昨日は、知り合いの子供さんの運動会に呼ばれて、雲ひとつ無い青空の下、久しぶりに一日中太陽にあたってきた。


紫外線には要注意だけど、太陽の光には、人間を元気にしてくれる力がある。


疲れよりも爽快感が残った。
一生懸命走ったり、演舞する子供達をみていると、その純粋さに涙がでそうになった。


自分の子供たちの運動会は、父親不在だった。
夫は、おそらく小、中、高と一度も見たことはないだろう。


楽しみにしていたそぶりもなかったし、興味もなさそうだった。


当時は、私の親や知り合いの人が、わざわざ遠くから出てきて一緒に参加してくれた。賑やかに過ごせるようにと。

時には、私だけしか行けない時もあったが、いつも明るく、楽しくがモットーに過ごしていたので、それはそれで良い思い出にはなっている。


子供自身は、父親は仕事の都合で来られないと思っていたので、(別居する前から)気にしていなかっただろうが、一度もこないとなると、さすがに成長するにつれて、父親の冷たさに気が付いていたようだった。


運動会や、発表会は、親に見てもらいたくて、褒めてもらいたくて一生懸命練習する無邪気さを子供に感じる。だからこそ、見ていて涙がでる。

その晴れの日に、できるだけ親は参加して、例え失敗してもいっぱい褒めてあげたい、と思っていた。



仕事の都合や、家庭の事情で、どうして参加できない方もおられる。


いつも思う。皆が全て同じで当たり前では無い。でも学校とか世の中は、皆同じというのが前提で物事を決めていく。

昨日も、賑やかで楽しいお弁当の時間に、ふっと思った。誰も来られない子供さんがいるかもしれない。学校はどのようにその子供さんに対応しているのだろう。


誰か一人でも、親戚のおばさんでもいい、来てほしいよなあ。


そんな事を、昔からいつも思っている。


自分の子供が、夫からこんな目にあわされるとはまさか思ってもいなかった。他の事情のある家庭とは違い、出来る事をやらない自分勝手な父親であり、私はそれが腹がたつのだ。


運動会に行きたくても行けず、後ろめたい思いをされている親御さんがほとんどなのに、行ける時もわざと行けないように作為をする父親なんているのか、うちにはいるのだ。


夫は、子供の気持ちを想像できなかったのだろうか。


まだ、素直に後悔していたり、申し訳なさそうにしているならまだ救われるのに。


夫は、自分が傷つけた相手の気持ちを知っても、何にも感じない。ただ自分に不満を言ってくる嫌な奴と思うだけだ。その内容には心を向けない。

もし行動を改善するとすれば、相手を傷つけたという反省や後悔からではなく、自分に不満を言われるのが面倒臭いので、相手を黙らせる為である。



当時の自分が思っていた事☆親は子どもの気持ちを想像し、できるだけ明るく賑やかな家庭にしてあげたい。ひがんだり、すねたり、コンプレックスを持たせない様に、天真爛漫に育てたい。その為には自分がそうやってみせることだ。