りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

2021年04月


いつになったらコロナは落ち着くのだろう。
変異株が猛威を振るい始めて
更に恐怖の始まりなのだろうか。

国は何をやっても中途半端、
本気でオリンピック、パラリンピックをやりたかったら
もっと必死でどうにかしそうなものだが。

言いたいことは山ほどあるけど
よりによってコロナ禍に、身内が亡くなって
本当に辛かった。

コロナが無ければ、
母が亡くなる1年前には帰省できて、母に会えていたはず。
何も手伝えなかった1年間の後、
母は入院した。
コロナ禍で面会できなくなり、亡くなるまでに3回しか会えなかった。
面会できないことが
病人と家族の心を更に苦しめた。

今もまだ、友人に会う気になれないし
気力も弱り、困ったなあ 。

買物をしない訳にも行かず、街を歩けば
平日でも人が多い。
そういう自分もその中にいる。

なるべく空いた時間に用事をすませようと思っても
以前より店は混んでいる。経済面では良い事なのだが。
変異株にかわりつつあるので
これまでより注意しないといけない。
恐い。

これで、大地震や大雨、台風など
災害が起きたらどうなる?
これから梅雨、猛暑の夏がくるぞ。
南海トラフは?
オリンピックどころじゃないと思うのだけど。

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自分に家族が無くて
一人ぽっちだったら
いつ何があってもどうでもいいと思っただろう。
誰も悲しまないから。

今、自分がいなくなることで
悲しむ人が1人でもいるとしたら辛い。
泣かせたくないから命を大事にしようと思う。

親はいつか亡くなるものとわかっていたし
長生きしてくれたし、覚悟もできていたが
それまで続いていた事が(電話など)
ぷっつり途絶える事がとても寂しい。

気が付くと、母と心の中で会話をしている時がある。
私が話しかけると、答える母。1人2役?
これが、本物のあの世との通信だったら楽しいけど。




母が亡くなって1カ月が過ぎた。

毎日我が家オリジナルの祭壇に手を合わせ、
写真に向かって話しかけている。

遺影の大事さを日々感じる。

私は、葬儀の翌日に父から追い返されたので
実家の母の祭壇には一晩しか寄り添えなかった。

せっかく帰宅した母に話しかける事もできず。

なので、私は一緒に母を連れて帰って来たつもりでいる。

自宅の居間にオリジナル祭壇を作り、大きい遺影を飾っている。

その遺影は、私と子供達で撮ったもので葬儀で使った。

2年前の誕生日に、母は遺影用の写真を残したかったのだと思う。
はっきりは言わないが、
「お洒落をして、ちゃんとした写真を撮っておきたい」と言っていた。

誕生日に弟が写したが
あまりに投げやりで雑なうつし方で
「はい、うつすよ!」とも言わず、
ポーズもとる間もなく勝手に写したそうだ。

「え?もう写したの?いつの間に?」
と母が納得していないのに
「終わり」と言って
「どうせ年とってるんだからどんな風に映ってもいいじゃん」
みたいな態度だったそうだ。
弟はいつもそんな態度をとるが、母は黙っている。
愚痴は私に言う。

弟がプリントした写真に、母が満足するはずが無かった。

それで、私の所に旅行がてら来て、私に
写真を撮り直してほしいと頼まれたのだった。 

弟の写真の時は、洋服だったが
今度はお気に入りの着物で撮りたいと
本気で遺影を残す気持ちだったと思う。

そして、その着物はそのまま私に形見にと置いて帰った。

我が子が趣味のカメラを使い
色んな角度や場所で母の姿を撮影した。

当時、抗がん剤で脱毛していたので
ウイッグをつけ、お化粧をしてあげ、着物姿で沢山撮った。

出来上がったものを、更に肌をほんの少し綺麗に加工し
母に送った。

病気と、父から解放されたわずかな日数だったが
楽しい雰囲気が母の自然な笑顔を引き出した。

滞在中、母も満足してくれた。
「あの時が最後の旅行になった。最後に楽しい思い出ができて良かった。
ありがとうね。本当にありがとう。」
と言ってくれた。

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斎場で遺影の話が出た時、即その写真を出した。

斎場の方が「この写真は素晴らしいですね」と言って下さった。

葬儀の時からその後もずっと遺影を色んな人が見ることになる。
家族は毎日見る。

遺影がその人のイメージとなる。

だから、愛する人の遺影は
自分の一番好きな相手の顔を残して置きたい。

自分も普段から笑顔の写真を残しておこうと思った。
自分だっていつ何があるかわからない。

アルバムで他の母の写真を見ると
日常の無造作な写真は
母が嫌がる様な普通のおばあちゃんでしかない。

もし、そういう写真を遺影に使っていたら
母のイメージが違っていただろう。

着物の上品な母の遺影は、
亡くなる直前に、別人のように聡明になった母そのものだ。

本来の母とは別の人。
その母が好きだった。だから撮影していて本当に良かった。

自分が1人で母を看取ったと言う経験は
いつまでも、心に残り、
親じゃなくて我が子を送った様な気持ちを引きずっている。

前世で母は私の子だったのだろうかとさえ思えて来る。

コロナのせいで、なかなか会えず、
触れてあげる事も僅かな時間しかできず、
寂しかっただろう、もっとそばにいてあげたかったと
それだけが心残りになっている。





自分の周りの???な人、特に身内の場合、
何故こんな人になったのだろうと色々考えて見る。

自分もたいした人間じゃないので
人のことを偉そうに言えないし、
?と思ってもその人を全否定してはいけないし
自分には足りない、学ぶところも沢山あると思う。

が、人に被害を与えると言うのか、
人としてそれは無いだろうと思う、どうしても譲れない点は
どうしてそうなるのかと不思議になるのだ。

あくまでも私個人の考えだが
育った環境に原因があると思う。(当たり前かな)

「うちはよそと元来身分が違うのよ。うちはよその家より優れている。」
と言い続け、人の悪口ばかり言って育てたり、
「あなたは特別。他の人より(生まれながらに)優れている。」
と過保護にしたり、
「うちはよそより優れた家系なのだから、人に勝つのは当然」
「成績さえよければ、人として上だ」
「人より上の家柄なんだから、人は我々の為に尽くして当然」

と言いながら、放任し、きちんと躾けなかった場合など。
私の周囲にはこういう環境で育った人が多い。

思春期に、友人の家庭と比べて自分の親の思考に疑問を持ったり、
反抗期を経て客観的な見方ができて、気が付けば良いのだが
反抗期もなく、親を信じ、親の為に頑張ったり、
顔色を伺ったり、逆に甘やかされ親を利用して育ち
そのまま大人の年齢になってしまったという事か。

(弟嫁も小室圭さんももしかしてその類?)

若い時は親の力で何とかなると言うより一見順調に行く。
それを自分の力と錯覚し、
本人も周りもそれほど違和感を持たない。
羨むほど、恵まれて自由に生きてるように見える。

が、親は老化し、世の中に与える力も無くなるし、経済的にも頼れなくなる。
頼る人がいなくなると、子には、それまでの生き方、考え方のツケが一機に出て来る。

最悪、子が親より先に自ら命を無くしたり。
他人や親族にも理不尽な要求をしてトラブルになり、
縁をきられたり、妻子に逃げられたり、
歳をとって初めて、自分の周りに誰もいないことに気が付く。

夫もその一人だし、予備軍。
私の親族にもそういう人はいる。

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夫は、母親が絶対正しいと信じた幼児のまま
歳をとっている。

これも、夫を観察してきたからわかった事で
上辺では、親離れをしているような事を言って誤魔化している。

「だってお袋がそう言ってたんだぞ」
とすぐに言い出す。

母親が言ったから絶対正しいのだぞ
と言って、他人を黙らそうとすることが
???なのだ。

夫の家では「母親は教祖様で、母親以外の女性は全て劣る」
みたいな洗脳を受けている。

結婚するまでマザコンを隠していたから、分かった時はぞっとした。

義兄嫁さんが義母と会話していた時、
楽しそうに笑っていたことを
「お袋に向かって慣れ慣れしい。もっと敬う態度で接するべきだ。ろくでもない嫁だ
親のしつけが悪い。」
と夫は裏で批判していた。??だ。

今のままでは、夫は孤独な老後と老後破産予備軍。

誰からも愛されない環境を自分で作ったのだから
仕方ないね。

つくづく、反抗期はまともな大人になる為の大事な成長過程だと思う。



夫に一番言いたい言葉~「もったいない事をしたね」。

子育ての醍醐味、子どもの成長を見守る親の喜びと思い出、
家庭の温かさ~そんな宝物を、自ら捨てて逃げたこと。

何てもったいないことをしたんだ、本当に馬鹿だね、と
言いたくなる。
まあ、夫には理解できないだろうし
「誰のせいだと思っているんだ」
と、人のせいにするだけだろう。
それに「馬鹿だね」と言われると
異常に反応すると思う。
俺様を侮辱した!と。
だからどうしようもない。

母の葬儀で感じたが、
人生を終える時、幸せだったと思える思い出が一つでもあればいい。

夫にはあるのだろうか。

人間の種類が違うから
こういう思いは無いのかもしれないなあ。
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子どもが進学したり、希望校に合格しても
親としても喜びとかお祝いじゃなくて
(えー、入学かよ。また学費をださずにすむ言い訳考えないと)
といかに逃げるかばかり考える人だったから。

夫にとって人は、利用する為だけに存在する様だ。
利用できないと思ったら
さっさと態度を変え、逃げだす。
それが家族であっても。

こういう人ほど、生命力が強くてしぶとい気がする。

コロナ禍は、嫌なことばかりで
早く落ち着いてほしいが、
唯一良かったのは
絶対夫がぬきうちで帰宅しないという安心感があること。

こんなに安心して生活できるものなのか。
ずっとこのまま、永遠に会わずにすめばどんなに良いか。




子育てが終わり、自由になった今こそ
夫の本質を忘れてはいけない、騙されてはいけないと思う。

今、夫には私を縛る材料が無い。

妻子に縁をきられることを怖がっている気がする。
若いうちは、家族なんかいなくたって困らない。
邪魔なだけだと思っていたのだろうが、
計算の狂った人生になり、
困ったら家族を利用すればいいと思っている様だ。

夫が連れて来て置き去りにした土地で、
誰も頼る人もいなくて
1人で子ども達を育てながら働く私を、逃げないように、
お金を与えず、かつ自分に責任が来ない様に、言い訳ばかりをくりかえし、
問題起こして転職の繰り返しだった。

それも、嘘で都合よく話を作り変え、
自分は被害者であり、悪いのは家族の存在と会社だと言い続けた男。

私は、現実的にはまず子育てが第一であり
生活していくことで精一杯だった。

縁をきるのは、向こうの作戦に乗る事だと感じ、
夫に責任を負わせる事で、言葉で戦い、
騙されないようにした。
いつか必ず、因果応報になる日を期待し
逆の発想で過ごしてきた。

つまり「あんな父親が近くにいると
子どもに悪影響がある」と思う事にした。

結果的には、別居で良かった。
まともな環境(笑)で育てる事ができた。
世間の、片親への偏見は大間違いだ。
両親がいたところで、虐待したり
まともじゃないなら、居ない方がいい場合もある。

尊敬できる父親だったら、どんなにか良かったことか。
情けないし、申し訳ないことだが
子ども達の人生がボロボロになるよりは良かったと思う。

夫が私を洗脳しようとしていた頃、
いつもニヤニヤしていた。
余裕のあるふりして
いかにも自分は被害者で、困っていると言うスタンスで
同情させようとした。

妻なら夫が苦境にたてば
助けて支えるものだ、それをやらないのは妻失格のような
モラハラを入れて来る。
私は、その手には乗らなかった。

何度も何度も何年も同じ脅し文句を使い、
全て嘘だが、どうにかして妻子をコントロールしながら
自由にお金を使って、1人気楽な生活をしようとしていた男。

その都度、私は騙されまいと、
嘘を指摘したり、無責任さを訴えていた。
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状況が悪くなると
今度は大ホラを吹いて騙そうとした。

後から言い訳をすれば、嘘を言ってもいいと
子どもの時から染みついた癖(生き方)なのだと思う。

自分の信用を失うという発想は
親は教えなかったのか。
どこが「自分は立派に育った大人」なの?

同じ手を何度も使うので、こいつは馬鹿かと
そんなに簡単に人を騙せると思ってるのか、
世の中、舐めているといつも私は怒っていた。

夫から電話やメールの着信がくると
動悸、吐き気がするようになった。

私は、夫にそれを訴え、もう苦しめないでほしいと言った。

夫は、私が体調を崩すことが嬉しかった様だ。
自分が妻より強い、
妻の精神に影響を与える力があると、喜んでいた。
関わる人を故意に不幸にして喜ぶ人間なのだ。

今の夫には何も残っていない、積み重ねもない、
残っているのは、老後破産と孤独死。
自分の意志でそうしてきたのだから自業自得だ。
絶対に、家族を巻きこませないぞ。






最近、頭痛と肩こりが酷い。
耳鳴りもしている。
運動不足かなと思い、歩く様にはしている。

パソコンに向かう時間が多いのと
寝相の問題?
枕は色々かえてみたが、結果は同じ。

不思議なのは、実家で母のベッドに寝ていた間は
何も気にならず、元気に過ごせた。
(実家には私の部屋も寝る場所も無いので
母のベッドに寝ていた。)

枕も自分が使っているのと似た様な物。
ベッドも。
気持ちの問題?

実家にいると自然と痩せる。父の食事にあわせるから。

帰宅すると太りだすし、体調が悪くなる。
居心地は自宅の方がいいのに。

毎日ラインで父の様子を教えてきてた弟から
今週になってからぱたっと連絡がこなくなった。

不気味。何も無ければ良いが。
元気であればいいのだが、何か隠し事をされたら困る。

信用を裏切って、母を悲しませた弟だ。
弟は信用できないところがある。

おかしくなった父と一緒に何をしているんだか。

49日もくるというのに
母はそういう事も全て私が仕切ると信じて
色々、細かく私に指示していた。

なのに、排除し、弟だけを取り込む父。
母が最も嫌い悲しむ事をしている2人。

しかも、入りたくないと母が抵抗していた父の実家のお墓(山中のへき地)に
母の遺志を無視して、お骨を二人は入れようとしている。
あんな所に入れても、お墓参りにもなかなかいけない。
母の嫌いな場所に1人ぽつんと置いておくなんて可哀想。

父が亡くなってから
近所にうつせばいいと弟は言うが
そんな簡単にできるのか、
「どうにか、阻止して!と暫くは家に置いてて」
と母が叫んでいる気がする。
そのことを必死で訴えている日記がある。
それを父に見せようとしたが、
弟が反対し、父からも私は排除された。

まだしばらく、家に置いておこう、
母も、家に置いててほしいと言ってたよ。
と言えば父も気を悪くしないのではと思うが。
父が亡くなってから
近くに納骨すればいいのだ。

かといって、私は父に会って話す気もない。

弟が、父にいい顔しているうちは
何を言っても無駄なのだ。

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自宅で母の遺影を飾り、
毎日お供えをし、線香をたき、手を合わせている。
そして母に話しかける。

「全く、困った2人だねえ」
と母のため息が聞こえる気がする。

頭痛と肩こりは、ストレスも原因かな。

父が数日留守をするなら
実家に行って、片付けや忘れ物をとりにいくのだが、
コロナがまた怖くなってきたので
移動もできなくなった。

そう言えば、コロナのせいで、
去年1年間、母には会っていなかった。
声は電話で聞いていたが
最後に会った時は
最初の腸の手術後で、寛解状態の時だった。

あまり食べられず、足元も前よりはおぼつかなかったけど
それでも、元気だった。

コロナが無ければ…体調に異変があったのに我慢し、
父の暴言に1人耐えていた母、
弟夫婦の非協力な態度に耐えていた母、
私が、実家に通っていれば、少しは救えたかもしれない。

それが本当に残念だ。




 


以前から気になっていたが
最近更に大好きになった俳優、エディ レッドメイン。

「博士と彼女のセオリー」でホーキング博士を演じ、
アカデミー賞を受賞した俳優。

イギリス人。ウィリアム王子の同級生。

頭もよく、育ちも良く、顔も良く、スタイル抜群、
2児のパパで、とても家族を大事にしているそう。
完璧な人っているんだなあ。

童顔で笑顔がとてもチャーミング。

ネットフリックスで最近みた映画
「リリーのすべて」
私にとって、これがダメ押しになった。

これまでも彼の映画は観てきたがこの映画は凄かった。

実話をもとに作られたもの。
100年ほど前のLGBTに苦しんだ人の話。

昔は、精神病扱いされ、世間の差別を受け
苦しんだ人々は多かった事だろう。
現代の天才、フレディ マーキュリーも、エルトン ジョンも
悩み苦しんできたのを映画で知った。

ましてやだ。
今でも、まだ差別は無くなっていない。

女性の心を持ちながら男性の体で生まれて来た人が
本質の自分を抑え、男性として生きていて、
普通に幸せな結婚生活を送っていた。
ある事がきっかけで、女性としての自分が抑えられなくなり、
女性として生きる決心をする。

奥さんは苦しみながらも理解しようと努力する。

世界初の性転換手術を受けるのだが、
結果、命を落としてしまう。

主役を演じたエディの演技力が凄かった。

演技というより
本当に心が女性になっていた様に思えた。

これが実話だなんてと思うと
あまりに悲しい話だった。

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それにしても、世の中には
同じ人間なのにこうも差があるものかと思う。

自分のダメさにがっくりする。

優秀な人は人で、それなりに悩みや辛さはあるのだろうが
それを見せない、完璧なカッコよさを見せるエディは
夢を与える職業のプロだと言うことだなあ。

文化、芸術は、人が生きていく為には無くてはならない物。

あらためてそう思う。
そして差別の無い世界に!



近くのホームセンターのチラシに
「古い消火器、無料で引き取ります」とあった。

ちょうど買い換えようと思っていたので
古い消火器を抱え、店に行った。

消火器よりもスプレータイプの方が使いやすく、
処分がしやすい気がして
1本千円のスプレー式の消火器を4本(人に頼まれた分も)買った。
で、レジで「古い消火器は引き取ってもらえますか」と聞いた。

すると「出す物はここで買ったという証明ができる?レシートある?
ここで買った物じゃないならできないわよ。」
と、上から目線のタメ口で言われた。

(そんな古い物のレシート、保存しているもの?)
と思ったが、そこで買った物ではなかったので
「ここで買った物ではないのでだめですね。わかりました。」と諦めた。

日曜で、店は混んでいたし、
さっさとレジをすませて外に出たかった。

すると、レジのおばさまは手を止めて、誰かを呼んで聞いている。
「もういいですから。」と断ったのに。

どうやら、「同じ型の消火器を買えば交換で古い物を引き取る」と
いうのが正解らしい。
スプレー代金の方が、消化器よりも高かったけど
タイプが違うのでだめだという。

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どっちみち、だめなんだからもういいと諦めた。

もう、いいから、早くレジをやってほしい。
ほら、並んでいるじゃない。私のせいで混んできてる。
と心の中でイライラした。

レジは放置したまま、その説明をゆっくりと
上から目線のおばさまは、かん高い声のタメ口で話した後、
「ほらね、私が正しかったということよね?」と言ったのだ。

何がほらね?なんだろう。
私は何も文句言ってない。

それに、おばさまは正しくは無い。
引き取れない理由は間違っていたよ。
”どっちみち引き取れないのだから
私は正しいのよ、文句言うな”って言いたかった?

メンドクサイ人。

確認して下さったのは有り難いが
私には迷惑だった。

客が並んでいたので、とりあえず、先にレジをすませて
それから担当の人を呼んでその方に任せるとか、
○○で再度、聞いてほしいと言うとか
もっと要領よくしてほしかったなあ。

上から目線なタメ口でなければ
そこまで不快にはならなかったかも。

どっと疲れた。






まだ友人誰にも連絡取る気がしない。

電話をすれば、永遠と話し続けるだろう。 
これまでのお互いの事を。

だから連絡しない。

今は、話す気力も聞く気力も無い。

コロナ禍が始まってからずっとこんなだ。

帰省している間は、声を良く出し、
父や弟に色々話かけ、母とも電話で元気よく接していた。
とても元気で活力のあった自分。

自宅に帰って来てから
どっと疲れがでたのだろうか。

今年に入り、元日からずっと母の事が気がかりで
入院中も母と毎日電話していた3か月半。

長年、母からの長電話に参っていた時期もあったが
それが亡くなる3日前を最後にぷっつりと切れた。

思えば、結婚したばかりの頃、
子どもを産んだ時、母が更年期で鬱になった時、
よく長電話をしていた。

母の冷たさに怒り、縁をきりたくなった時もあった。

皮肉なものだ。
やっと自分の一番の理解者になってくれたと思ったら
いなくなってしまった。

過去の元気な時の母の写真を見ると
亡くなる前の母とは違う。
別人だ。
いてほしいのは、この人じゃない。
亡くなる前の母に会いたい。
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自分は、どんな終わり方をするのだろう。
独身時代はいつ終わってもいいと思っていた。

母は、人生を終わる瞬間、1人では無かった。
私がいた。手を取り声をかけた。
奇跡だったと思う。

どんなに家族が交代でついていても
たまたま、家に帰った時だったとか
席を外した時に、1人で息を引き取り、
タイミングが合わないケースが多い気がする。

産まれてくる時は、母親と一緒なのに
終わる時に1人ぽっちというのは寂しいなあ。
どうしようもないことだけど。

母を1人ぼっちで逝かせなかったという事で、私は救われた。
幸せな気持ちになれた。

まだ、母が生きている感覚がする。

親は先に逝くのだし、
長生きしたと思うし、我々が子育てが終わる年齢まで
長生きしてくれたから助かった。
子孝行な両親に感謝したい。
私も、子ども達には迷惑をかけないようにしたい。
(問題は夫)

別れの辛さは
思い出の数だけあるのだろう。

それを思うと、
夫とは、何の思い出も無いから
別れがきても何も感じない気がする。

自分の目先の自由と欲を優先し、
大きな幸せと宝物と思い出を自ら捨ててきた人。
うんと後悔してほしい。

そして私は、夫より絶対長生きしなくては。



家で映画、特に洋画を観ることが日課みたいになっている。

昨日、どれを観ようかなとあれこれ候補を探していると
「マディソン郡の橋」を発見。 

かなりの昔にかなりヒットして話題になったような?
多分、観たことあるかな?メリル好きだから
久し振りに観ようかなと思った。

観たことがなかったのか、忘れたのか、
初めて観る感じだった。

それにしても、内容はうーんという感じ。
メリルの演技力は抜群で凄いなと思ったが
相手役のイーストウッドがなあ。

おじいさんぽい風貌だし、あんな深い恋に落ちる相手にはなあ。
私の好みの問題?ファンの方に叱られそう。
イーストウッドがもっと若ければ違ったなあ。

たった4日間であんな激しい恋に落ちるものかなあ。
などなど、醒めている私。

多分、話題になった映画だし
当時の自分は観ていたと思う。
でも記憶にないから当時もつまらなく感じたのかもしれない。

個人の好みの問題だから
素晴らしい作品だと評価された事を否定する気は一切ない。

映画の結論には納得した。

恋愛とは、幸せとは何かということ。

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メリルの、彼と別れる時の言葉に答えがある。

その通り!それで正解!と頷いた私。

日常のつまらなさからの逃避、
理想の男性との恋に全てを捨てて賭けてみても
結局、それもいつかは覚めてしまう。

その時には何も残らない。この恋の思い出も消え、全てを後悔するだろう。

それより、日常の生活を大事にして
美しい思い出として残す方がいい。

この恋を壊したくない。

ふむふむ。そうだよね。
密かな恋を心に残すからこそ
日常を大事にできるのだ。

日常への不満から恋に落ちたはずが
日常の幸せに気が付き、守るべきものに
気が付いたということだ。

それにしても、「生涯に一度の確かな愛だ」と言ってくれて、
亡くなるまで自分を想ってくれ、
財産まで譲るとか、そんな男性がいるものだろうか。
そこは、やはり小説、映画の世界で、うっとりする。

現実には、口ではいくらでもそんな言葉を軽く言い、
嘘つきだったという人は知っているけど。(笑)

年を取り、こんな風にしか感じない自分にがっかり。

もっと良い結婚をすれば感じ方も違っただろうな。

似た様な映画なら、メリルストリープとロバートデニーロの
「恋に落ちて」の方が好きだなあ。
こちらのメリルはとても美しいし、デニーロも若くて
感じがいい。こちらの方が現実的な感じで
過去に観た記憶がしっかり残っている。




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