りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

2019年12月

ついに今年最後の1日。

頭痛で目が覚めた。

今年は、色々あったなあ。母の病気が一番大きかった。

お正月過ぎた頃から、体調に変化があったらしい。高齢だし、こんなものかなと本人も思っていた。

その前の年には足の手術で長く入院した。そういう事が免疫力の低下に繋がったのかもしれないなあと思ったり。

5月に弟から連絡が来た時は、もうあと何カ月もつか…という話だった。

今こうして普通の生活に戻っている事が、あの頃を思い出せば本当に奇跡に感じる。

皆が無事に新年を迎えられる事に感謝したい。

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まだ、新年まで油断できないけど?
(昨年の大晦日は、父が救急車で運ばれたから。)

来年はどんな年になるか少し不安?だけど、良い年になる様祈ろう。

皆様、今年1年、ありがとうございました。


どうぞ良いお年をお迎えください。




今年も明日で終わり。

今年も夫との関係に何も変化無かった。

用事があり、嫌だったが、夫にメールをした。
期限があるのに何日も返事無し。

今メールのやりとりをすると、帰宅するかどうかの話題になるのが嫌なのだろう。

帰宅するかもと思わせといて、帰らなかったり、連絡せずにいきなり帰宅して、家の中を抜き打ち検査をするのが目的みたいだ。いつもそんな感じだ。

そんな人だとわかっているから、帰宅しないでほしい。もう相手にしたくない。

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(簡単な用事なんだから小細工せずにさっさと返事したら)と言いたくなる。


夫は、今は元気だから強気なのだ。
もし、私が重い病気になったらどうなるのだろう。私の病気を利用して何をするかわからない。
だから病気にもなれない。
逆に向こうが今病気になったらもっと困る。

考えても仕方ない。普段会わなくて済むのだし、きっといつか流れがくる。それまで待とう。

さて今日は、大量の(普段に比べれば)買い物をしなくては。

肩が凝って来た。



今年は、ネットで沢山映画を観た。


ほとんどが洋画。好きなものを選んでいたら自然にそうなってしまった。


何を観ようかと探すまでが疲れるのだが、星の数が5に近いもの、レビューをさっと読んで良さそうなものを選ぶ。

つまらない時は我慢せずに途中で止める。

今年の夏から本格的に?観始めて、だいたい70作品以上は観たのではないかと思う。


途中でやめたのは、2~3個ほどしかなく、しっかり選んだ作品ばかりだからか、どれも面白かった。


自分でも意外だったのは、アクション物が多かったこと。
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日本語のタイトルにセンスが無い気がする。似た様な言葉を使っていて、どれがどれだかわからなくなるものもある。例えば「最高の人生の過ごし方」「最高の人生の始め方」「最高の人生の見つけ方」「最高の人生の作り方」「新しい人生の始め方」みたいに。


タイトルが似ていても、内容はそれぞれに良くて、勿体ない。

なるべく字幕で観る。英語の囁く様なセリフの言い回しやリズム感が好きだ。

そして、親子のシーンで、ハグが多いのと「愛してるよ」とお互いにいつも言葉をかけあうのがとてもいい。

日本もあの位自然にハグや言葉かけができたらいいなと思う。

子どもが小さい時はそれができても、大きくなるにつれて照れもあり、なかなかハグができない。

それと、食事のシーンが多い。テーブルの上が綺麗に整い、とても美味しそうに見える。

ベッドもふわふわした大きな枕に埋もれる様に寝る。あれにも憧れる。

昨日観た、スーダンの難民が主人公の映画は良かった。「The Good Lie」という映画。

現実を知らない人は沢山いる。映画を観てから、ニュースなどでスーダンと耳にするだけで反応するようになった。

小説を読んだ後の様な感動や満足感を味わえるので、しばらくは家での映画鑑賞はやめられそうにない。2時間はあっという間。

これで益々、時間があっても外に出ず、引きこもってしまいそうだ。

それが今一番楽しいのだから~ま、いいか(笑)。




母から電話。

色々父への愚痴をこぼした後で、弟家族の話になった。

やっぱり大晦日も元日も家族3人で実家に来るらしい。


やはり、お客様として。毎年のことで、母も疲れている。

「いつも息子に世話になってるし、そのお礼と思って頑張るわ」「でもねえ、たまには家に呼んでくれたり、せめて料理一品でも持ってくるとかしてくれたらいいのにねえ」と諦めムードで愚痴る。


私にはこう言っているが、おそらく弟の前では「うちにおいで。気にしなくていいから!だいじょうぶだから!」と自分から誘っていると思う。

気のきかない、無神経な弟夫婦は、それを良い事に手ぶらで押しかける。

普通の家族、定年近い年齢の息子夫婦なら、年老いた両親に何もかもやらせないだろう。せめて何か手伝おうとするだろう。

それが嫌なら、来なきゃいいだけの事。
絶対に来いなんてうちの親は言っていない。最後は「無理に来いとは言わないけど。来るならそう言って」と言うだけだ。
だから「旅行に行ってくれれば楽なのに」と母が本音をもらす。
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弟の娘は、県外で親の仕送りで1人暮らし。大学卒業以来、まともに仕事もしていない。引きこもりとか病気ではない。小さい時から我儘娘だったと親が言う。


「娘は世間体の良い仕事をしないとみっともない」と弟嫁が言うらしい。

世間体の為に娘の進路もお金で誤魔化してきた母親の弱味に娘がつけこんでいると思われる。

だからか、県外に住ませているわけだ。地元でニートされたら困るのだ。

弟夫婦は、娘は世間にはマスコミで働いていると嘘をついている。

忙しいはずの仕事を何週間も休んで帰省して、遊んでいたら、嘘がばれるのに、そういう鈍感なところがある。

早く親を楽にさせたいと、就活にも苦労しやっとみつけた仕事で頑張っている子どもさんのいる人は、こんな子の話は聞きたくも無いだろう。
私も、我が子たちの事を考えると、この姪っ子の事は耳にしたくない。馬鹿らしくなる。

母が一瞬、弟のことを
「私の育て方も悪かったと思うけど」と口走った。
そんな言葉を言うとは。初めて聞いた。


それでも何だかんだと言いながら、母は、弟の前ではいい格好したいのだ。例え倒れようが、弟には接待してあげたいのだ。

自業自得。冷たくされても、それがいいんだろう。好きにしたらいいと思う。

こちらはこちらで、楽しいお正月を過ごすことを母に話した。どこかで羨ましそうな母の反応だった。

夫がいないのが前提で、今のところは、私の居場所はここが一番いいと感じている。


携帯のアドレス以外のメールの整理をパソコンでやってみた。

個人のやり取りは少なく、殆どが企業からのメール。

案内などは、見たらすぐに削除する様にしているが、それでもかなりの数のメールが残ったまま。放置しても良いのだが、性格的にどうも気になり不要なものは削除する事にした。

送信済の分を選別していたら、(これ、私がうったのか?)思えるメールがあった。

それを見て(今の自分ならこんな文では送らないなあ、ひどいなあ)と思った。

ある企業への意見を書いた文だったが、もっと丁寧に謙虚に書けば良かったと今更後悔。

後悔するという事は、今の自分は少し前の自分に比べて変化しているという事か。

反省するという事は良い事だと自己満足をして?削除した。

こうやって後に残る物は、見て反省したりできるけれど、記録に残らないものはどうしようもない。
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若気の至りというが、本当に今思い出すと自分の若い頃は失敗だらけだ。人間として幼過ぎた。

無神経な事を言ったり、我儘で色んな人を傷つけたことだろう。

それでも、友人でいてくれた人は本当に心が広い人だ。

当時は気が付かなかった自分の未熟さ。今歳をとって、やっと気が付くなんて。

それでも、当時の自分にはっきり言ってくれる友人はいた。
その時、ハッとして(自分では気がついていないけど、人から見ればそうなんだ。教えてもらえてありがたい)と思った記憶はある。
でも、なかなか行動を変えるという事はできなかった。

信頼関係がないと、人に注意なんてできない。
へたすれば友人関係が終わってしまう。

はっきり私に言ってくれた人は今でも友人でいてくれる。

今では、子どもからも注意される様になった。
遠慮のない言い方にぐさっとくるが、有り難いと思う。誰も注意してくれなかったら逆に困る。


「メールの様に、過去の失敗も削除できたらな。」と思った。
想像してみた。タイムマシン物のSF映画が出来そうだなと思った。映画の見過ぎだな(*´Д`*)

そんな映画があれば見てみたい。
ラストは、「自分の過去の失敗を消しても、何も変わらないのだ。」という教訓で終わそうな予感?(笑)



時々、他の方のブログを覗く事がある。


ほとんどが凄いなと感心させられる名文、上手なお料理の写真、色々参考にもなるし楽しませてもらっている。

人それぞれ考えも好みも違う。色んな人がいるんだなと知る事もネットならではの面白さだろう。
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とある高所得者と思える方のブログを見つけた。
裕福なはずなのに、カテゴリーは「貧乏、節約」で、毎日いかに生活が苦しいかを書いている。

ブログでは、親から相続した立派な家に住み、子どもさんは、有名私立、毎年家族で海外旅行。子どものお小遣いは月に数万円。それで、お金が無いといつも愚痴っている。
本人は真面目にお金が無いと愚痴る。
そう言いながら、高額な物をポンと良く買っている。桁が違っていて、「良い買い物をした。節約した」という。

このお宅の子どもさんのお小遣いで、生活できるわと笑った。

こういう方の世界では、最低でもこれというレベルがあって、それ以下は恥ずかしく、どん底であり、もっとお金を使う事が自分のプライドを保つ上で当然という価値観なのだろう。

高所得でも、出ていくお金が多いなら、苦しい、貧乏だと思う訳だ。

そんなに苦しいなら、私立じゃなくて公立とか、お小遣いを減らすとか、贅沢をやめたらいいじゃんと、私みたいな貧乏人は不思議に思う。
本当に困っている人からすれば、嫌味に感じるブログかもしれない。

要するに世界が違うんだな。

同じく「うちは貧乏で節約生活、老後破産だ」と書いている人で、やたらブランド品を買い、自分は元大手の企業で働いていた。とアピールする人もいる。

その人が受給する年金額が書いてあったが、私なら充分な金額だ。それで破産するとか極貧というなら私はどうなるのだろう。

私がいい加減なのだろうか。もう不安過ぎて一周回ってどうでも良くなっている気がする。


SNSは信用してはいけない。人のブログは面白がって読む位がいい(笑)。



今日は朝早く起きて、クリスマスケーキを作った。

最近は何をするにもおっくうになっていて、久し振りに作った。

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クリスマスの次は年末年始。

主婦は忙しい。毎年同じことの繰り返し。

たまには休みたい。何もしないでゆっくり温泉に浸かって、どこかのんびりと旅館でお正月を迎えたい。

夫は向こうでそんな過ごし方をしていることだろう。帰宅するにしても、お客様でどっちにしてもお気楽だ。

私に、のんびり過ごさせるなんて頭にもない。「旅行行きたいねえ」と昔から口ではいくらでも嘘をつく。

いざとなれば、とぼけて何もしない。たとえ、どこかに行ったとしても、1円もださない。

だから、絶対帰宅してほしくない。

どうか帰りませんように。

今夜はピザでも注文してゆっくりしよう。

ケーキを作っただけで満足だ。サラダを添えて、クリスマスソングを流して。




クリスマスイブ。

もう大人な子ども達に、早めのサンタからのお菓子をあげた。いつまで私の遊びにつきあってくれることか。

「自分も親になったら、こうやってお菓子だけはいつまでも子どもの枕元に置いてあげたい」と言ってくれた。

迷惑かなと思っていたが、嬉しい言葉。

サンタの正体というものは、小学高学年あたりに段々わかってくるものだ。

うちの子ども達は、長い間信じたふりをしていた。信じているふりをしないとプレゼントが来ないかもと思っていたらしい(笑)

先日も書いたが、私には、サンタさんは来たことがなかった。別にそれを残念にも思わなかった。
というか、5歳の時に母の言葉で「サンタなんていないのだ」と悟っていた。

母は私が5歳の時に
「うちはサンタは来ないからね。欲しがってもだめよ。」と、期待するなと何度も言った。
その母の言い方で、サンタは親なんだとその時に気が付いた。

何も欲しがってもいなかった。私は無口で気持ちを言う子では無かった。なのに、先回りして叱る様に母に言われた事がすごく悲しかった。

だから、自分が過ごしたかったクリスマスのイメージを、親になってから子どもと一緒に大切にした。

子どものおかげで、リセットできた。悲しい思い出を幸せな思い出にかえることができた。

無邪気な子どもの気持ちに触れることで、自分も心を癒された。
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そんな時、夫がいなくて良かったと今つくづく思う。いなかったからこそできた事だ。

もしずっと一緒にいたら

私の気持ちもリセットされず、嫌な思い出になるだけだったかもしれない。

夫にぶち壊されていたと思う。
夫のやりそうな事~

”サンタさんのプレゼントを期待させといて、わざと何もやらない。朝起きて、サンタから何も無かったのを悲しむ子の顔を見て、ニヤニヤする” 

”今夜はパーティをするよ。ケーキを買って帰ると約束しといて、わざとすっぽかす。自分だけ遊びに行って朝帰り”

夫は子ども達のクリスマスを辛いものにしていただろう。私にとっても。
本当にいなくて良かった。

でも、いなくて良かったと思う気持ちと、無責任でよかったという事とは全く別。

こういう私の本音を夫が知ったら、それこそ自己弁護に利用される。


「いなくて良かったー!もう一生帰らないでー!」

「もう父親も夫もいらないからー!」

「1人気ままがあなたの望みでしょう。困った時だけ帰ってくるなー!」
と心の中で叫んでいる。(^∀^)


さて、明日は久しぶりにクリスマスケーキを作ってみようかな。




ある人がSNSでこんな言葉を語っていた。

「幸せな人は他者の幸せを願う 不幸せな人は他者の不幸せを願う」

人間は弱いものだ。誰だって自分よりも他者が幸せに見えてしまいがち。

常に物足りなさを感じ、何かに飢えている。人を羨むのは仕方の無い事かもしれない。

それでもいいと思う。そこに気がついているかどうかの問題だと思う。

この場合の幸と不幸の意味は、客観的なもの(裕福だとか出世しているとか)物理的な物ではなく、主観的な物。基準は人それぞれ違うから。

自分は全然そうは思っていないのに、人から「不幸だったわね、可哀想に」と言われたりするのは心外だ。そうやって、人の幸、不幸を他者の基準で決める事は間違いだ。
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見渡せば、私よりもずっと裕福で、家庭も平和で、羨ましいほどの人生を歩んでいる様に見える人が沢山いる。でも、その中の1人が私を羨んでいたりする。

私の事をあまり知らないその人は、想像だけできっと私が自分に無い物を沢山持っており、何の苦労もしてなくて、のほほんとお気楽に生きて来たと思っているのだろう。

私は私で、同じ様に相手を見ている訳だ。

かと言って、わざわざそうじゃないとか説明するパワーも無いし必要も無い。


もしその人が、誤解から生じた妬みから、相手の不幸を願って何か嫌な行動にでたとしたら、その時は誤解を解く努力をして、戦うだろう。


かなり前に、別の友人がマンションを買って引っ越しした。

引っ越し祝いを持って遊びに行った。

マンションのドアを開けてもらった瞬間から、自分の中にとても幸せな気持ちがあふれたのを覚えている。

自分でも意外だった。全く羨む気持ちは無く、自分の事の様に嬉しくなった。

中を案内してもらうと、自分の新居みたいな気分になってはしゃいだ。

何故あの時、あんなに嬉しかったのだろう。

マンションを買ったという事は物理的な物ではあるが、それはきっかけにすぎない。
それまでの友人の苦労を思い出し、やっとという安堵した気持ちが伝わったのだろう。その人の幸せが単純に嬉しかったのだ。

人の幸せを自分のものとして強く感じたあの時の温かい気持ちは忘れられない。

自分も心を温かくして貰えて、幸せな気持ちになった。

自分がどこで誰に、いつそういう風になれるのかはわからない。人の幸せを心から祝おうと思っても、出来ない時もある。

計算してできる事じゃない。

自分は全くの未熟者なので、人を羨んでばかりだ。嫌な人間になっていないか気になる。

嫌な人間になりそうな時は、あの時感じた温かい幸せな感覚を思い出そう。



夜中にふと目が覚めた。

右手の真ん中の3本の指が痛い。押しつぶされて感覚が無い様な軽い痛み。

おそらくへんな格好で寝ていたのだろう。親指と小指は何ともないし、3本も動かしているうちに感覚が戻って来た。

左側を下に寝ていたのに、右手をどこに押しつぶしていたのか。よくわからない。

母の病気があってから、少し病気や怪我に対して敏感になってきた。

痺れは脳梗塞じゃないかとか、すぐに頭をよぎる。
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笠井アナウンサーの病気は、母と同じものだった。

他の病気の検査をきっかけに精密検査をしてわかったという。
母も、リンパ腫がたまたま小腸にできて、腸閉塞をおこしたからわかったわけで、別の場所だったら気が付かないまま悪化していたかもしれない。

肩が痛いと訴え、食欲が全くなくなっていて、電話の声の張りも無くなり、私は嫌な予感がしていた。母に「無理しないで。何か病気かも」と言っていたが、いつもの全否定で軽くあしらわれた。

近くにいる父や弟は、激しい腹痛を母が訴えても「ただの胃痛だ」と放置していたと後から聞いた。

私の意見よりも男性の意志を尊重する母は、二人の言いなりに我慢をしていた。
もし、私が現場にいて、救急車をよぼうと言っても、母は父と弟の言う通りにすると言っていたのかもしれない。
その点は自業自得なのだが。そういう事があっても、まだ私の意見はきいてもらえそうにない。

母は、薬の効果があって、元気になっている。
高齢で、持病が無かった事も幸いしている。

リンパ腫は薬が効きやすいのだという事は実感した。

自分も、いつ突然にどんな病気が見つかるかわからないのだと、最近気になる。

人間ドックに毎年かかっていても、発見されない病気もあるということだ。
だから、ちょっと寝相が悪くて手がしびれただけで、脳梗塞じゃないかと不安になったりする。


子どもさんが独立して遠い土地で暮らし、1人暮らしになっている知人は、夜が怖いみたいに話していた。「私は孤独死だわ」が口癖になっている。
私もいつかそうなるのだろうか。

子育てに追われていた時は、早く1人になりたい、気楽で自由な生活がしたいと思っていたが、いざそうなると不安になるものだろうな。
昨夜は、その気持ちがわかる気がした。


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