りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

2019年08月

母が自宅での飲み薬での治療を初めて1週間がたった。

色々副作用がおこりうると医師から聞いていた。
数日は何もなく順調だったようだが、昨日電話がきて「目がぼやけてきた」と言う。

これも医師から聞いていたので、慌ててはいないが、抗がん剤治療の入院でも、いっさい副作用がでず、脱毛が少しあっただけなので、母は変な自信を持っていた様だ。

そこへはっきりと副作用らしき症状があったので、少し残念がっている。「病院にいくべきか、様子をみるべきか」と言っている。弟は、「様子をみたら?またすぐ診察にいくんだし」と言ったらしい。

母は、すぐにでも医師にみてほしいと思っている。「何か症状がでたら連絡ください」と言われたからと。

私はいつもインターネットで、色々調べて自分も勉強をしようと思っている。それを母も知っているので、私が何かアイデア?をくれると思うのか、弟に病院に行かせるよう、説得してほしいのか、何かを期待して電話をかけてくるのだろう。

「目に障害が残るのも困るから、病院に電話で相談してみたら」と話したが、そこで用事が入り電話がきれた。
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その後、すぐまた電話が入り、話の続きをしようとしたら、葬式の話が始まった。
葬式はこうしろ、ああしろと言い出すのだが、電話で言われてもどうしようもない。

要するに世間体を繕えということだった。

葬式後も、実家にしばらくいて、家事をやれだの後始末がどうのと言い出す。

命令口調で、そんな風にいくら言っても、弟がどうするかわからないし、もしかすると「長男の嫁ですから私が決めます」と突然あの人が仕切る可能性だってある。
私も県外だし、いつまでも実家にいられない、結局弟夫婦が仕切ることになるだろう。

今でも一切こっちの希望は無視の彼女が、葬儀中だけいう事きくとは思えないし。

親は、長男をあてにしていたからこそ、娘の私と差別して弟家族を大事にしてきた。
それは喪主となる(と親は決めている)息子に言うべきことだ。

「私に任せるなら希望をきくけどね。結局私には何も言うなって今も言うでしょう。今私に何を言っても意味ないわよ。お嫁さんに言うのが一番いいと思うけど」
みたいないつも思っていることは伝えた。
いくら話しても、聞いていない母。客がきた様だと突然電話が切れた。

結局、息子にはいい格好したいから、言いにくい事は私を使おうとするのだ。私は汚れ役。
もうその手にはのりません。

いったい、何を言いたくて電話してきたんだろう。目はどうなったんだ。どうでもいいなら聞いて来ないでよと思ったが、それも今元気だからであり、電話もこなくなったら寂しくなるだろうか。

と思いながら、足のケガの痛みと不便さに自分がふがいないのと、いつ何があるかわからないという恐怖心みたいなものがまだ残っている。

やってしまった。

ちょっとした怪我を。

家の前の道路はぼこぼこしており、ちょっと転んだだけで怪我がひどくなりやすい。数か月前、斜めになっているでこぼこの部分でくじいて、転び、ひどい擦り傷と青あざを作った。年齢的にも足が弱く鈍くなっていると思う。

なのに、また昨夜転んでしまった。強い雨なのにでなきゃいいのに傘をさして外を歩いた。ほんの3分しか歩いていないのに、何かにぶつかって膝をついた。

傘は壊れるし、服はびしょぬれだし、恥かしい。誰も見ていなかったが。ちゃんと周りを見ていない自分が情けない。

転んだら傷が深くなりそうなでこぼこ道路、またやってしまった。


膝下の部分から血がでてきて、腫れていた。


歩けるので、打撲だろうとは思ったが、一応病院へ。たいした怪我ではなかったが、消毒に通うことに。
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子ども達の怪我には頻繁に病院通いをしていたが、まさか自分がこんなドジをふむなんて。

母の付き添いや厳しい予後の説明を聞いたりしたのも辛かったが、自分もいつ入院するかわからないんだよなあなんて思った。

嫌、そんな事はだめだ。今は。とにかく気をつけるしかない。自分のドジさに反省し、自己嫌悪。


母には言えない。すぐに治るだろうからそれまでは帰省しない。今、だいぶ落ちついているようだし。

転ぶ瞬間、「あ、やってしまった」と思ったが、記憶が飛んだ。どんな風に転んだのかわからないのだ。

なぜここが?と思う場所を怪我しており、不思議だ。

ぞっとしたのは、車が来ていたらと思う事。
暗い雨の夜道、転んだ私に気が付かず、車が来ていたら、そんな事を考えて、夜は興奮して眠れなかった。自分が運転することも怖い。そしてのどがやたらと渇いた。

この程度でこうなんだから、もっとひどい怪我の人はどうなるんだ。落ち着け。

母の突然の発病といい、私の怪我といい、今年はこれまで無かった事が続くので、本当に気を付けたい。




あるテレビ番組で、一般人参加の特別番組をみていた。

参加者の中に、カップルがいて一見仲良さそうなのだが、何でも男性が女性に押し切られていくタイプにみえた。
女性はテレビカメラの前で「結婚したいのに、彼が煮え切らずしてもらえない。どうにかして結婚したい」と訴える。
男性は、あからさまに(嫌だな)という表情をする。
テレビ的にはここで公開婚約させると盛り上がるだろうと、司会者や周りがはやしたてる。


それでも、男性は「いや、まだその気持ちにはなれません~」とか、「何か重い気がして~」とか、乗り気では無い。
テレビで言うのだから本音だろうと思った。テレビ局のヤラセ?とも思ったが、いよいよ結婚すると言えという強引な流れになると、男性は本当に嫌そうな、泣きそうな顔になった。

ならなんで一緒にテレビにでたんだよと突っ込みたくなった。
そもそも、結婚する気が無いなら、若いうちにきっぱりと彼女に言えばいい。

期待だけさせてだらだら付き合い、結局結婚しないとなれば彼女が可哀想だ。
断っても付きまとう訳じゃないだろう、仲良く同棲しているんだから。
と思いながら、でも、真実は本人しかわからない。

「女の子がずっと待っているのに、ここでふったら可哀想じゃないか、男らしくテレビの前で、プロポーズしろよ」という圧力が凄い。女の子も、強気だ。その為にテレビ出演を利用したのかなとさえ思った。
彼に、この場で「結婚しません」という選択肢が無かった。

結局、男性は「結婚する」と言わされてしまった。どう見ても、無理やり。言わざるをえない雰囲気だった。やった!と喜ぶ女性。最後まで困った顔の男性。

このカップルはこれで案外お似合いで、うまくいくのかもしれない。

でも、私は見ていて不愉快だった。

そういう個人的な事を番組的に利用したテレビ局も嫌だし、この女性も、個人的に嫌だった。

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似た様なパターンで結婚した同級生がいた。その女性を思い出したのだ。しかもテレビの女性と顔つきや雰囲気が良く似ていた。

その私の同級生は、お風呂に何日も入らず、髪がべたっとしていたり、服も部屋着みたいな物を着替えず、繰り返し着る。歯も虫歯で綺麗に見えない。身の回りを気にしないだらしない印象があった。

一方的に好きな男性の一人暮らしの家に押しかけ、お酒を飲ませフラフラになったら誘惑する。強引に泊まりこみ、周りに私は彼女よと噂を広げ、男性を縛り付ける。

自分が彼から愛されていないのを知っている。だからいろんな手を使って自分から逃げられなくする。

彼に好きな女性とか、彼女がいたとしても関係ない。自分が邪魔をしてかき回し、仲を壊す。

彼が拒否したら次は、彼の友人に相談という名のもとに、「私を弄んで捨てようとする冷たい人」と騒ぎ、嘘泣きをし、最後は親まで巻き込む。

だいたい、こういう女性に捕まる男性のタイプは共通している。
人から批判されるのを嫌い、真面目で、はっきりNOと言えない人。優しい人(悪くいえば優柔不断)

「責任をとって」と言われたらもう諦めてしまう。記憶になくても、どんなに女性の方から誘惑された結果だとしても、「話が違う」とは言えない。

このタイプの女性は、プライドが高いから怒らせると怖い。

どんなに「君のことは好きじゃない」と言っても、聞き入れない。逆に意地になる。

そして、強引に結婚に成功する。その後はどうなるのか。こんな結婚をして幸せになれるのだろうか。
こんな結婚をする人は意外に多い。
結果が幸せであれば良いわけだが。私がどうこういうことではない。

ある人は、旦那さんを尻に敷き、自分が主導権を握っている。旦那さんを大事にしているかと言えばそうでもない。ずっと後悔を引きずっていた旦那さんから、離婚を言い出された人もいる。

結婚までのなれそめを聞くと、女性側は「一途に想っていた彼氏への愛が通じ、努力が報われた最高の結婚」と言い、「障害を乗り越え、純粋に愛し彼に尽くした美しい恋愛物語」になっている事が多い。

彼氏の側から聞くと、正反対で「ストーカーまがいで、しつこくて、断れば泣かれ、親から責任とれと脅されて仕方なく結婚した。毎日後悔ばかり。」と言う。こんなに違うものか。

反対に男性からストーカーされて、仕方なく結婚した友人もいるが、結局離婚した。

「好きでもないのに、何で結婚しちゃったの?」と言いたくなる話だが、いざその場になると投げやりになるのか、自分を見失うのかも。私も似た様なものか。



数年前の自分の写真を見ると、今より痩せている。
そのもっと前は別人のようにガリガリだ。

数年前「太った」と騒いでいたのに、その姿を見て「痩せてる」と思えるんだからどんだけ太ったんだ。

今思えば、代謝の良い体だったんだな。汗かきで、いくら食べても太らなかった。

やせの大食いだったんだと今になって思う。

痩せているから、「食べないんでしょ」「だめよ、食べないと」と勝手に決めつけられ、他人ん家にいくと少ししかよそってもらえなかった。他人の家の食事は緊張するのでそれで良かったが、黙って食べているとまた説教された。
特に妊娠中や出産後は、痩せている人への偏見がひどかった。

難産だろうとか、小食だろうから母乳がでないだろうとか、お婆さんたちの意地悪がね。
全くそうではなかったのに、女の敵は女か?とも感じた。

「よくそれだけで足りるわね」と。勝手に少ししか出さないで、もっと食べろと説教だけされるという理不尽さ。遠慮しているんだよと心の声。

かといって、「食べても太らない、いや太れないんです」と言う物なら「まあ自慢?嫌味?」と返される。

痩せ方も色々で、私の痩せ方は見苦しく、上半身が貧相、下半身は太いというカッコ悪さ。

服が似合わない。顔もやつれてみえる。
貧弱な体型をカバーする服を着ていると、またそれに色々言われたり。

だからもっと太りたかった。そう思って更に大食すると、太り方も見苦しいのだ。
顔と腕、足、お腹だけがふくれる。特に顔。

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で、歳をとり、中年太りが当たり前になってきた。

もう諦めた。健康にさえ気をつければ痩せなくてもいいやと。

若い時と違って、少しくらい丸い方が皺がのびていいかもと誤魔化す。
これで今痩せたら、肉が垂れて大変な顔になるかもしれないから、これをキープしようと思うようになった。

なぜこんな事を思うかというと、母の病気を体験したからだ。
母は1カ月で10キロ近くやせた。顔がふっくらしていたのに、皺がめだつようになり、本人が髪の次に気にしている。
もともと母は理想体重よりずっと太っていたから、今が理想体重なのだ。だから病的ではないよと話している。

しかしだ、急に骨ばってきて、背中は丸くなり、老婆になってきた。

本人はそれが一番嫌だったようで、焦っている。
早く元のようにふっくらと太り、元気に買い物に歩いて行きたいと願っている。
毎日歩く様にし、なるべく食べる様にし、少しづつ体重が増えて来たようだ。

ある日突然、食べたいものが食べられなくなる。動けなくなる。痩せて来る。髪が抜けて来る。
母にとってはそうだったろう。

思いがけず突然に、それまでの生活が激変することは、誰にでも起こり得る。


もし自分がそうなったら~一気に若い時の体重に戻るだろう。でも、当時とは痩せ方も違う。本当に病人に見えることだろう。

その為にも、太ることはある程度必要なんだと納得している。





見た後は、もういいかなと思ったが、時間が経つにつれ、じわじわくるものがあり、また観たくなってきた。

ネットでのレビューを見ると、「感動した」「泣いた」「また観たい」というものが多い。
確かに勝手に涙がでてくる。感動ではなくて、あまりにせつなくて。

エルトンの音楽を楽しむ為に見に行ったはずが、名曲の数々がせつない動機で生まれていたと知ると、味わうというより、辛い気持ちで聴くことになる。

エルトンが売れればうれるほど、笑顔と派手な衣装とパフォーマンスに圧倒されるが、それも心を隠す鎧だったのかと、辛い気持ちでライブシーンをみることになる。

だから、知り合いのエルトンファンの人は、映画を観た後「期待がはずれた」と言っていた。

エルトンの曲とエルトンの良さをアピールする内容を期待していったようだ。

そこが、健在している本人の監修があるかどうかの違いだろうな。

亡くなっていれば、全く違う描き方をしたと思う。
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私は、エルトンがこの映画で、親への屈折した恨みというか、愛情不足が根底にあった孤独な自分を終わりにしたかったのだろうと思う。どろどろとした病んでいた自分を映画で暴露することにより、区切りをつけたかったのではないか。

同性愛も悩みであっただろうが、根底は親の愛情不足だ。全てはそこにいきつく。

大人になっても、まだ親に認めてもらえず、怒りと涙を抑えられない子どもの心を引きずる自分がいる。いくつになっても、消えない心の寂しさから逃げられない。

「ハグして」と言っても、してもらえなかった可哀想な幼い自分を、大人になった自分がハグしてあげるなんて、辛いシーンだ。
少しでも似た様な体験をした事のある人は、ぐさっと突き刺さり、涙なしでは見られないと思う。

若い頃に名作が多いのは、悲しみが原動力になっていたからか。

良い友人がいるのに、孤独感から逃れられない。お金が入っても名声を得ても。
フレディと似た様な人生だ。
でも、エルトンは生きている。良かった。生きているから今は幸せになれた。
ラストでは、笑顔にさせてくれる。

彼が「映画をみて泣いた」という。納得できたのだろう。

イメージを裏切らない俳優の能力の凄さにも救われたし、俳優の演技や歌を楽しむという見方もあると思う。

現在子育て中の方が、この映画を観て子どもさんへの接し方を振り返ったり、ハグが増えたらいいなと思う。
当時の、まだ前髪のあった若いエルトンの動画を探してみた。

思い出した。青春時代を。

映画を観た後は、曲が違って聴こえる。そうかこんな心境で作ったのかとか、色んなシーンが浮かんできて更に心に響く。


夫の人格が普通ではないと思っているのは私と母と弟と被害にあったことのある他人の方々。

友人や近所の人、同級生、誰にも詳しく話さないから、身近な知り合いは何も知らない。

それが気楽で良かったと思う。

話したところで、「まさか」「嘘でしょ」「ありえない」「でも」となるので、理解してもらおうとも思わないし、黙ってる方がいい。

ありえないと思うことの一つに、子どもの進路について関心が無いということ。気にしているのは学費のみ。私立か公立か、少しでも子に使うお金が少なくなることしか頭に無い。

姑が元気だった頃、私の実家に電話がかかってきて「今日、高校の合格発表でしたよね!公立に受かるか私立に受かるかであの子の負担がかわるから気になって!」といきなり言われたのだ。夫は姑に執着していたのでよく電話で話していたらしい。まともな祖母なら、素直に孫が進学することを応援してやれと言うだろうが、そうではなかった。


裏で、親子で、子どもにお金がいるから参った。ととにかく一円も家族に使いたくないと、いかに嫁や嫁の実家にださせるかを話しあっていたようだ。

夫は結局子どもにはお金をださなかった。
他人にはカッコつけて浪費するのに。

「家族を犠牲にしてまでも他人を大事にした偉人」になりたいと本気で夫は思っている。
誰も大事にしていないのに。

結局子どもたちは、奨学金や県の援助制度を色々使い、無事に卒業できた。


子どもの高校は、進学校だったが、驚いたのは、夫も姑も、本人に「合格おめでとう」の言葉を一回も言わなかった。
公立で、よく頑張ったね、親孝行だとほめてくれたのは私の親。入学祝いも夫の実家からはもらえず。何か悪い事をしたかのような態度をとられた。

夫と姑は「公立でお金がかからず良かった」でおわり。「進学校だから大学にいくつもりか、またお金かかるじゃないか」という事を親子で愚痴っているみたいだった。
酷い話だ。

そうなるのが嫌だから、夫は家族から逃げて遠くに引っ越した訳だ。

悪意の遺棄で訴えられたら困るから、少額を送金したり、気がむいたら帰宅したりと小細工は行い、口では嘘を言い触らし、良い父親を演じる。

そんなエネルギーを使うより、普通に生活した方がずっと楽なのにと思う。


我が子にお金を使わないのに、口では「俺の方が頭が良かった。」だの「もっとレベル高い大学にいってみろ」だのと言う。

子が、勉強を頑張って良い学校に行ったとしても、また文句を言う、いったいどうしたらいいのか!と子どもは心を病んでしまうのではないかと、それが一番心配だった。
俺様を尊敬しろ、俺様は誰より偉いんだ。とどうにかして言いたいようだ。

父親としてお手本を示すどころか、軽蔑されることをしていると何故わからないのか、不思議だった。
今思えば、裏で、義両親が夫の後押しをしていたからだろう。

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私は、夫の間違いを子どもたちにはっきり言い、夫から守ることに徹した。

それを夫は、洗脳だの作り話だのと騒いだが、無視している。

「子どもの努力を認めない父親」だということが、その証明だ。
子の喜び、悲しみを一緒に分かち合うことができない。

いきつくところは、「自分に楽をさせない妻子なんていなければいいのに」という事だ。
苦労しても、子と一緒に暮し、成長を見ていく事が親の希望だと思うが、そこが欠落している。


しかし、こういう人たちは、嘘つきなので、世間の前では真逆のことをいう。

子どもの話になると、「良いことは全て自分に似た。自分が育てたからこうなった」、と言っている。

以前義実家の電話が壊れたというので、うちにあった使っていない電話機を夫が貸していた。

それが返ってきたので、物置にしまおうと思い電話機をチェックした。

すると留守電のメッセージが消えておらず、入ったままになっていた。
夫の声が何回か入っていた。
上に書いた事は、そのメッセージに入っていたのだ。その記録は保管してある。




昨日は、映画「ロケットマン」について書いたが、今回久し振りにエルトンジョンを思い出した事で、色々懐かしい記憶がよみがえった。


私が初めてエルトンの曲を耳にしたのは、高校の文化祭。はるか昔のこと。

教室の展示を見た後、体育館に近づくと、綺麗なピアノの音とヴォーカルの声。レコードをかけているのかな?良い曲だなあと思って中に入った。
驚いた。生徒がピアノを弾きながら歌っていた。

流暢な英語、上手な演奏、プロのレベルだと思った。

しかもその生徒は、幼馴染の先輩だったので驚いた。

小学校の時、近所に住んでいて、私と習字教室が一緒だった。その後引っ越してしまい、存在も忘れていた。もともと話もしたことがなく顔を知っている程度。

まさか同じ高校で、こんな形で見つけるなんて驚いた。先輩は親が教育熱心で、小さい時からピアノを習っていた。庭に練習室まで作ってもらっていた。
いつも泣きそうな顔をしていて、おとなしい小柄な子だった。

久しぶりに見た先輩は変わらず、そのままだった。

その時の曲が忘れられず、調べたらエルトンジョンの「ユアソング」だった。

レコードを買って聞いても、先輩のピアノと歌声はエルトンそのものだった。

「凄い!才能ある!」と思った。裏で勝手に先輩を応援することにした。(むこうは私のことは覚えていない)
それ以来、エルトンジョンが好きになり、当時は名曲が次々とヒットしており、毎日レコードを聴いていた。ビートルズと並行して。

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先輩は、音楽室のピアノレッスン室で朝早くからピアノを弾いていた。偶然横を通った時、片手を窓枠にのせて、片手で軽く鍵盤をたたいていた。
余裕で好きな旋律を弾いて楽しんでいる様子が羨ましかった。

自分がしたかった事を先輩が叶えているように見えた。

先輩は、バンド活動をしていた。私は友人を誘い、追っかけていた。ライブはいつも満員。

高校生バンドだったが、メンバーのレベルが高く、県内で人気がでて有名になり、NHKが特集を組んだりしたほどだ。
そのメンバーをみると、また偶然にも私の幼馴染の先輩ばかりだった。


その後、彼等は高校を卒業、それぞれの道に進んだ。

そして20代になるとどうなったか。

●リードギターの先輩は 売れっ子シンガーソングライターやトップアイドルのギター担当、今では業界で師匠のような立場になっている。
●ベースギターの先輩は、大学時代に作ったバンドがデビューし、大ヒット、一躍人気者になった。今でも活動を続けている。
●ピアノ担当の例の先輩は、大学で音楽を学び続け、過去にオリンピックにも関わっていた。

才能のある人の集まりだったのだ。

ピアノの彼はデビュー当時のエルトンにも雰囲気が似ていた。

彼のおかげで、エルトンを知り、少しの間だったが楽しい時期を過ごせてもらった。

向こうはこんな風に裏で勝手に応援していた後輩がいたことすら知らなかっただろうが。

私の大事な自己満足な思い出。


エルトンジョンの半世紀を描いた映画「ロケットマン」を見て来た。

ネタバレになるので、具体的には書けないが、とにかくエルトンジョンが可哀想でたまらなくなる映画だった。抱きしめてあげたくなる、そばにいたら理解者になって応援したくなるような、涙が勝手にでてくるような、そんな映画。

映像も音楽も美しく、エルトンとバーニーの名曲を主役や脇役が歌詞をそのままセリフとして歌い、踊る。


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エルトンとジョンリードの絡むシーンで、ロシアではカットされたとか、R指定だなんだと話題になったが、日本ではPG12で、実際みてみたら、たいした事はなかった。(感じ方には個人差があります)

クイーンの映画ででてきた敏腕マネージャーがこんな悪い奴だったとは、まだ存命しているのにここまで暴露して良いのかなと思うほど、腐った奴だった。ダンデイだったけど。

途中から展開が面白くなってきて、場面が色々変わり、見終わった時はお腹いっぱいという印象だった。

映画館の音響が良くなかったのかもしれないが、もっと大音響で聞きたい。次はもっと音響設備の良い映画館に行ってみよう。

後から思い出そうとしたが、細かいところが記憶にない。次つぎと展開する場面に圧倒されていたのかも。

じっくりと味わう為に、あと何回か観る事になるのだろうか。

エルトンジョンを知っている人なら、彼の音楽が更に好きになるだろう。というかこんな状況で描いていたのか、作品は彼の人生そのままだったのかと、作品を聞き直すと何倍も心に響くことだろう。

悲しいシーンを思い出し、心が痛くなるかもしれない。

笑う場面は全く無い。ずっと悲しい。ライブでのエルトンはいつもニコニコで、頑張っている。その対比がとても悲しくなってくる映画だった。

フレディと重なる部分が多いのだが、つくづく、フレディも生きていたらなあと思う。

エルトンが生きていて、本人の監修だったからこそリアルに描写した彼の生きざま。

今が幸せで良かった。悲しかったけど後味は良い映画だった。

ラミ、マレックも凄かったが、タロン、エジャートンも凄い。

良い映画が次々と公開されるので、ストレス発散ができて助かっている。



母が、在宅で飲み薬の治療が始まった。

リンパ腫の薬だそうだ。他に副作用を抑える薬と一緒に。

高齢者なので量を減らし、1週間飲んだ後に診察し、様子を見るのだそうだ。

リンパ腫の薬は朝夕、1週間分。副作用をおさえる各種の薬は1カ月分。それで7千円といくらかだったそうだ。後期高齢者でこれだと、私なら2万いくらかになるわけか。

入院、手術もするともっと費用はかかり、大きな病気すると色々大変だ。
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母は父がちゃんと勤め上げ、退職金もでたし、年金も多くはないが心配せずに暮らしていけるし、病院代も心配なく払っていける。
父が体調崩すと母は、迷惑だとボロカス文句を言うが、母の方がよっぽど入院生活が多い。
父は何も文句言わず、その間1人で頑張っている。

なのに、母が私の忙しさや生活などおかまいなしに電話をかけてきて、自分だけが不幸みたいな話をしてくるのは本当に嫌だ。

許せないのは、「若く亡くなった人はいいわね。嫌な事から逃れられて。私はいつまでも家事をさせられて馬鹿らしいわ。」と言い出したことだ。

心残りのあっただろう親友のことが頭をよぎり、母が許せなくなった。


「やりたい事が沢山あったのに、できずに無念な思いで亡くなった若い人たちの気持ちがわからないの!?沢山の小さい子どもさん達も、生きたいと癌と戦っている子もいるのよ。これまで元気で長生きできたことに感謝もしないで何を言っているの」と言うと、聞こえないふりをする。

母の場合は、病気というより、寿命だと思うのだ。それは母もわかっている。

でも、「自分だけが何でこんな病気になるの。薬を飲み続けるのは世間体が悪い。」と毎回言う。

とにかく母は、差別主義者だ。
障害、病気を持つ人を差別してきた。
だから病気になったことは、人から差別されて悔しい、ということになるらしい。馬鹿らしい話だが。

母程、恵まれた人はいない。父も寝込んでいないし、母に介護させていないし、弟は近くにいて外出は車をだしてくれる。専業主婦で何もかも父に頼り、面倒な事は何もしてきていない。
父がいなければ今でも何も決められないのに、自分は不幸だと愚痴る。

真面目で頼れる旦那さんがいて、生活苦の心配がないだけで、私に比べれば天国なのだ。

母の電話のせいで、大事な用件が後回しになったりして、今日もそのことを言い、電話はなるべく控えてほしいと伝えた。

ただの暇潰しでかけてくる。そうせ暇でしょと言う、どこからそんな言葉がうかぶのか不思議だ。

私はただの便利なコントロールしやすい子どもにすぎないのだろう。母が病気でなければ、どなりちらすところだが。


こんな風に歳をとりたくないと思う、ただそれだけだ。


今日は、高校野球の決勝戦。

暑い中、高校生の体力が心配になる。昔と気候が違うから、屋根をつけるとか、何か考えてほしいものだ。

甲子園と言えば、かなり昔の話だが、高校野球の応援に行った事があった。

地元のチームが準決勝まで進んだので、1人で応援に行った。

当時は今ほど温度が上がることは無かったが、日焼けを気にして長袖のパーカーを着て行った。

外野席で応援した。くもり空で日差しは弱くて良かったが、湿度が高かった。
パーカーのフードをかぶり、首にはスカーフ、手袋、長袖で、身体を太陽から守る為に包み込んでいた。

1時間ほど過ぎた頃か、急に気分が悪くなった。力が抜け、吐き気、耳鳴りがしてきて倒れそうになった。

どうしたんだろうと戸惑い、寝ころびたくなり(つまり倒れそうになり)隣の知らない人に助けを求めようかどうしようかと迷った。

その時、ふと、(もしかしたら熱がこもった?)と思い、薄れゆく意識で、倒れまいと必死になりながら、パーカーをぬいだ。肌を空気にさらした。

すると一瞬で、すーっと気分がよくなってきたのだ。
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そうか、熱がこもるとこうなるんだと、体感した。
あのまま、気が付かずに服を着たまま倒れていたら、大ごとになっていたかもしれない。
周りの人に迷惑をかけただろうし、恥かしい。

その後、風通りの良い場所で動ける所を選んで、自由に動けるように人の少ない所で立ったまま応援していた。
その後は気分が悪くなる事もなく、試合も勝って楽しい気分で帰る事ができた。

それ以来、日焼けを気にして全身包み込んでいる人を見ると心配してしまう。
最近は通気性の良い素材が多いので大丈夫かな。


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