
過去の家庭の不幸な話も怖いし、
もし、自分の近くにこの方達がいたら、関わるのを避けたいと思うかも。

全てではないが、基本、夫と似ている気がする。

だから、KKさん親子が、
結婚した後、眞子さまに対してどう変わっていくかがとても心配。

眞子さまがPTSDになった
そもそもの原因は、KKさんにあるだろう。

反対される根本的理由から目を背け、騒ぎだけを問題視するのは
誤魔化されている気がする。

夫と結婚する前の自分を見ている様。
(皇室というのは別に考えて、単に結婚することにおいて。)
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眞子さまにとっても、KKさんは必要な相手であるのだ。
皇室から早く出たい、
結婚したら夢の世界が待っている、
自由になれる、
愛情以外に、自分の願望を実現する為に必要な存在。
せっかく掴んだチャンス、ここで諦めたら
一生、皇室を出られないかも、という気持ちの強さもあるのかもしれない。

KKさんと眞子さま、お互いの夢の実現の為に
必要な存在で、絶対に縁を切る事はできないのだろうと
勝手に想像している。

私なんて、貧乏な平民ごときでも、
結婚したら、後悔したのだから。
眞子さまは、環境が変わられるだけでも大変なのに、
問題を抱えたままのご結婚では、ご苦労されるのではとお節介にも心配する。

誰でも、若い時は盲目になるし、突っ走りがち。

明日の記者会見は、無難に終わるのかな。

それにしても、KKさんの顔つきが変わったのは驚いた。

これは、個人的な勝手な妄想話。

娘が心配でならない親心みたいなもので
眞子さまの幸せを願っているからこそ複雑な気持ちになる。


夫は、お茶を入れてあげると
「有難う!」と言う。
外出から帰ると「お疲れさま!」と声をかけてくれる。

一見、とても良い旦那様に見える。
このノリだけで1日が終わると、とても平和で 、
有難うも言わない、妻を家政婦としか思っていないような無愛想な旦那さんに比べたら
とても優しいご主人じゃん、みたいに言われることだろう。

どっちが愛情のある人か、
それだけではわからない。

この軽いノリの感謝の言葉や
「お、凄いね!」「おう、いいんじゃない?」
みたいな爽やか、理解ある人モードが夫の表の顔なのだ。

浅ーい軽ーい付き合いなら、
気さくで付き合いやすい人の印象を受ける。

でも、本当に極浅い付き合いでないと駄目。

深くなら、数日付き合えば、すぐボロがでる。
例えば、友人が脱サラして独立を考えて居たとする。
「おお、良いんじゃない?応援するよ」
と、とても良い返事をして、
資金も援助するかのような事を言う。
「その道に詳しい知りあいがいるから紹介するよ」
と人脈もあるかのように話す。
相手が感謝して、お願いすると
何日たっても、夫は何もしない。

問い合わせると「は?そんな事言ったっけ」
ととぼけたり、言い訳をしたり、
その時の顔付きも、言い方も別人のよう。

何か俺に文句ある?みたいな。

「それならそうと、できないと早く言って下さいよ。応援してくれると言われたから、
そのつもりでプランを作り、頼りにしていたんですよ」と
苦情を言われると、夫はキレて、話をそらし、
「そもそも君は人をあてにするのがいけない」だの、
「そんな事を言ってると、失敗するよ」と説教をし始める。
それどころか、何も成功してないのに、俺を見習えと言い出す。
相手の方が、夫より優秀であっても。

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相手の方は激怒し、二度とこの人とは付き合わないと縁を切る。

夫は「全くあいつはダメだなあ。僕が指導してやろうと思ったのに」
と何も事情を知らない人には、被害者を悪く言いふらす。

夫は常に無意識に嘘をつく。
自分を良く見せようととっさにその場を繕う。

心が無くても、言葉をだせば良いと思い込んでいる。

感謝してなくても、有難う!と大げさに言い、
助ける気は全く無くても、助けてやるよ!と強い口調で言う。

その場だけの、いい格好の為だけに。

自分の言葉には、一切責任を持たない。

その場だけ自分が良い人であれば満足で、結果人を傷つけても平気。

「有難う」「お疲れ様」を言わない人は常識が無いとか
良く説教をしている。
そりゃ、言った方が良いのだが、
心に無く、騙す目的で言われるなら、言わない方が良い。

自分は常識人だと思っているのだろう。

表の顔が常に偽者だから、人と出会う度に被害者がでる。
私が、友人に夫の話をあまりしないのは
表しか知らない人から見れば、あんなに優しそうなのにと
信じて貰えないからだ。
こんな人格の人と出会ったことの無い
幸せな家庭の人には、信じてもらえなかった。

ただの我儘、贅沢な愚痴と思い込まれて
話にならないので、それ以来、話さない。

第一印象に騙されない様にしないといけない。
私は、かなり人間不信になった気がする。


家の中には、夫の物は殆どない。
長い別居の間に少しづつ減って来た。
夫が帰宅するたびに持って行った物も多い。

着替えも長年使わないままなので、
サイズも小さくなり、デザインも古くなり、
徐々に捨てた。

夫の物で、高価な物や役に立つ物は何も無い。
ゴミ同然の物ばかり。

昨日、夫の衣類をチェックして1部処分した。
黙って捨てても、夫には記憶の無い物ばかり。
何もわからない。

が、もし「自分の物を捨てた」事を知ったら、
どんなに自分が忘れ、放置していた物でも、嫌がらせをする。
人を虐める口実に使うのだ。
「それは、使うつもりだった。どうしてくれる、弁償しろ」
と、嘘を言い、相手を困らせる。

私は、その手はお見通しだから
で?と言って終わり、相手にしない。
いくらでも、反論できる。

私はターゲットとして向いてなかったと
夫が今更後悔しても後の祭り。
そんな嘘の嫌がらせ、通じません(笑)。


そのうち、全部の物を着払いでドーンと送ってやろうかと思う。
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卒業アルバムなども、全て何も残さず送れば、
「さようなら、もう2度と一緒に暮らす事はないでしょう」
というメッセージになる。

靴箱には夫の靴は1足も無いし、
タンスの引き出しにも夫の物は無い。
押し入れの衣装ケースに入れてあるのみ。

他に夫の物を集めても、段ボール1個ほどしかないと思う。

夫は浪費家で、計画性が無く、ただお金を使う事が好きな人。
買った物は大事にしない。
部屋にポイと置きっぱなしで、使わず捨ててしまう事がほとんど。
人間の扱いと同じ。

夫の部屋は、そう言った不要な無駄使いの品で溢れていると思う。
そして、臭いと思う。

以前、解雇になり、社宅を追い出されて、
行くところが無く、一時的に荷物と一緒に帰宅した事があった。
荷物を見たら、無駄使いをしているのがありありとわかった。

すぐにまた何も相談なく、言い訳しながら前の土地へ戻って行ったが、
あの時の夫は、別居で一度自由を味わったことで
二度と家族とは暮らせない、暮らしたくない、
責任が重いのは嫌だと、あからさまな態度だった。

ちょうど、子どもが受験だったり、これからお金もかかり
大事な時期だという時だった。
それが嫌でたまらなかったのだろう。
子の応援もできない、自分が楽になる事しか頭に無いのがはっきりした。

自分から出て行っといて、自分を大事にしろ、
自分が放置した物を大事にしろとは
調子よすぎる。


夫の物は、いざと言う時に1個残らず送りつけてやろう。
さようなら!という合図として。

おそらく、向こうも、2度と同居はする気もないだろう。
病気になるか、無収入になった時以外は。
その時、私が受け入れないつもりでいることを
向こうは知らない。



 


そろそろ喪中葉書の準備をしないといけない。
辛いなあ。まだどこかで母がいるような気がする。

何気ない事で、つい「今度母に話そう」とか「これ、見せなくちゃ」とか思ってしまう。

「あ、もういないんだっけ」とその度、思い知る。

父は、元々電話嫌いで、全く話さなかったし、
今なんて絶縁状態。耳も遠くてだめ。
これが、昔から良くお喋りする人だったり、
娘を可愛がってくれる人だったら
今頃は、実家に遊びに行ったりしていたと思う。
そうするつもりだった。
喜んでくれると思っていたから。

母が残っていたら、そうしていたと思う。 
弟の為には、父が残った方が良かったかもしれないが
(母だったら、お金を弟が使いこんでいたかも)
私にとっては、毒親みたいだったけど、今の父よりまだずっと母の方が優しかった。

昨日、母の遺品の指輪をはめた。
一度ははずしたが、またつけた。

「着物もネックレスも、今のうちに全部あなたが持って行きなさい。」
と入院中に何度も言っていた。
ネックレス類は、先に持ち帰ったから、父に捨てられず良かった。

父は、娘が使うとは頭に無いのだろうか。
母の形見という意識が無い。

気候も良いし、コロナも落ち着いた今、すぐにでも実家に行きたいが
父が毎月留守をする予定のはずが、今月はまだ予定がわからない。
留守の時に行かないと、何もできない。
立ち寄った事は、後から手紙で伝えるつもり。
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父は、母が元気でいる時は、救急車で運ばれたり、
貧血でふらふらして、ボーッとして、母より父の方が先かもと
母も私も思っていた。

それがあるから、まさか自分が先だなんて、
母は悔しくて最後まで辛かったのだろう。
皮肉なことに、母がいなくなった途端、父が元気になった。

妻に先立たれ、何もできず、弱ってくるのではと
誰もが思っていたら、正反対だった。
それどころか、いなくなるのを待っていたかの様に、
母の悪口を言いだし、母の物を邪魔、お金を無駄使いしていたと言う。
無駄使いどころか、若い頃、辛抱辛抱で苦労していたのは知っている。

認知症が進んでいるのかと思ったが、
以前より、しっかりしてきて、何とか暮らしているから、病院にも行かない。
助けようとしたら、嫌がる。自分は若い、馬鹿にするなと言い出す。

でも、年齢的に父も先は短い。
何があっても覚悟しているし、父もやがては孤独が辛くなるだろう。
いつまでも、このままだとは思っていない。

でも、今は、実家に自由に寝泊りできず、自分の物もへたに置いておけない。
私の物も捨てられそうで心配。

施設に入ると言って、探していたのに、
いざとなると自信がついたのか、気が変わった様だ。

来月には留守をするだろうか。
母の形見を早く取りに行きたい。

これを書いていたら思い出した。
昨夜、母が夢に出てきて、私に色々話しかけた。
その内容が思い出せない。

これまでは、出てきても黙っていた、
昨日は違った。
一生懸命、何かを私に話していた。
何だったけ。思い出さなきゃ。

早く、会いに来てと言うことだったのかなあ。
待っててね。きっと行くから。


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