りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

2021年02月


母の事ばかり考える日々。

たまには違う事も考えたいが
医師に言われた「いつ急変するかわからない」という言葉。

腫瘍が原因というより、脳出血や血管破裂、心筋梗塞、内臓破裂などの
予期せぬトラブルで、急変することはあっても
今の病気が原因による急変は想像ができない。

母の内臓、血管は年齢の割に丈夫だった。
長年異常なしで、持病も無かった。

血液の癌になっていなければ
いつまでも元気で長生きをし、
老衰で亡くなるというパターンだったと思う。

本人もそうなると信じていた。
祖母(母の母)がそうだったので。

まさかの病気だったのだ。

腫瘍は抗がん剤が効かず、縮小しなかった。
これから大きくなり、リンパ腫なのであちこちに広がり
母の身体を蝕んでいく事だろう。

お腹の調子がどんどん悪くなり
何だかの苦しさが出て来ると思う。
緩和ケアは、苦しさを和らげる処置をし
安らかに最期を迎えさせてくれる。

薬の量が増え、意識が朦朧とする日が続き
それから、意外に頑張るのではないかと思う。

そして、眠る様に、と言う事を私は予想している。

抗がん剤が抜けて来たら、
嘘の様に元気になって来たのを見て
いかに怖い薬かを知った。
脳の機能までおかしくなっていた。

 弟は、母の様子を良く観察したり、
自分なりの思いや予想、分析をしない。
医師に言われた言葉にとらわれすぎている。

いったい、これまで何度同じ事を言われてきた?
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最初は2年前、初めて病気がわかった時も
余命わずかと言われていたぞ。

2か月前、今回の再発がわかった時も
あと2週間もたないかも、抗がん剤治療も意味がないかもと
言われて落ち込んでいたぞ。
私は、母の声を聞いて
母の様子をみて、母の身体を信じると弟に言った。
医師の言葉が全てじゃないと。
まだしっかりしているぞ。

医師は、最初は最悪の最悪の場合を言っておくものだ。

最初に最悪の事を言っておけば、
少しでも長く生きれば
医師のお陰となるし、
急変しても、医師の予測が当たったとなる。
家族に心の準備をさせる為にも
そう言う言い方をする必要があるのだろう。

現実に、本人がまだいけそうだと言っている。

転院になった時の母の状態は最悪だった。
私ももうだめかなと一瞬感じた。

それは、抗がん剤と栄養点滴の量が異常に多かったせいだとわかった。

緩和ケアの担当医師が、適切な量に変えたところ
元気な母の声に戻ってきた。





今朝、母から着信があったが
バタバタしていて、出られず、
その後も何度かかかってきた。

弟にもかけて話をしていたようだった。

午後にやっと落ち着き、こちらから電話をした。

すると「ショックなことがあった」と言う。

看護師さんから「最期は自宅で迎えますか?どうされますか?」と聞かれたと言う。
弟に電話して相談したら、弟は「自分できめたらいい」と答えたらしく
「自分で決めろと言われても、自宅で最期をなんて、私はもうダメってことかね。」
と言うのだ。

弟は悲しい、辛いと言って顔面麻痺にまでなったが
態度はどこかずれており
母の不安を増やす様な対応をする。

この件に関しては、
「今すぐもうダメというのではなく、
高齢者だし重い病気持ちなのだし
いざと言う時にはどうしますか、と聞いているだけよ。
どこでも、そういう事はあらかじめ聞いておくものよ。」
と話したら、落ち着いていた。

そして、もしもの時は、こうしてほしいと
母は何度も希望を伝えて来た。

弟が自分の奥さんと面会するか?と聞いたらしい。

奥さんには入院して治療中だとは話しているが
どういう状況かまでは話していないから
今、説明して今のうちに会せようかと思って、とのことらしい。

例え、詳しい病状を知らなくても、
入院していることを知っているのに
いっさい顔もださず、何手伝いもする気の無い人、
それどころか、母に向かって何を言うかわからない。

また余計な事を言いそうだ。
弟はかばっているつもりなのだろうし
そういう面は気にしていない。

母は「会わない」ときっぱり、断ったという。

ホッとした。

今彼女に何か伝えれば、
また偉そうに母に言い、口だけだして
周りをいらつかせるだけだろう。
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母からお金だけはしっかり貰って
「遠慮なくこの人(弟)を使ってね」と言うだけ。

あなたの息子(弟)をお宅に貸してやっているのよ。
私が許可しているの、遠慮なく使って。
この人、本当に気が利かなくて。

と母に向かってこれまで、何度も言っている。

母は、もうあの人にストレス与えられたくないと
うんざりしていた。

その気持ちが弟に伝わっただろうか。

洗脳されているのと、似た者夫婦で母の気持ちを
理解していないかもしれない。

それで、悲しい、辛いと落ち込んでいる。

母が抗がん剤から解放され、少し体調が良くなり、
希望を持ち始めると
私は嬉しくなり、奇跡がおこるような気さえしてくる。

それを弟に話すと
「もう先が無いのに、何も知らずに可哀想に。辛い。」
と暗い事しか言わない。

母にも、無神経な言葉を吐く。
だから弟の反応で、母は不安になり私に聞いてくるというパターンが続く。

弟に注意した。
「勝手に母の寿命を決めないで。どうしてもうすぐいなくなると
決めてるの。本人が生きようとしているのに。
何も知らずに可哀想にだなんて、一番本人が嫌がる事よ。
自分に置き換えて考えてみて。
母の前で、暗い顔しないでよ。伝わるのよ。
母が希望を持てるほどの体調なんだから喜ぶところでしょ。
何故、そうやって悲しむのよ。まるでいなくなるのを待っているみたい」

こういうタイプの人っているいる。

悲劇のヒロイン、ヒーローになる人。

自分の為に悲しむ。相手の為でなく。

でも、性質だし、おじさんだし変わらない。

私だけでは、コロナもあり、県外だし、限界があるので
弟がいたのは助かるのだが。

最後の最後まで、母は同じストレスを抱えたまま
過ごさないといけない様だ。


 


母から頻繁に電話がくる。

私が父と一緒にいるからだ。
私のそばに父がいると思うだけで
様子を聞くだけで、安心するのだろう。
相変わらず、父の愚痴を言っているが
それはもっと仲良くしたいという気持ちの表れ。

「ご飯は何食べたの?」
「どんな話をしているの?」
と聞いてくる。本来そこに一緒に自分もいるはずなのにと
本当に悔しそうだ。

昨年コロナもあって、実家に帰っていない1年の間、
実は病気が少しづつ進行していて
母は体調不良を訴えていた。

定期的な検査では異常なしだったせいか
誰も家事を助けない。
父も、弟夫婦も。
母が家では冷たくされていたのが今よくわかる。

台所にいると、母が何とか自分で家事をやろうとして
うまくできなかったんだなというのがわかる。

弟は顔面麻痺になるほど
母との別れがつらいなら
もっと大事にしたらよかったじゃないかと思う。

花に水をかけるだけでもいい。
母が大事にしていた花は全て枯れていた。

先日一時帰宅した時、荒れ果てた庭をみて
母はがっかりしていた。

母が大事にしていたから、せめて水やりだけでも
という気持ちは無かったのか。
帰宅した時、がっかりすると思わなかった?
それとも、もう帰ってこないからいいやとでも?

花が枯れた事より、誰も思いやってくれないという現実を
つきつけられた事が母は失望したのだ。
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私以外、全員何かずれている。

母は、「まさかここまでと思っていなかった。最期まで失望だわ」
と弱い声で話す。

夜眠れなくなったようで
色々悪く考え込んでしまい、
昨日の朝には、弟に電話をかけて
泣きながら色々訴えたらしい。

その後、私に電話で自分の様子を話してきた。

暫く話しているうちに
母の声がしっかりしてきて明るくなってきた。

まるで入院する前の元気な母と話しているようだった。

母にそう言うと
自覚は無く、体調は何も変わってないと言う。

先日まで、別人のように
細い弱い声で、ろれつも回らず
急に衰えを感じた。

その声と同一人物とは思えない。

昨日から、点滴の量が減ったという。
前の病院の量は多すぎると言い、今度の医師が減らした様だ。
そう言う事もあるのだろうか。
負担がかかり過ぎて、
だるさが強かったという事もあったかも。

少しでも、母にとって良いことであれば嬉しい。

夜眠れないのは精神的にかなり負担になる。
誘眠剤を貰っているはずだが
それも減らされたせいなのか。

毎日面会ができるなら
母も気分が晴れるのだろうが
コロナ禍の間、入院している方は皆こんな感じだろう。

食事ができないことが
一番辛いはず。

楽しみが何もない、一日が長く
回復する見込みもなく
何を目標に過ごせばいいのか
先がわからないというのはどんなにか辛い事だろう。



弟には、長く元気でいてもらわないと困るのだが
母がこうなってから、かなりやつれている。
1年以上会っていなかったが
びっくりするほど老けていた。

顔がやつれたなあと思ったら、少し歪んでいる。
まさかの顔面麻痺。
ストレスが原因であろうことは間違いない。

マスク生活なので、目立たないのが幸い。
両親は気が付いていない。

もし、気が付いたら心配させてしまう。

弟は以前も鬱病で入院したことがあった。
原因は家庭にあると思う。
こういう時に、奥さんがあの人でなければ。と思ってしまう。
でも、弟は全くそんな風には思っていない様に見せている。
だからこっちも何も言えない。
奥さんは、今もいっさい、実家にも顔も出さない、全て弟が1人でやっている。

母の病気の事が決定的なのだろうが
父の頑固さにイラつくこともあり、
それを一緒に支えてくれる家庭であれば
少しは違っただろう。
奥さんの事は、弟は見て見ぬふりで逃げている。
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母が言うには、何もしない奥さんに
母から貰った小遣いをあげたりしているという。
は?逆では?
と呆れてしまうが、受け取るのも驚く。
弟は、奥さんの顔色を伺っているのだろう。

気が付かないうちにストレスが蓄積されて
心が休まる場所が無いのかもしれない。

早く治ると良いが。
私が、近所に住んでいないので
弟に倒れられたら困る。
これから治療に入る様だが
両親にばれないよう、通院しながら母の事も心配するのは
大変だろう。
あの奥さんが弟の看病をするイメージも浮かばない。

結婚の相手によって、寿命も短くなるかもしれない。
甘やかされ自立しない1人娘の事も心配の種だろう。
それこそ、この娘も幼児的万能感の持ち主だと思う。

自業自得なのだが、弟のストレスはあれこれ多い。
本来、弟の心配は奥さんの仕事だ。
私がする事では無い。

私も、不安な事が増えてきて
こうなったら、しばらくは実家に生活の拠点を移した方がいいのかなと
思い始めた。

そうなると、コロナが落ち着いた後、
私のいない間に、こっそり自宅に帰宅した夫に何かされそうで、
それも心配になる。
次々と悩みはつきない。




母は、新しい病室に移り
自由に動けず、個室で時間を過ごすだけ。
このままでは認知症になり、益々足腰も弱くなる。

本人がその恐怖を持っており
身体も思いのまま動かせないので
リハビリをもっと増やしてほしい様だ。


まだ、入院したてなので
これからプランを作ってもらい、
散歩などしてもらえることと思う。

「自宅にもたまには帰宅してもいいし
口の中に少し、ゼリーの様なものを入れることも
楽しみとしてやってあげます」と弟は病院から聞いている。

それは、あくまでも「もう治る見込みがない」事が前提だが。

どうせ先がないのなら
せめて本人の喜ぶことを、という配慮だ。

それが緩和ケア。

母が、不安になり電話をしてくると
「また家に帰ってもいいらしいよ」
「何か口に入れることもできるかも」
と話すと、一気に声が明るくなる。
母にすれば、回復の見込みがまだ自分に残っていると思うのだろう。

先日自宅に少し立ち寄った時、
介助はあったが、自分でトイレまで歩けたりしたので
自信がつき、またああやって家で過ごせるならと
期待が出来た様だ。

そういう目標があるだけで少しは気持ちを明るく持てればいいが。

段々、子どもに戻っていく母。

父の事をいつも思っている事が言葉の端々に感じとれる。

何かにつけ、父の様子を聞いてくる。
「話をしたいけど何も話題がないし、そっけなくされるし」
と言いながら、私が電話を父に渡し、
母と会話させると、母が喜んでいるのがわかる。

父も、これまで1人で過ごしていたので
私が一緒にいることで、
色々話しかけて来る。
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母に対して、最近吐いた暴言やDV的な事は許せないが
父も母と同様、自分の若い時の事を良く思い出すようで
母とのなれそめや、結婚までのことを
まるで恋愛中の若い人みたいに嬉しそうに話す。

母がこうなって、お互い自分の人生を振り返り
2人共、夫婦の思い出を辿り始めているのだなあ。

羨ましいなあ、私にはありえないことだ。

アレクサを持参し、父の為に昭和の古い演歌を流している。

とても喜び、こんな凄い便利な物が世の中にあるなんて
知らなかった。と感動していた。

それにしても、実家にいても空しい。
ここに母がいない事、母の世話を何もできないどころか
病院にすら入れない事がもどかしい。

病院で1人、寂しく、死の恐怖と戦っている母。
きっと家で前のように過ごしたい、
今も「私の作ったご飯を3人で一緒に食べたい」と思っている事だろう。
最初の手術後は、回復し、
帰宅し、元の生活に戻れた。
あの時も、私が退院後、母に食事を作って
3人で食べた。今度もあんな風になれると母は思っていた。

料理をしていると、あの時を思い出し、
(もう母は食べられない身体になり、
家にも帰れないんだ。2度と母に私の料理を食べさせられないんだ)
という現実が襲い、胸が苦しくなる。


昨年のコロナの1年間が全ての人の色んな事を狂わせた事だろう。
コロナが無ければ、
母のSOSを聞いたら、助けられたはずだ。
本当は、再発していて
具合悪かったはずだ。
1人、黙って耐えて家事をやっていた。
できなくなっても、弟夫婦も父もろくに協力せず
母のストレスが病気を悪化させたんじゃないかと想像すると
コロナが憎くなる。

去年は、私ともあまり電話をしなくなり
1人であれこれ我慢していたと母から聞いた。

病院で泣きながら話す母の気持ちは痛いほどわかる。

最近は、親としての強い言い方もしなくなり、子どもみたいになった。

もう、私が嫌いだった母はいない。

今の私の心境は、我が子を病院に1人置いている親の立場に近いかもしれない。

 




弟のやつれはストレスが原因だろう。

表面的には強く見えるが、実はとても弱い。
私よりずっと母をあてにしてきたし、
病気になってから、ずっと通院、買い物に付き添って来た。

病院での対応も全てやってきて、
医師から母の余命宣告なども一人で聞き、
ショックで眠れない日もあっただろう。

今弟が倒れて入院にでもなれば
誰が母の洗濯物を運び、面会に行き、責任者になるのだろう。

誰もいない。父には無理だ。

弟の奥さんは全く存在感が無い。
顔も一度もださない。家にいるのだろうか。

もっと弟を支えてくれたら、弟の負担も軽くなるだろうに。


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それで、母の転院する日が急遽決まり
バタバタと退院準備をした。


私は、PCR検査も抗原検査も大丈夫とは言え
病院には入れないので
外で、母の乗った車を待った。

退院した母が、他の病院の緩和ケア病棟に入るまでに2時間あった。

両病院から、自宅に寄ってきてもいいですよと言われ、
やっと母を自宅に連れていく事ができた。

母は、数日の間に一気に衰弱していた。

顔は痩せ、顔色は悪く、手は冷たい。
3日前まで、自分で歩いていたらしいが
支えなしには立ち上がる事も、歩くこともできない。

私が、実家で母の介助をやり、手を握ったり
身体を支えたり、触れることができたことが
嬉しかった。コロナ禍出の今、奇跡的にできた。

目つき、顔付きは表情が無く、
話すときも苦しそうで、声も低く弱い。

別人に見えて、辛かった。

新しい病院は、個室で気に入った様だったという。

電話の声が明るく、少し元気になっていたので救われた。

苦しいはずなのに、苦しいともだるいとも一切言わない。
ただ「私はこんなに動けなくなった。食事ができない身体になった。
情けない。もうだめかもしれない」
と戸惑っている感じだ。

苦しみが無いだけでも良かったが
「何故、自分はこんな目にあうのか?」と
母が、毎日泣いている事を思うと、夜あまり眠れない。


こういう最期の迎え方は、
本人も家族にも残酷なものだ。

これが、高齢者ではなく
私の親友の様な若い人だったら
想像を絶する辛さだ。





昨日は、無事到着し
病院のすぐ近くのホテルにチェックイン後
すぐ歩いて母のいるであろう部屋の下の道路の向こうから電話をかけ
「外を見て!」とお願いし手を振った。

ふらついて、危ないかなと思ったが
母の手を振る姿が遠くの高いビルの窓に見えた。

手を振りながら電話で何を話したか、覚えていないが
こみあげる涙を抑えるのが大変だった。
横で我が子は泣いていた。
これが最後の別れになりませんようにと願いながら。

コロナさえなければ
こんな苦労はしないのに。こんな形でしか会えないなんて。

帰省している間、毎日母に触れてあげたい。手や足をさすってあげられたら
どんなにか良いだろう。コロナが無ければそれができたのだ。

母の孤独感は、死への不安を更に強くしているに違いない。

もう一緒にお茶もお土産のお菓子も食べられない。

一番母が悔しいのだ。
「こんな姿になった私の事は誰にも言わないで」と何度も繰り返す。

私は、転院の時にほんの少しの時間、外でこっそり会えると思うが、
県外の人間なので接触は気をつけないといけない。
病院には県外の人間は立ち入り禁止だ。

抗原検査は陰性。それでも気をつける。
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マスクを実家にいてもずっとしたまま。
父とはソーシャルデイスタンスを保つ。

我が子は帰った。車をだしてくれて助かった。

しばらくは、実家で私と父だけの生活。
父は嬉しそうで、色々話しかけてくる。
まだ、しっかりしているし、前より元気になっている位だ。

父の世話ができるのは良かったが
本来、ここにいて一緒にご飯をたべたりお茶を飲んだりしているはずの母が
もういない。
母は、2度と実家でこんな風には過ごせないんだと思ったら、
1人病院で毎日泣いている母が
寂しくて辛いだろうなと胸が苦しくなった。

実家は、母の残像がありすぎる。
本当に、すぐ帰るつもりで
ちょっと病院行ってくると軽い気持ちで行ったままなのが
家の状態に表れていた。

母のお茶碗。ベッド、服、そのままだった。
またすぐ帰宅して、元の生活に戻りそうな気がして来る。
以前も母の入院中、こうやって帰省して
父と二人で過ごした。

あの時は、母が退院して帰宅してきた。
母が帰ったら、これを話そう、こうしようと
思いながら過ごした。

今もふと、そんな事を思っている。

母が帰宅したら、と。
もう帰れないんだ。
帰っても、何もできない。
お茶もできない、会話もできなくなっているかも。

そこまでもつかどうか。
実家にいるのが苦しくなる。
父も弟も毎日そんな心境なのだったのだろうか。

「帰ってから、自分で片付けるからそのままにしといてね」
「お箸とスプーン持ってきて」
なんて、ついこの前まで元気に言っていた。

あの時、本当にそうなる気がした。

今は、声に力が無く、言葉もおぼつかずまるで別人だ。

人間はこんなにあっという間に弱っていくものなのか。

弟が異常にやつれていたのも気になった。
お願いだ。今、倒れないでくれ。



子どもが、土日を使って
車で送ってやるから帰ったら。と言ってきて
急遽、今日送ってもらうことになった。
慌てて準備をしている。

高速を往復長時間運転させるのは
心配だが、新幹線よりは感染を防げるかもしれない。

到着したら一緒にホテルに泊まり、
子は帰宅し、私は実家かホテルに泊まり続けるか。

実家でも、父とはマスクで会話し、
ソーシャルデイスタンスで過ごす。
食事も離れるか、時間をずらすつもりだ。

県外の人間と濃厚接触すると
弟も父も色々制約が出てくる可能性もあるので
なるべく接触を避ける。
2週間以上滞在すればそれ以降は大丈夫だが。
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行く前にPCR検査キットを使う。

抗原検査キットも沢山持参し、
定期的に検査する

転院する時しか母に会えるチャンスは無い。
最期まで、会えない可能性が強いのだ。

2~3日中に、転院する予定なので、今帰省するのがいい。

明日が転院だったら、我が子も外で会えたのだが無理かなあ。

着いたら、病院の窓の外から、手を振ってみよう。
 
母に電話をして、外にいるよと驚かせてみよう。
高層階にいるので、小さくて見えないかもしれないが、
孫と娘の姿が見えたら、少しは喜ぶかな。

もうすぐだ。






今のうちに、母と少しでも話をしておきたい、と思う気持ちが強くなった。

県外の人間は、帰省後、2週間病院内に入れない。

このまま会えない可能性がある。

ずっと持っていたわだかまりは、
母に自分で伝えた。
わかった。と答えた母に、もうこれ以上何も言えない。
先の短い弱っている人、逝く恐怖に涙している人に
もう強い事は言えない。

父も、持病で母と同じ病院にかかっている。
昨日は通院日だった。

母はせっかく父が病院に来るなら顔をみたいと思ったようだ。

先日、弟が面会した時、
母は父を探したと言う。

あんなに憎い、と嫌っていたのに
今は会いたがっている。

看護師さんに、母は今日は父の通院日だと話しながら
泣いたらしい。

看護師さんが、面会をさせてやろうと
父に声をかけてくださったが
「ガラス越しだし、話もできないから」と言って断ったという。

え?顔を見るだけでもいいのに。
原則面会禁止なのに、姿を見たくないの?
冷たいなあと呆れた。
母も、がっくりしたようだった。

が、その後、母の気持ちを大事にしてくださった婦長さんが
ガラス越しでなく、
直接会える様に、医師に掛け合ってくれ
同じ部屋で、ゆっくり話せる状況を作ってくださった。

弟も一緒で、その時の動画や写真を送ってくれた。

いざ対面すると
母は強気で話しているし、父も気楽な雰囲気で
「大丈夫だから」と繰り返している。

「ご飯ちゃんと食べてね。」とか
「回覧板はどうしてる?」とか
「誰にも私の話をしないで」とか
心配事ばかりを話す母。

父と元々会話も無かったし、喧嘩ばかりの日々だったから
今更、つのる話もなかったようで、
弟も無口な方なので
短時間で終わった様だ。


病院からは「ゆっくりお話ししてくださいね」と
言ってくださったのに、母には物足りなかった様だ。

コロナが無ければ、
毎日の様に会えて、母の辛さも随分和らいだはず。

コロナ禍で、どれだけの入院患者と家族が
こういう思いをしている事だろう。

ましてや、コロナで入院している人は
1人で病気と闘っている。
家族とお別れもできず、悲しい帰宅をする人もおられる。
どんなにか辛いことか。

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面談が終わってから、母から電話で
上に書いた様な心情を聞いた。

母と父は二人三脚で
いつも一緒で、責任感の強い父を母は頼り切っていて
安心して暮してきた。


歳をとり、認知症のせいか暴言が酷くなった父を
恨む言葉ばかりの母で、
確かに酷い父だが、母の本音は今もまだ父を頼っている。

何かあると
「お父さん、助けて」と泣きつき
父が全て後の処理をして解決してきた。
具合が悪くなっても、まずは父に頼り
父から弟へ相談という動きだった。

父が具合悪くなると
母が頑張って支えていた。

最近は、父もおかしくなって
母は弟に直接電話をかけて、SOSを伝えていた。

昔の父に戻ってほしくて
余計に歯がゆいのだろう。
それが恨みの言葉になっている。

ここで、1人ぼっちのまま、この世を去るのは嫌だ
という恐怖と戦っている母。

昔のように「お父さん、助けて」と言いたいのだと思う。

その父が、そっけなく、何もしてくれない様に見えるのだ。

私の場合は、夫にそんな感情は全く持った事も無いし
夫に頼るなんてありえない。

母が、「昨日は、お父さんにもっと話しておけば良かった。
(栄養点滴を指さして)これが私のご飯よ。私はこんな事になってしまったの。
こんな自分を誰にも見られたくない。誰にも言わないでねと、念を押せば良かった」
と、泣きながら話していた。

食べることができない=もうだめだ
という恐怖、ショックが次第に母を弱らせている。

1人で、毎日泣いていることだろう。








弟からの連絡。

予定より早く検査が終わり
弟が医師に呼び出された。

今回は、母は一緒ではなく
まずは医師と弟だけの面談。

弟の報告の内容はこうだった。
結果は、予想通りというか、もっと悪かった。

かなり強い抗がん剤を使ったが
進行を抑える事はできなかった。
もういつどうなるか、わからない状況。

緩和ケア病棟のある病院に移ることになった。
母が以前入院したことのある病院を希望していたが
満室で、別の病院に申し込む事になった。

弟が面談に行き、その後入院となる。
早ければ面談の翌日、2~3日後には 移れそうだ。

移動時、家族が連れて行く事になるとの事。

弟が「その時、会えるよ。チャンスだよ。」と連絡をくれた。
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PCR検査キット、抗原検査キットを購入していたので、
それをうまく使い、
どうにか無事に帰省しようと思う。

とにかく感染は絶対させられない。

自分もしたくない。

コロナは以前より少しは落ち着いてきたものの
変異株も増えてきており、
ワクチンもまだこれから。

でも、今しかチャンスは無い。

弟が、いつものガラス越しの面会をし、
母の姿を動画に撮り、送ってくれた。

母の動きはそこまで鈍くは見えなかったが
顔色が悪く、転倒で、口の上に大きな内出血のあざが見えた。

出血なんてこんな時に…と
母の姿が痛々しく、悲しくて、
動画を見ながら泣いてしまった。


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