母親になって気が付いたことがある。
良く考えれば当たり前の事。今更何言ってるのと言われるかもしれない。
"誕生日は出産記念日"だということ。
勿論、誕生日を祝うのは、ここまで無事に生きて来れたというお祝いであり、この世に生まれて来た記念日だから本人が主人公になるのは当然だ。

でも、それはお母さんが命がけで出産した結果だという事。
自分の子どもが1歳の誕生日お祝いをした時の事。
”新米ママの自分が良くここまで育てて来れたな”という安堵と疲労感。
出産前後のドタバタと感動と子育てへの不安を思い出す。お世話になった方々への感謝の気持ちも浮かんだ。
子どもの時、誕生日の主役は自分だった。誰でもそうだった。それが当たり前だった。
でも、出産して初めて気が付いた。
誕生日には、母親や出産する時にお世話になった方々へ敬意を払おうと。
今でも私の誕生日になると母から電話がくるが、自分が子どもを産むまでは「わざわざいいよ」とそっけなくしていた。
が、母にとっては~新婚時代の自分、子どもができた時の父の様子や名前を考えていた時の気持ち、出産した時の祖母の協力など、懐かしい思い出が浮かんでいたに違いない。
私はそこに気が付かなかった。
出産して、母親の寂しさみたいなものに気が付いた。
妊婦の時は、周囲の関心やいたわりは母親に集中し大事にされる。
だが出産すると全てが子どもに目がいく。疲労困憊しながら母乳やミルクをあげ、どうしてよいのかわからず、不安になる。
昨日まで労わってくれていた周囲の態度が「母親なんだから、しっかりしなさい」とがらっとかわる。
育児ノイローゼはそこから始まる気がした。
出産した日を境に、周囲が厳しくなり母親の孤独感と不安が増すのだ。
母親とはそういう立場を強いられてきた存在だと初めて知った。
愛おしいはずの我が子が、自分を責めて泣いている様に感じて涙がでる。
そうやって必死で育ててきた親の気持ちが、自分が体験して初めてわかった。
誕生日に思い出すあの日のこと。子を思う純粋な愛の原点に戻れるのが子どもの誕生日。

かといって、我が子の誕生日には自分への感謝なんて期待しない。どこの親もそうだろう。
自分の子どもとして産まれてくれた事に感謝する日だ。(自分は申し訳なく思う)
出産記念日としてあの日の自分を思い出し、お世話になった人に感謝し、親としてどうだったかなと振り返る日にしている。
親としてどうだったかは~反省しか思いつかない。
良く考えれば当たり前の事。今更何言ってるのと言われるかもしれない。
"誕生日は出産記念日"だということ。
勿論、誕生日を祝うのは、ここまで無事に生きて来れたというお祝いであり、この世に生まれて来た記念日だから本人が主人公になるのは当然だ。

でも、それはお母さんが命がけで出産した結果だという事。
自分の子どもが1歳の誕生日お祝いをした時の事。
”新米ママの自分が良くここまで育てて来れたな”という安堵と疲労感。
出産前後のドタバタと感動と子育てへの不安を思い出す。お世話になった方々への感謝の気持ちも浮かんだ。
子どもの時、誕生日の主役は自分だった。誰でもそうだった。それが当たり前だった。
でも、出産して初めて気が付いた。
誕生日には、母親や出産する時にお世話になった方々へ敬意を払おうと。
今でも私の誕生日になると母から電話がくるが、自分が子どもを産むまでは「わざわざいいよ」とそっけなくしていた。
が、母にとっては~新婚時代の自分、子どもができた時の父の様子や名前を考えていた時の気持ち、出産した時の祖母の協力など、懐かしい思い出が浮かんでいたに違いない。
私はそこに気が付かなかった。
出産して、母親の寂しさみたいなものに気が付いた。
妊婦の時は、周囲の関心やいたわりは母親に集中し大事にされる。
だが出産すると全てが子どもに目がいく。疲労困憊しながら母乳やミルクをあげ、どうしてよいのかわからず、不安になる。
昨日まで労わってくれていた周囲の態度が「母親なんだから、しっかりしなさい」とがらっとかわる。
育児ノイローゼはそこから始まる気がした。
出産した日を境に、周囲が厳しくなり母親の孤独感と不安が増すのだ。
母親とはそういう立場を強いられてきた存在だと初めて知った。
愛おしいはずの我が子が、自分を責めて泣いている様に感じて涙がでる。
そうやって必死で育ててきた親の気持ちが、自分が体験して初めてわかった。
誕生日に思い出すあの日のこと。子を思う純粋な愛の原点に戻れるのが子どもの誕生日。

かといって、我が子の誕生日には自分への感謝なんて期待しない。どこの親もそうだろう。
自分の子どもとして産まれてくれた事に感謝する日だ。(自分は申し訳なく思う)
出産記念日としてあの日の自分を思い出し、お世話になった人に感謝し、親としてどうだったかなと振り返る日にしている。
親としてどうだったかは~反省しか思いつかない。