いつも母の事ばかり書いているが
最近は、父の若かった頃を思い出す。
朝ドラ「エール」を見ていて
懐かしい?歌が次々と出て来るからだ。
父は、終戦の時はまだ子供だった。
が、戦争体験の記憶ははっきりしていて
私が幼かった頃から戦時中やその後の話を聞かせてくれた。
軍歌や、当時の流行歌をよく口ずさんでいた。
歌う事が大好きだった父は
歌わない日は無い位、家に居る時はいつも歌っていた。
近所に聞こえるからやめてほしいと思う時もあった。
それだけ毎日聞かされていたら
覚えてしまう。
当時は貴重だったレコードも実家にいけば
どこかにあると思う。
きちんとした木のレコードケースに入っていた。
今となっては、骨董品?
古関裕而は、元々好きな作曲家だったが
ドラマを見て
これも、あれも、古関裕而の作品だったのかと驚いた。
そして、父が歌っていた曲も
ほとんど彼の曲だとドラマで知った。
脚色があるにしても、
作品ができるまでのドラマティックな展開と
歌を聴いた時の感動は
自分が幼かった頃に良く聴いた父の歌声と重なり
涙がでてくる。

父は、このドラマを見ているのだろうか。
最近、年齢的な認知症もでてきて
ずっと好きで見ていたテレビも
興味を示さなくなったと母から聞いた。
朝ドラ「エール」を見ている父と年齢の近い方々は
当時を懐かしみ、歌と共に自分の青春時代と
戦争の悲惨さを、あらためて思い出し
何を思うのだろうか。
あの数々の名曲の意味が、今ようやくわかった。
そして戦後の作品に込められた意味も。
絶対に同じ失敗を繰り返してはいけないと言う事。
気がついたら、手遅れだったとならない様にしなくては。
”自由は、突然なくなるのではない。だんだんなくなっていくんです。
気が付いた時には酸欠でどうにもできなくなっている。
はじめの時を気を付けるしかないのです。自由がおかされそうになるあらゆる兆しに
厳しく監視の目を向けなければならないのです。”(宮澤喜一、21世紀への委任状より)