りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

2021年08月


足の痛みは、だいぶ治まって来た。
油断するとピキッとくる。

靴を底の柔らかい物に変えたので
歩くのは大丈夫。
運動不足で筋肉が落ち、脂肪はどんどん増え(´;ω;`)、
ちょっとした姿勢で、痛みがでるんだろう。

外に出て、運動したいとは思うが、熱中症とデルタ株が怖い。
あと少しの我慢。

かといって、食料品、日用品の買い物には行かない訳には行かず、
なるべくまとめ買いして、回数を減らしている。

久し振りに大型スーパーに行った。
平日だし、広い店だからソーシャルデイスタンスが保たれるかと思って。

ところが、とんでもなかった。
平日なのに、客が多かった。

コロナ禍とは思えないほど、商品に人が群がっている。

棚から人がなかなか離れないので、買いたい物を見る事ができない。

やっと人がいなくなったので
目指す品をとろうとしたら
かかとにガツンと衝撃が。

おばあさんが、カートを私の足にぶつけたまま
くっついてきて、品物を選んでいる。

どうして人にくっついてくるの。
しかも足にカートをぶつけたまま知らん顔。
怒りより、呆れた気持ちになって
即、その場から離れた。

どうして、平気で人にくっいてくるのだろう。

デルタ株の怖さ、知らないのかなあ。
良く見ると、高齢者が目に付く。
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ワクチンうったから大丈夫と安心しているのだろうか。

いやいや、運び屋になることもありますよ。
自分はかからないからいい、と自分の事しか頭に無いと
そういう行動になってしまう。

人にうつしたくないと思えば
もう少し、慎重になりそうだけど。

人とすれ違う時には、
なるべく息を止めている。

そういう私も、他人から見れば、わざわざ人の多い場所に
出かけている暇な人に思われるのかも。

不特定多数の人がいる場所では、本当に神経を使う。

愛知県のフェスの映像を見て力が抜けた。
あれでは、クラスターにならない訳が無い。
あの人たちは、帰宅した後、周りにどれだけ迷惑かけることか。

発症して自宅待機にされたら?文句を言うのだろうか。
自分から感染しに行ったに等しいと思うのだけど。

がっくりと力が抜けた。
いくら皆が努力しても、医療従事者の方々が頑張って下さっても、
一部の人があれでは…。

アフガニスタンの件といい、
日本はここまで堕ちてしまったのかとがっくりする事の連続。

何か、スカッとする事ないかなあ。







元上司は話してきた。

「元妻は、子どもが欲しかったらしいんだ。でも、僕がいらないと言っていたから
それが不満だった。でも、いつかはできるだろうと希望は持っていたらしいが、
子宮の病気が悪化して全摘手術になってしまった。

手術後、実家に帰ったまま、うちには帰って来なかった。
そして、突然、離婚調停の通知が届いた。

僕は、離婚する気は全く無くて、理由を聞いたんだ。
そしたら、結婚する前と話が違うと怒っているんだ。
妻は子どもを早く産んで専業主婦をしたかったらしい。
収入は少ないし、僕が子どもを欲しがらないし、
共稼ぎをしないといけなかったし、全てが不満だったと言うんだ。

医師からは、早く子どもは産んだ方がいいと言われていたのに。
あなたは協力してくれなかった。
私は子どもを産めない身体になった。
あなたと結婚したが為に、人生が狂った。
もう一緒に生活したくない。こうなったのはあなたのせい。慰謝料も請求します。
というのが奥さんの言い分だった。」


奥さんに電話をしても出てくれず、やりとりは全て弁護士とだったそうだ。
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調停は長引いたが、結局2百万の慰謝料を渡して離婚成立。

私と話す元上司の口ぶりは、
「ここまできて、こんな事になるとはね」
と苦笑いしていた。

若い時は、自分の方が、離婚したいと思う事が多く
奥さんが別れたがらない様な力関係?だったそうで、
絶対、向こうから言い出すなんて思ってもいなかったそうだ。

「妻が実家で長く過ごした事も一因かな。親に何か言われたのかも」
と言っていた。

確かに、受け入れてくれる場所、応援してくれる場所があれば、
人生をやり直すのに心強い。
若い時なら、親に旦那さんの愚痴を言っても
親は、そう簡単に離婚してほしくない訳だし、
もう少し我慢しなさい、みたいにしか言われないだろう。

でも、早く孫を見たかったご両親にとっては、
娘の身体のことも、子どもを生もうと思えば生めたのに、
そのチャンスを奪われた訳で、
娘の旦那さんを恨む気持ちがでてきても仕方ないかもしれない。

話を聞いていて、元上司は、全く自分が悪かったとか、
後悔もしているふうには思えず、
「今更そんな事を言われてもねえ」
みたく、他人事、そして
2百万も出してやった、と自慢する。

この人は、こんな人だったのか。
若い時しか知らないけど、そんな感じはしていたけど、
何も変わっていないんだな。
と、残念な気持ちになった。

それから、しばらくの間、連絡もとっていなかったが、
久しぶりにラインが繋がった時、
元上司は、実家で1人暮らしをしており、
パーキンソン病になっており、
色々、苦労しているようだった。

あの20代の、溌剌としたモテ男だった彼が
こんな風に変わってしまうとは
人生ってわからないものだなあと
ため息がでた。





はるか昔の話になるが、
新卒で入社した会社で、一番近かった元上司とは
今でも、年賀状だけはやりとりしている。

最近、ラインが繋がり、
時々、お互いの近況を連絡し合うようになった。

私が入社した時の先輩は 、結婚したばかりだった。

上司とは言っても、まだ28歳で若かった。
毎日、新婚生活をのろけられ、
私たちはうんざりしていた(笑)

当時はもてるタイプの人だったので(ヨン様似)
奥さんは心配だったと思う。
勝手に妄想され、やきもちを焼かれた女子社員達は迷惑していた(笑)。

元上司は「僕は子どもが嫌いだからいらない。」
と言っていて、奥さんは同意しているのかなと
周りは心配していた。

当時、元上司は私にこう言って来た。

「妻は子宮に問題があって、
子どもが出来にくいと医師から言われたんだ。
出来ない訳ではないが、放置してるとできない身体になるから
子どもは早く生んだ方が良いらしいんだけど。
僕は、今はまだ収入が少ないし、子どもは嫌い。
今はいらない。もっと後でいいと言ってる。
妻に毎晩泣かれててさ、嫌になるよ。
離婚する気はお互いに無いけどね。」
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一緒に残業した時など、
人がいない場所で奥さんの愚痴を聞かされた。

奥さんに同情したし、元上司に対して嫌悪感まで感じた。

が、仕事面ではできる人で
新人の私たちへの指導が素晴らしかったので
公私混同はしなかった。

その後、私が寿退社し、県外に引っ越し
元上司とは年賀状のやり取りだけになった。

15年程過ぎた後、突然、「離婚しました」と印刷された葉書が
元上司から届いた。

同時に彼から電話もきて驚いた。
離婚するまでに色々あった様で、疲れた口調だった。
誰かに、愚痴を言いたかったのだろう。
私なら、もう関係ない人間で、事情を知っていたので
言いやすかったのだろうと思った。
                    続く






昨日は、せっかく猫ちゃんが遊びに来てくれたのに
出かける前で遊べなかった。

私の顔を見つけると
ニャーンと声をかけてくれる。

昼は暑いから、お家にいるのかな。

朝の涼しい時に外に出るんだね。

また来てね、待ってるからと思っていたら
昨夜は、犬をペットショップで買った夢を見た。

もう飼うつもりはないし、
仮に飼うとしても、ショップにはいかない。

殺処分されそうな子、迷子の子猫や捨て猫、捨て犬など
行き場の無い子を歓迎したい。

夢の中で、犬に癒されていた。
やっぱり、動物はいいなあ、癒されるなあと思ったが
責任感がどっと来て、重荷に感じ、
やっぱり無理かなあと迷う夢だった。

人は生まれ変わったら
また人間になるのだろうか。
霊の時は、動物に憑依して会いに来ないかなあ
などと、色々妄想してしまう。

犬や猫であっても、心は通じるのだから、
どんな姿であっても
言葉は通じなくても、魂の会話はできる。
出来ない人もいるだろうけど、それはそれでいい。

心が通じる人のところへ動物が寄ってくる?
みたいな気もしてきた。
動物の好き嫌いが動物にはわかるというのは
そういうことかな?

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以前、用事で、知りあいのお宅へしばらく通った。
玄関には、番犬が繋がれていて、見た目も怖くて
家の前を人が通るたびに吠えていた。

近所のおばさんが
「うるさいわね、全くこの犬は!」
とぶつぶつ言いながら通ると、益々、そのワンコは吠え返していた(笑)。

初めてそのお宅に行った時、
ワンコは吠えずに、クゥン、クゥンと私にくっついてきた。

お宅の人は、慌てて「嫌なら、離れてね。怖いでしょう」
と気を使っていたが、私は嬉しくて、ワンコをなでなでして
大きな犬なのに、抱っこもしようとした。

初対面で、いきなり番犬とハグした私を
唖然とした顔で見ていた飼い主。

「ほとんどの方が怖がって、誰も近づかないんですよ。
じゃれたのはあなたが初めてですよ。」
と驚いていた。
ワンコが吠えないし、甘えてくれたから、それに答えただけで、
私から仕掛けた訳では無かったのだけど。

それ以降、そのワンコは、遠くから私の車の音が聞こえてくるだけで
クゥン、クゥンと甘えた声ではしゃぎだすと聞いた。

十数年間前、小型犬を飼うまで、全く犬に縁が無かった。
自分は犬に好かれるのかなと、この年になってやっと少し自信?を持てた。

ワンコの目が何かを訴えている。
その目をじっと見ながら、話しかける。
すると、心が通じている気になってくる。

動物好き、ペットを飼っている人なら、共通する事だと思う。
私だけでなく、こういう方は多い事だろう。
人間より、ずっと純粋で綺麗な心の持ち主。

我が家にいた小型犬も、夫よりも、ずっと責任感が強く、
家族を守ろうとする気持ちが感じられたし、助けられた。
亡くなる前には、何度も何度も感謝の言葉をかけた。

昨日の、犬を飼う夢は、家を守ってくれる存在を
自分が求めているのだろうか、無意識に。
なんて考えてしまった。

現実には、ありえない話だが、
それだけ夫に失望したという事だろう。


 


友人から、ラインがきた。
別の友人に、二人目のお孫さんが生まれたとのこと。
その文の中に
「内孫で長男がやっと産まれたらしいよ」
という言葉があった。

このラインをくれた人は私よりも若いのに、古臭い表現をしていて驚いた。
この時代に、内孫、外孫、長男がやっと生まれたとか、
(すでに上に女の子の孫がいる) 
そんな事を気にする人がいるんだと驚いた。
おそらく、当事者もこの人も同じ感覚の持ち主なのだろう。

内孫、外孫という言葉は、
私が最初に出産した時に、両親が何度か口にしていたが、
すぐに言わなくなった。
世間とは真逆の対応をしていたせいかもしれない。

内孫は、跡取りの子、親と同じ名字の子。自分の家の子。
外孫は、娘の子、よその家の子、ということ。

結婚は、男女同等であり、男女、順番関係なく親の相続人である。
はるか昔の法律と今とは違う。
古い考えに執着している人がまだ存在する。

私が見て来た中では、
内孫は自分の家の子だから、遠慮しない。
外孫は、娘の旦那さんに気を使い、丁寧に扱う、みたいな
娘の家族はお客様、みたいな対応の家が多かった。

うちの親は、真逆で
私の事を、口では、嫁に出したからよそ者と言いながら、
使用人の様に遠慮なく扱う。
息子の方は、自分の家の人間と言いながら
お客様扱いしていた。

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外孫であるはずの私の子に向かって、
「あんたたちは娘の子だから、軽く扱っていい。息子の子はお客様だ」
と平気で言っていたのだから大きな矛盾があった。

いつしか内孫だの外孫だのと、我が親は、一切言わなくなった。
可愛さはどっちも同じ、関係ない、と言えばいいだけの事。
差別しようとするからそうなる。

母は、亡くなる直前には、そう言った行動は無意味だったと
後悔していた。物事の本質が見えた様だった。
それだけでも、私は救われた。

話を戻し、若いのに友人達が古臭い言葉を使うのは、
そんな男尊女卑的な考えを持っているからなのだろうか。
そういう環境で育ったからかな。
私みたいに、いじけたりせず、幸せで、
素直に受け入れてきた人なのだろう。

かなり前に、孫が生まれる度に「男の子でないと駄目だ」とか、
「また女か」と平気で言うお爺さんが近親者にいた。
腹が立って仕方が無かった。

「こんな大変な時に、無事に産まれてきて本当に良かった!」
それでいいよね。それで充分だと思う。




昨日から歩く時に右足首に違和感を感じていた。
その度、足首をぐるぐる回したり、
ほぐす体操をしていた。

今朝から、足首が上がる時に痛みが走る様になった。

やばい。

こういう事は前からよくある。

痛みの場所は違うけれど
要するに、運動不足、筋力の衰え、筋肉そのものが減っているのだろう。

いやだなあ。
以前からなるべく歩く様にしているが、
猛暑と雨続き、コロナ禍もあって、車に頼り、さぼっている。

部屋で、体操はしているが
そんなものでは追いつかない。

昨日、久しぶりに歩いた。
用事があったので、歩きやすい靴では無く
堅めのお洒落靴を履いていた。
靴が悪かったのかもしれない。

運転の姿勢も悪いのは前から感じている。

そう言えば、一昨年の冬だったか、
足にあわないブーツで無理して歩いた後から
股関節の痛みがしばらく続いていた。

母が心配していたのを覚えている。

それ以降、足にあわない靴は捨てた。
かと言って、幅の広いゆるい靴もだめ。
適度に甲を締め付ける位がいい。
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胸が痛くなったり、足が痛くなったり、
頭痛はいつものことだし、
肋骨もまだむずむずするし、老化現象だと思う。

私の場合、今のところ、内臓ではなく、筋肉や神経のSOSぽいから
安静にすれば落ち着く。
 以前、派手に転倒して怪我をしたところも
ずっとチクチクしている。
頭と首が重い、と思ったら、奥歯の根に問題があったり、
治療した後からは、固い物は食べないようにしている。

根に負担がかかるので、
固い物をばりばり噛むのは、若い時だけの話で、
歳をとったら、よくないのだそうだ。
あごや、首や頭が痛くなるのは
そういう噛みしめる癖も原因のようだ。

高齢者は、動かなくなるとあっという間に
運動機能が衰える。
母がそれを若い時から気にしていて、
ジム的なリハビリに長く通い、頑張っていた。
最後に入院した時は、その面でも不安だったと思う。

足にはとりあえず、湿布を貼り、歩き方を変えて安静にする。
足をかばって歩く姿は、老婆に見えるかも?

最近、湿布をよく使うようになってきた。
若い頃は、母が背中に湿布を貼っていたのを
他人事の様に見ていた。
自分も老人の仲間に入ろうとしているってことか。

いつまでも元気に動けるとか無理がきくとか、
自分でやれるだけは絶対やろうとか、
若いつもりでやってしまうと、怪我をする。

これからは自分を過信せず、適当なところで
人に頼ることも大事だなと感じている。


両親が夫婦であちこち旅行に行っていた事一つとってみても、
自分には全く縁が無かったなと思う。
その代わり、子ども達との思い出が沢山あるからいいし、
あんな奴との思い出なんて消したい位だ。と思う。

そういう結婚生活を、話し合いも無く、家族の意見も無視し、
夫が一方的に押しつけてきたという事に腹が立つ。

結婚前、夫は、嘘八百並べていた。
「新婚旅行はどこに行きたい?連れてってやるよ。
夫婦で旅行、これからも行きたいね。僕、旅行好きだから連れて行くよ」
などなど、勝手に盛り上がっていた。

よくあそこまで嘘をつけるものだなあと思う。病的だ。

内心人のお金をあてにしており、騙していた訳だ。
おそらく、夫の中では
「まあ、素敵!そこまで思ってくれるなら、費用は全て私が出しますわ。
あなたは何もしなくて良いのよ。私が尽くします」
とかなんとか、私が言うとでも妄想していたのだろうか。

自分にそれだけの凄い魅力があると自惚れていた?
あほだろう。

「連れて行ってやるよ」は
「お前に、俺様を連れて行かせてやる」
という意味だったわけだ。
その凄い自惚れはどこから?

今では、平然と私に「お金をそっちがだすなら行く」と言う。
プライドが高いくせに、みっともないことばかりする。

そして、お金が無くて困ってる演技ばかりする。
(お金持ちでは無いが)演技するうちに、
見た目も言動も貧乏臭いおっさんになってきた。
これが、心まで貧しくなったと言うことなのかな。

お金が無いと言いながら、自分だけでこっそり帰省したり、旅行に行っている。
パチンコや悪徳商法にもお金をつぎ込んでいる。

人から奪う時は、貰って当たり前という態度。
夫が人にお金を出す時は、ターゲットを騙す時。
利用して、何倍にもして返してもらうのが前提。

本来自分は、人の上にいて、
全ての人が自分の為に奉仕して当たり前と思っているから、
ちょっとでも自分が何かすると、
この俺様がやってあげたんだぞ、と思っている。
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これまで、色んな人とトラブルを起こし、
裁判までやった夫は、常に言葉で人に勝つことばかりが頭にある。

私が離婚調停にしたり、誰かに夫の不満を訴える事も夫は想定している。
勝つ為の言い訳を準備していると思う。

例えば、生活費もださず、学費も知らん顔だった苦しい時期に
「旅行にいきたいね」と夫がわざと言ってくる。
「何言ってるの。そんなお金があるなら生活費を出してよ」
と私が怒るのをわかってて、わざと言ってくる。

そして、離婚話になった時、この時の私の言葉を使うのだ。

「いや、僕は妻をいつも大事にしてました。旅行に誘っても、妻の方が嫌がっていたんです。」
とか、自分の行動は美化して、全て妻が一方的に拒否したから
何もできなかった、と人のせいにする作戦。

その為の準備として、色んな私の言葉を切りとって使える様に
小細工をするのだ。そういうずる賢さだけ頭が回る。

夫は、精神的に、妻子と他人の区別ができない。
こういうやり方は、他人にも頻繁にやっている。
だから、夫のやり方はよくわかる。

都合よく相手の言葉を切り取り、
何も知らない人に、その人の悪口を吹き込む。

おそらくむこうの親族には嘘八百言っているだろう。
夫の親族とはもう会う事もないと思うからどうでもいいが
私が夫の近くに行くと、真実がばれるので
会わせないし話題にもしない。

全て、夫の1人相撲みたいなものだ。
普通に真面目に、誠実に生きていればよかったのに。
本当に迷惑でしかない。

それでも、自分は正しい、素晴らしいと信じて
敵を増やしながら生きていくのだろう。



父の若い頃を思い出すと
流石に今ほどひどくは無かった。
特に子ども、孫に対しては優しくて良いお爺ちゃんだった。
以前は、いつもにこやかで穏やかな顔をしていた。
今は、しかめ面で怖く、別人のよう。

母の人生を思い出すと、常に父と一緒で、頼り切っていた。
そうなる様に父に仕向けられていたというべきか。
父をたてて、尽くしてきた。

定年退職してからは、日本中をあちこち2人で旅行していた。
実家で親のアルバムを見ると、
色んな観光地で 夫婦並んだ写真が沢山ある。

私の人生とは正反対。

父も母無しではいられなかったはずだ。

旅行に行くのも、母の方がもう飽きた、と嫌がり
父が1人で行く事もあったらしい。

それだけでも、母は幸せだったんじゃなかろうか。
あの頃の父も、我儘だったが、今ほどでは無かった。
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父には、母と過ごした結婚生活をもっと思い出してほしい。
私たち子どもとの思い出も。
どうして、妻子との思い出を捨てるみたいな事をしているのか。
「母の苦労も労って。二人で頑張ったんでしょう」と言いたい。

父は、給料を全て家族に使っていたし、
うちの夫に比べるとずっとまともな責任感の強い父親だった。
父の頑張りに応えようと、母も努力していた。

生活費や、物事の決定を全て父に頼れたという点では、
母は安心して生活できた訳で、私に比べれば幸せだった。
母が幸せだった事を探していくと
少しほっとする。


最近、近所の飼い猫が時々遊びに来る。 

我が家は、通り道になっている様で
横を通り抜ける猫を何匹か見かける。

猫は犬と同じ位、大好きだ。

子どもの頃、猫を飼ったことはあるが、
何故か猫を飼うと、飼う度にすぐお別れが来るという
悲しい思い出しかない。

皆、動物が好きで、可愛いがっているのに、何故か猫に事件が起こる。
近所に猫嫌いな人がいて、
人の家の猫に暴力をふるったり、勝手にどこかに捨て去られたり、
病気で短命だったり、動物に縁の無い家だった。

猫とべったり一緒に過ごした時間は心が通っていたし、子ども心にかなり癒された。
両親も同じで、動物といると柔和になっていた。

数年前まで、我が家に室内犬がいたが、14歳で天国に。
私にとっては、寿命を全うさせてやれた初めてのペットだった。
亡くなる日、黒猫が突然現れ、不思議な体験をした。

ペットロスで、また動物を飼いたい、と思う様になったが
実家に帰ったり、旅行にいったりとする時、どこかに預けるのも
かなりのストレスを与えるし、
ペットが介護状態になった時、いつもそばにいてあげられるかどうかも
分からない今は、飼うのを我慢している。

責任を負うのだから、自分の為にペットを利用するのはやめたい。

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最近、たまに遊びに来てくれる近所の飼い猫と
触れ合うだけで満足だ。

これまで、色んな猫が訪問したけど、用心深く、すぐ行ってしまう。

この一匹だけは、にゃーにゃーと鳴きながら私に近づいてきて
何か訴えて来る。

おやつをあげても、お腹いっぱいなのか、いつも食べない。
私にすりすりしてきて甘えて来る。

綺麗に手入れされており、飼い主に大事にされているのがわかる。

夏だからか、来るのは早朝6時頃。

その時間に、外で掃除をしていると会える。

「おはよう!おばちゃん!」と声をかけてくれる。
家に入りたそうにしているが、
入れたら終わりだ、と我慢する。

家に懐いてしまったら、こっちが離れられなくなる(笑)
通い猫?にしてはいけない(笑)

なので、心を鬼にして、
外で、なでなでしたり、話しかけている。

母の葬儀が終わった後、父から追い帰されたあの日も
いつもは来ないのに、猫が沢山うちの外に集まり、
ニャーニャーと賑やかだった。

母が私を心配して一緒について来たのかなと感じた。
猫たちが、母を弔ってくれたのねと感じたのだが
全て私の妄想で、そう思いたいのかな。

今朝も、朝起きて外を掃除していたら、
見たことの無い、大きな犬が散歩していて
私の方にクンクンと寄ってきてくれた。
飼い主さんが、リードを引っ張って、引き離そうとしても
私から離れない。私は嬉しかったが。

そう言えば、弟のラインに
「人より、動物と接した方が気が楽だ。」
とあった。

人と接するのが嫌になっているらしい。
父もあんなだし、家にはあの奥さんがいるし
神経すり減らしているのかなあ。

父より先に、弟が倒れないでほしい。


デルタ株の恐怖の為、マスクをKF94に変えた。

東京は人が相変わらず多い。
気が滅入るだけなので、父の話題に戻そう。

あれから弟から電話がきて
止めたのに、父は業者に断りの電話をいれてなかった様だ。

お弟がたまたま業者と鉢合わせし、
玄関でお断りしたという。
当然「わざわざ来たのに、断りの電話をしてくれないと困る」と
文句言われたらしい。
そりゃそうだろう。
父が言うには、がらくたの売れる訳のない食器や鍋など
ゴミまで売れると思っていたから呼んだとのこと、

「こんな物、今時買い取りしませんよ」と言われて終わり。

弟が代わりに文句言われ、頭を下げた。

とにかく、母の物を家から全て消したい様だ。
だから、着物と台所の物に異常にこだわる。

我々家族が実家で食器を使うということは頭に無い。

もしかしたら、父は母の事を全く悲しんでもいなく、
やっといなくなった、と喜んでいるのかと疑いたくなる。
全て俺の物になった、邪魔な物は目の前から無くそうと思っているのか。

生前、全く無関心で、母が「この着物を見て」と声をかけても知らん顔だったくせに、
今頃になり「黙って勝手に買っていた。俺の金で無駄使いしやがって」
と言い出している。
私の嫁入り道具の着物も、無駄使いだと母の悪口ばかり言っているらしい。

もう以前の父とは別人だ。
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元来そういう人ではあったが
表むきは、理性や世間の目を気にして
自分を抑え、温厚なふりをしていたのだろう。

それが、高齢になり、認知症も入り、
脳の老化で理性もきかなくなり、おかしくなった。

弟のメンタルも心配になる。
もっと強い性格だったらなあ。

コロナで私が行き来出来ない事もあり、
尚更、良くない方向にいきそうだ。

母の親族が知ったら、どう思うだろうか。

法事や納骨など心配して手紙が来るのだが
素直に父の事を書いてしまおうか、迷う。

父がいつか、失礼な事をする前に、
父の様子を情報として伝えた方がいいのかなとか
考えて居る。
生前、母から父のおかしさは聞いていた人達だから、
分かってくれる気もする。
でも、まさかここまで冷酷だなんて、
母方の叔父らは、きっとショックだろうなあ。

弟がぽつりと言った。

「父がいなくならないと、母の本当の供養はできないね。
いなくなってから、きちんとやってあげよう」
「こんな事を言うのは、異常なことだとわかっているけど」

そう、この異常な親に育てられたのだ。我々は。




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