りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

 続き
 
まさか夕飯までお金を払わす気かと驚いた。

でも、彼は「貸して」と言っているのだ。「払って」と言っている訳ではないのだ。

財布にはぎりぎりお金が残っていた。

私は断った。「もうアパートそこだし、帰る。」と言った。

するとM君は、「もっと一緒にいたいからさ、一緒に食べたいんだ。」と甘えた。

お金がこれしかないからと話して、予算内ならという事で、結局一緒に駅前のレストランで食べて帰った。
その時の彼の食べっぷりも凄くて、驚いた。


この人の食費は凄いのだろうなあと思ったら、もうこれだけで、料理コンプレックスのあった私には結婚相手には無理だと思った。


当時の私は、若さゆえ、今よりずっと気が弱く言いたい事も言えず、お人よしだった。

M君は、スタイルが良く、顔もきりっとして爽やか好青年、ボンボンで育ちの良さそうな大人な印象があった。

結構、周りから一目置かれていて、人気があった。


だから仲良くするとすぐ噂になっていた。

私は恋愛感情は無く、本当に友人と思っていた。

M君は、失恋の傷が癒えてない時期に、たまたま私に励まされて、甘えていただけだと思う。

傍から見れば、私が励ますなんて、そんな風には見えなかったと思う。

田舎臭くて、おとなしくて何も言えなくて弱々しい私を、大人なM君が励ましているのだろうと、現実とは真逆に思われていた。


まさか、M君がこんな遠慮のない人だったとはと私も見た目とのギャップに驚いた。


この日、多めにお金を入れていったつもりが、財布は空っぽになり、その後の生活費が不足する事態になった。


「普通なら、借りた翌日にはすぐに返すだろう。お財布を忘れただけで、お金が無かった訳ではないのだから、それにM君は裕福な家の子だ。」と思い、安心していた。


翌日から学校で毎日会っていたにもかかわらず、M君はお金を借りた事は一切話題にせず、1週間たっても2週間たっても返してくれなかった。


催促するのも気が引けて、ただただ毎日、(早く返してほしい、あなたにとってはわずかなお金でも、私にとっては大切な生活費なんだー)と内心思っていた。

お金の事は人に愚痴りにくいし、彼の名誉の為にも自分ひとり、悩んでいた。


おごってやったと思えばいいじゃないかと自分に言いきかせたりもした。


自分が男子だったら最初から奢ったかもしれないから、気にならなかっただろう。
男の子のM君が、あたり前みたいに女の子に払わせるあの態度がどうしても引っ掛かった。

何の恥じらいもためらいもなく、むしろ、払っとけよみたいな態度。


財布を忘れたのは自分が悪いのに、何で私が偉そうにされなきゃいけなかったのか?

そう言えば、「有難う」とか「助かったよ」とか、全くお礼の言葉も無かった。

もしかしたら、最初から私に払わす気だったのか?財布忘れたは嘘か?

なぜ、借りた事を忘れたふりして返さないのだ?

プライドがあるなら、すぐに返すよね?同性同士でもすぐ返すし、こんな事しないよね。


と色々考えていたら、M君は、見かけとは想像できない誰も知らない一面を私にみせたのだと思った。


この話をしても誰も信じないだろう。と思う位、M君は人望があった。

お金はたいした額じゃないし、あきらめて、M君とは離れようと思った。


 

 



遠い昔のお話。

今でも年賀状だけは届く古い友人M君。

学生時代に一時期だけ仲良しだった男友達。


友達というだけで、付き合っていた訳でもない。

一時期気が合い、アパートも近く、たまに一緒に電車に乗って遊びに出かけたりした事があった。


周りは面白がってひやかしていたが、「気にしないでおこうね」とお互い言っていた。


神田の本屋街に行って本を見て、帰りに渋谷に寄って食事をしたりする程度の付き合い。


初めてM君と遊びに行った時の出来事を思い出した。

朝、駅で待ち合わせた。切符を買う時、M君が「僕の切符も一緒に買ってくれない?お財布忘れて来ちゃった」と笑顔で言った。


(あらそれは大変だ、困るだろうな。助けてあげよう)と思い、「大丈夫よ」とだけ言い、私は彼の切符も買った。


(きっと彼は買いたい物も買えず、食べたい物も食べられず、可哀想だな。私に借りるのも、男の子だしカッコ悪いと思って遠慮するよね。)とその時の私は同情していた。


彼は裕福な家のボンボンだったけど、私は地方出身の貧乏学生だったので、あまりお金は沢山持っていなかった。

それもあって、自分ばかり買い物をしたり、食事に誘うのもやめて、早めに帰ろうと彼に気を使っていた。

お金を女子に借りてまで、一日中遊ばないだろうし、食事しようなんて彼から誘うはずがないと思った。


またいつでも来れるし、今日は、早めに切り上げようと思っていた。


だが、M君は、お昼になると「お腹すいた。ねえ、このお店に入ろうよ!」と私を誘った。確か「時間割」という名前のお店だったかな。

「名前が気に入った。お洒落だしね!」とM君ははしゃいでいたので、引きずられるように私も入った。

何のためらいもなく、さっさとランチを注文する彼。もしかして、財布持ってきていたのかな?勘違いだったとか?と一瞬思った。


彼の食べ方を見て驚いた。あっという間に食べて、「全然足りない」と言う。痩せてがりがりなのに、大食いだった。テレビにでるあの大食いのレベル。

普通の人の何杯も食べないとお腹が落ち着かないという。

支払いになると「お金立て替えといてね」と言って、さっさと彼は先に店を出た。

(えっ?やっぱりお金ないんだ。最初から私をあてにして誘ったの?)とショックが襲った。


本来なら、私が先に誘って「お腹すいたね。お金は心配しなくて良いから一緒に食べない?」と言うところよね?

全て先に先に、M君が誘って、当然の様にお金は払っててねと言う。

私は自分の買いたい物も買うのを止めていたし、仕送りの少ない学生の身分なのだから、その位考えてよと言いたいのを堪え、ちっとも楽しくなかった。

私はお財布の残りが心配になってきていた。


店を出て、駅まで歩いた。

当時はタバコの自販機があちこちにまだあった。


「タバコ吸いたくなったなあ。タバコ買うからお金貸して!」と当然の様にM君は手を出した。

(こいつ遠慮なんかしてねーし!信じられへん!)と私は呆気にとられていたが、あくまで貸しているのだから、おごっている訳ではないから、と言い聞かせて、貸した。


その後、あそこに行こう、ここに行こうとM君に連れ回された。

さすがに買い物はしなかった。

くたくたになり、帰宅する頃は暗くなっていた。


やっとアパートのある駅に着いた。やっと解放されるとほっとし、M君にさよならを言おうとした。

すると「ねえ、お腹空いた。晩御飯食べて帰ろうよ!」とM君が言った。

      


これも古い話だが、私が中古車を探していた時、弟が知り合いの店まで連れて行ってくれた事があった。

弟はいつも外出する時は、子どもを連れていた。


普段から奥さんよりも弟の方が家事も子どもの世話も負担は大きかった。

それを母が不憫に思い、助けようとするから益々、奥さんは子育てをしなくなっていた。


なので、まだ手のかかる幼児だった姪っ子を弟は連れてきて、車屋さんに一緒に行った。


そこで車を買ったのだが、説明や書類を書いたりしている間、普段から甘やかされている姪っ子は幼児らしく動き回った。


私は車屋さんと打ち合わせ中、姪っ子がうるさく、弟に注意するかどこかに連れ出すかしてほしかった。

が、弟は放置したままで、注意しない。

親が黙っているのに私が怒るのも変だったが、仕方なく私が注意した。

しかし姪っ子は、大人を舐めていて全く聞かない。お店の中で暴れ回る。

ついには車屋さんが、嫌味を言いだした。

「あらあら。元気な子どもさんですね」と、何か店内の物をいじられないか、怪我をされないかとと気にされ、姪っ子を目で追っていた。


それでも、弟は知らん顔をしてタバコを吸っていた。

私は腹がたち、「ちょっと、ちゃんと子どもを見ときなさいよ!」と弟に怒った。


そもそも、弟嫁は家でゆっくりしてるなら、たまには家で子どもと遊んでやれよ!と腹がたった。
私への嫌がらせかと感じるほどだ。
こうなるのは予想できたはずだ。


その時だ。お店の人が私にこう言ったのだ。


「ええ?弟さんに子どもさんを見させるのですか?お母さんなのに。はあ。最近のお母さんは強いですね~」

「さっきから、子どもが騒いでるのに、見向きもしないからすごいお母さんだなあと思ってました。弟さんに押し付けないで、自分で子どもを捕まえておかなきゃだめでしょう」


私は姪っ子の母親だと誤解されていたのだ。

「私の子どもじゃないですよ。弟が連れてきたんです。」と言い返した。

弟は、罰が悪そうに笑うだけ。謝りもせず、やっと子どもを捕まえ、抱っこした。

お店の人は年配だったので、最近の若い母親は!と思ってそういう態度をとったのだろうが

「まさか、男親が子どもさんを連れてくるなんて思いもしないもので。普通、お母さんの方が子どもを連れているものですからね」

と言い訳していた。その言い方も腹がたった。


こういう事は日常茶飯事で、仕事の用事でも、職場関係の集まりでも、弟は奥さんから子どもを連れていくよう強制されていた。

どうしても無理な時は、弟は実家に子どもを置いて行った。

母は気前よく預かっていた。

もし私が近くにいたら、こんなに協力してくれなかったはずだ。弟に頼まれたら何でも言いなりになっていた。


弟嫁は、買い物やランチ、家で昼寝をする時も、子どもがうるさいからと弟に押し付けていた。
文句も嫁の愚痴も言わず、黙っている弟は、ストレスで入院したこともあった。

誰も嫁のせいだとは思っていなかった。弟嫁が、周りに仕事が原因だと言いふらしたから。

弟は、私だけにメールで本音を言った。遠まわしに。家にいるより病院が天国だと言っていた。


弟嫁と同じ事を私がしていたら、周りの全ての人から怒鳴られ、協力してもらえず、母親失格だとレッテルを張られるはずだ。

なぜ、弟たちを誰もが甘やかすのか、それが通用するのか、不思議だ。


母は、「いつか葬式をだしてもらわないけないし、世話になるから、何も言えない」と言い訳する。

弟夫婦は親が寝込んだ時、世話をする気はなさそうな事を言っている。


親が入院したらそれに合わせて、長期旅行に行くだろうというか、弟夫婦はすでにそうしている。

なのに、まだ息子に期待しているのか、馬鹿だなあ。


娘を利用するのは当たり前で、娘はストレスのはけ口。いざとなれば命令してやらせる。

男である息子には嫌われたくないから大事にすると言う。


世間体が一番。息子に世話になるのを自慢する。娘が助けても隠している。
息子の立場が悪くなるからと、私の行動は余計なお世話らしい。

だが、下の世話などは娘がやって当然だと。息子夫婦に悪いという。

男女差別はまだまだ根深い。


弟の家だけは女尊男卑。極端だろう(笑) 



 

山口、周防大島の2歳児が行方不明だった件、無事見つかって良かった。

速報を聞いた時は、涙がでるほど嬉しかった。

恐かっただろうに、山の中で3日間過ごした男の子はよく頑張ったねと抱きしめたくなった。

それにしても、発見した78歳の尾畠さんには感動した。


今朝からテレビに引っ張りだこで、年齢を感じさせない体力、気力、ジョークで人に笑顔をさせる力に、益々驚いた。声が若くて張りがある。

ボランティアを始められた理由、信念、感謝の気持ち、恩返しという言葉。


一見小柄で、心配になりそうな感じに見えるのに、凄い行動力。

こういう人がお父さんだったら、どんだけ安心感の持てる生活ができた事だろう。


「色んな人に助けてもらって、働いてこれた。恩返しをしたい。」と思う事を即、行動に出す強さ。


欲が無く、見返りも求めず、自分がやりたいからやる。人に迷惑をかけない完璧な自己完結。

夫とは真逆な人だ。少しはこの人の爪の垢を飲んでほしい。


尾畠さんを見て、世の中にまだこんな立派な方がおられたんだと、嬉しくなった。


 


急遽、一泊旅行に行く事になった。

と言っても、まだ先の話で、とりあえずホテルだけ予約した。


ある海外アーティストのライブだが、これだけは借金してでも行く。どんなモラハラをされても行くと決めている。

夫には、一生自分からはいちいち言わない。夫はこの何十倍もの好き放題をしているのだ。
それなのに、嫌味を言ったり、嫌がらせをする。
自分から離れていったくせに、自分のいないところで、妻子が楽しい思いをするのが嫌な様だ。


こういう趣味も無いと、私はずっと我慢ばかりしてどこにも行けない、つまらない人生を過ごしてしまう。


本来なら、これまでの長い間に、家族でこの何十倍もの楽しみを味わえたはずなのだ。

もし、計画がばれて嫌がらせが始まったら、百倍にして返してやろう。

「本当ならあなたが家族にしてあげても良い事でしょう?今まで家族と一緒に何かしたの?自分の事だけ優先にして、人に嫌味いう資格なんかない!バーローッ」とでも言ってやろうか。(笑)


敵もさるもので、反論されるのを予測し、陰湿なやり方をしてくる事がある。


普段無視するくせに、用も無いのにわざとその日に電話してきたり、帰って来たり、子どもに近況を聞いて来たり。偶然を装っているつもりが、ばればれなのだ。


私が、夫の陰湿な嫌味に対して反論すれば「えっ?そうだったの。僕は何も知らないよ。被害妄想だよ」ととぼけるのも予想済み。

「ふーん、余裕あるんだねえ。僕なんか食べるものも無いというのに」と、ぶつぶつ嘘を言うのがいつもの事。そして経済的モラハラ。

せっかく楽しい計画を立てるのに、こんなくだらない事を考えてしまっては、馬鹿馬鹿しい。奴の事は無視だ。

この歳でも、楽しみができたのは救いだ。感謝。


 
 


夫が「家族の為に、仕方なく出稼ぎにでたんだ」と言い訳を作って、お気楽な生活を勝手に選んだ事は、事実。


その嘘を追及されるのが、夫の弱点の様だ。

「それなら家族の為に何をした?出稼ぎにいったなら生活費はちゃんと送ってきた?自分の生活費はあるようだけど?遊びにも行っているようだけど?」
と言われたら何もいえないはずだ。

向こうでくびになり、お金に困ってこっちに逃げ帰り、やっぱり家族を養うのはしんどいと、またすぐ自由な暮らしを選んで出ていく事を繰り返した。

自分の為なのに、全部家族の為と言う。まあ、気まぐれに送金はするので全くの嘘ではないだろうが。


もし、離婚調停になった後、裁判で戦う事があるとしたら、そこがポイントになる。
いつも、そのシーンを想像する。


リアルに目に浮かぶ。
わざとらしい演技で、夫が言いわけする姿。

「家族の為に仕方なく自分が犠牲になり、出稼ぎするしかなかったんです。親が子どもと離れたいと思うはずがありません。泣く泣く家族と離れたのです。嫁がもっと稼いでいたらここまでしなくてすんだのですが。(とさりげなく妻に非があるかのようにいう)
自分の苦労と努力をわかってくれると思っていたのに残念です。家族には失望しました。僕への感謝もなく、お金さえあれば良かったんですね。結局お金だったんですね。」

位の事は、平然と言うだろう。嘘泣きしながら。


でも、調停委員が騙されず、説教をしたとすると、今まで泣いていた夫は急に態度を変え、怒りだすだろう。

それまで、憐れな被害者ぶっていた態度をやめて、強気になり、馬鹿にしたような言い方に変わる。そこで本性がバレる。

なぜこんな風に予想できるかと言うと、これまでの夫との会話で、痛いところを突かれると、こういう事を毎回言いだすからだ。


もし私が戦うとしたら、夫の演技に反論するにも、言いたい事がありすぎて何から説明したらよいのかわからなくなりそう。


普段の会話でも、自分から相談を拒否し、人の意見も聞かず勝手にした事について、「僕の気持ちを聞こうとしない。」だの、「そっちが勝手に決めつけている」だの、見苦しくて幼稚すぎて話にならないのだ。

夫は、調停とか裁判とか好きで、気に入らない事があるとすぐに訴える人だ。それもお金目的なのが見え見えで嫌になる。恥かしい。

弁護士を雇うお金もないのに、自分一人で勝てると思っている。自分は弁護士同等の力があると自惚れている。


勝ち目もなく、裁判にするほどの事でもなく、夫に原因があるのに、「自分の思いたいように思い込む」考えの持ち主なので、私が説得しても聞かない。

「友人は裁判にして勝って、多額のお金を勝ち取ったんだから僕もその手を使う!」と言う事だ。
お金欲しさにそこまでするのか。その時間と労力を真面目に仕事に使ってほしい。

裁判を理由に家族への送金をしない。文句いうなら、裁判の相手に言えという態度。

わざわざあくどい方法をとるしか、稼ぐ方法はないのかと言いたくなる。

                  

 

結婚以来、口先だけで、結局何も成し遂げなかった夫。

本人は、まだ言っている。

「そのうち大成功をする。自分には能力と人徳がある。あきらめたら終わりだ。」などど。何をしたいのかも決まってないのに。

「そのうち」が口癖。約束もそれで誤魔化し、嘘は当たり前。

一攫千金を狙い、失敗ばかり。それでも懲りず、自分はまだ20代位の若者だと錯覚しているかのようだ。
もう老後の心配をする世代なのに、まだ夢を語っている。借金しか残していない。人に迷惑しかかけていない。夫に感謝するような人はいない。
人徳の無い、敵が多い人に、何ができるのだろう。


何かやるにしても、人のお金をあてにしての事。上手い話に載せられ、寄生された人が気の毒だ。

夫には、働いて資金を貯めてからという発想も行動力も経済観念も無い。


こつこつと働く事が苦手な夫。今の仕事もいつ辞めることになるのか、絶対こちらに逃げ帰ったりしてほしくない。
共倒れになると思ったら、その時が縁を切る時だと思っている。

気持ちを若く持つのはとても良いと思う。

でもそれは、自分の事を良くわかった上での事。

自分を客観的に観る事は難しいけど、それでも、年齢はごまかせない。それとこれまでの経歴。生き方。


私も何も成し遂げていないから、(唯一子育て位か)偉そうに言えないが、それでも、これまでの自分の生き方を振り返り、後悔したり、反省したり、色々考える。その上で、気持ちだけは老け込まない様にしたい。


夫は、妄想の世界に逃げている。現実を直視したがらない。


ずっとそうだった。若い時から、現実を見ない。認めない。自分は変わらず、周りが自分に合わせる事を要求する。

「今の自分への待遇は間違っている。自分はもっと上の地位にいるはずだ。もっと稼いでいるはずだ。
周りがおかしい。」と同じ事を何十年も言い続けている。


「私たちはただの普通の人間。凡人なのよ。だから上に行くには、人一倍努力する事と、チャンスを見逃さない事ではないかな」と話した事もある。

「僕の能力を見る目がないから、そんな事を言うのだろう」と、私の夫を見る目が無いという。

これまで、良い仕事のチャンスはあった。その都度、私が勧めた。が、奴は馬鹿にして断った。

すると後からその事業が成功した事が数回あった。

チャンスを感じ取る能力も無い男に何ができるんだ。


応援できない良くない仕事に、反対しても聞かず勝手に始めたり、内緒で転職して失敗。


どう転んでも失敗してきた。

それも、「あんたがいい仕事を探して来ないからだ」とまで言い出す。最低。

いい仕事のチャンスを勧めても無視したじゃないか。と反論されても無視。


もう、私は、夫に期待していない。変人だと思っている。

だから、会話が成立しない。誰ともそうだと思うけど。


家族すらまともに扶養できず、無責任な人が良く言えるよなあ。とこちらが赤面する。

私に何を言われても、言い返せない立場だと思うが。


自分を甘やかす妄想の中に逃げたって、現実は変わらない。

今後、夫は自分が重病になって、治療費もだせず、看病する人もいなくなったらどうするのだろう。

それでも妄想で誤魔化すのかな。


「自分は立派に夫として努力し、社会からも必要とされてきた。なのに、誰も助けてくれない。冷たい。裏切りだ。」と騒ぐだろうか。

「自分がこれまでさんざん自分勝手にしてきたツケだな。家族には悪い事をしたな。」位に思ってほしいのだが。無理だろうな。




  

自分は、独身の時、生きる事に執着していなかったと思う。

「いつ事故や病気で命が無くなっても、運命だし、別に思い残す事はない」と思っていた。

自分の未来が想像できず、もしかしたら自分は長生きできないのかもと薄っすらと思っていた。

それは健康だったからだろう。
健康を失って初めてわかる有り難さと言われる様に、軽いいい加減な気持ちで生きていた。

子どもができたら、責任感が重くのしかかった
「これからは、長生きしないといけない。私の身体は私だけのものじゃないんだ。子どもの為にしっかり生きなければ!」と思ったのを覚えている。


叔母のトキ子さんが言っていた。
「この世は修行よ。人は修行をする為に生まれてくるのよ。楽しいだけの人生なんてない嫌な事だらけで当たり前なのよ。」

結婚する時、お祝いの言葉として誰もが言う「幸せになってね」の言葉。

結婚相手から言われる言葉「幸せにするよ」「幸せになろう」「君となら幸せな人生が送れると思った」などなど…

「幸せに」という言葉を簡単に口にする。結婚したら毎日バラ色の生活が待っていると錯覚してしまう。

幸せって何だろう。人それぞれにハードルの高さも価値観も違うから、色んなイメージがあるだろう。
形があるものでは無い。心で感じるもの。

失った時、初めて強烈に気が付くもの。心安らかに生きられること。かなと思う。

大きな災害にあったら、それまでの価値観が変わる。

私も少しだが変わった。

今日こんなに幸せでも、不幸でも、明日はどうなるかわからない。どんなに満ち足りていても、明日は全部無くなってしまうかもしれない。
逆にどんなに未来を悲観しても、いつラッキーな事が舞い込んでくるかもしれない。


10年前の自分を振り返ると、今の自分はもっと不幸になっていると思い込んでいた。あの頃はそう思っていた。

振り返ると何とかなっている。幸せとは言わないが、想像していたよりはずっと自分の心は平穏だった。

こんな事ならもっと気楽に楽観的に過ごしていたらよかったと思う。

慎重に計画的に生活していくのは良い事だが、心配しても今どうしようもないなら、考えない方が良い。もったいない。

結果が同じなら今を楽しく生きた方が良さそうだ

順番が前後して申し訳ないが、初めての出産の時の記憶を辿っていたら、妊娠中からトラブルがあった事を思い出した。


嫌な思い出は忘れた方がいいと思うが、もうかなり前の事だし、今だからこそ話せるようになった。

私の中でもう終わった事になっているからだと思う。書き出して、自分の人生を整理していくのも良いかもしれない。


自分が初めて妊娠がわかった時、なかなかできないかもと思っていたので、驚いて感動していた。

夫に伝えた時、最初は喜んでいたが、翌日になると「まだ遊びたいだろう。困ったね」と言う。

耳を疑った。私は怒った。すると夫は慌てて「冗談、冗談」と誤魔化した。


悪阻もひどく、私は仕事はできないどころか家事もろくにできなくなった。

夫は酔っ払って帰宅する毎日で、具合悪い私を見ても、妊婦の立場を想像する力は無さそうだった。

体重が落ち、食事もあまり食べられない日々が続いた。

ある日、絞られるような腹痛がした後に、少し不正出血があった。その後、急に気分が良くなり、悪阻が消えた。

気分が良くなったから大丈夫。元気になって食欲がでてきた!」と勘違いし、溜まった家事をやろうとした。

が、よく考えると、「悪阻は妊娠しているからなるわけで、それが急に無くなるというのは妊娠の状態が止まったという事ではないか」と気が付いたのだ。

すぐに産婦人科に行くと、切迫流産で絶対安静と言われ、入院を勧められた。

ショックを受けたまま家に帰り、落ち込んだ気持ちで1人で入院準備をし、翌日の朝、重いカバンを下げて入院した。

流産しかけているのに、一人で荷物抱えてきたので、看護師さんが「付き添いの方はおられないのですか?」と驚いていた。


前日の夜、夫に入院する事を話したが、意外にあっさりとしていた。

私が留守中の生活費として、夫の給与振り込み用の預金通帳を夫に渡した。
「ここから入院費用も払うのだから無駄使いしないでね」と一言くぎをさしておいた。


入院してから3日たっても、誰も私に会いにに来なかった。
といっても、夫しかいなかったのだが、洗濯物や持ってきてほしい物などがあったので困っていた。

自分の実家には電話をして、「大丈夫だから遠くからわざわざ来なくてもいいよ」と言って置いた。

母に来てもらっても、夫の世話をさせるだけだし、1週間で退院できる見込みだったので遠くから来させる必要はないと思った。

誰も知り合いのいない土地に引っ越してきたばかりだった。唯一来るべき夫が来ないのは、流石に病院側も驚いていた。

やっと退院前に夫が来た。「何で今まで来なかったのか、してほしい事があったのに」と言うと「毎日飲みに誘われて、帰宅が深夜だったから無理だったんだよ。」と言う。

退院前日の夜、姑から私に電話がきた。

その内容はこうだ。

「流産しそうになるなんて、どうしたの?あなたは子どもを産めない体質だったの?あなたのお母さんはどんな体質なの?弱い体質の遺伝じゃないでしょうね。
あの子(夫)が心配していたわよ。入院費がかかって困るって。それとね、こうなった事をあの子のせいにしてほしくないの。だからあなたの実家には入院した事は黙っておくのよ。いいわね。息子にも連絡するなと言っといたから。」

同じ女性で母親である人の言葉とは思えなかった。


しかも悪いのは流産しやすい遺伝体質の私と母だと作り話をしてしまう。

「もう実家には連絡したから親は知っています」と言うと
「そんな事したら息子の立場が悪くなるでしょう!」と怒られた。


入院してから悪阻が戻り、流産の心配が無くなり退院した。

帰宅し、夫に預けた通帳を返してもらった。

なんと、たった1週間の夫1人の食費しか減らないはずなのに、残高は0になっていた。
余分に貯金していた分も全て使われていた。帰宅後からの生活費は無くなっていた。

ストレスだらけのスタートだった。

いつ突然の腹痛が襲って、失神するかわからないという不安の為、電車に乗る時は動悸が激しくなっていた。

昼間は幼い子どもと二人で、もし私が突然気を失ったらこの子はどうなるんだろうとか考えて居ると益々外出できなくなり、孤立感が強くなった。

ある日、昼間に腹痛がきた。一瞬不安がよぎったが、出産後、初めて訪れた生理だった。

キリキリとした痛みは、あの時の傷みと似ていたが、子宮が収縮した時の痛みだと思った。

そこで、腹痛は子宮が原因ではないかと気がついた。今思えば、なぜ最初にそれに気が付かなかったのか不思議だ。


産婦人科に行ってみた。すると内診した医師がすぐに言った。

「これは、産後の処置が悪かったようですね。産後排出されないといけなかった物が残ったままになっていたのでしょう。子宮内で感染し、その痕がケロイド状になっていますよ。」

それで、生理が復活しようとして、子宮が収縮した時に、その部分が傷みを発したという事の様だった。


あまりの傷みで、迷走神経反射をおこしたという事か。


そう言えば、産後の処置は確かにひどかった。

当時、転勤で実家は病院の少ない地方に引っ越していた。産婦人科も少なく、その為にいつも患者や妊婦さんにあふれ、一人しかいない医師は過労気味。
私の出産の時は、医師も婦長も不在で、新人看護師しかおらず、ぎりぎりまで冷え切った分娩室に放置されるという状態だった。


初めての出産は、ドタバタして酷いものだった。病院を選べないというのは何かあった時に困るものだ。

産後一か月検診で、「子宮に残留物があるから出します」と言われ、いきなり麻酔なしで処置された。出産より痛かったし、感染予防の薬もその後の生活上の注意も無く、そのまま帰された。


おそらくそれで、知らない間に傷口が感染し、自然治癒した後子宮壁がケロイドになったのだろう。
熱がでたり、痛みがでない程度だったから気がつかなかった。

本来なら、病院は、処置した時についた傷が化膿しない様に抗生物質など感染予防をし、しばらく安静にと注意をするべきだったのではないか。

付き添った母も、昔の人で自宅で産んでいる為、そういった知識はなく、実家では私を安静にさせる気は全くなかった。

私は産後は全く眠れず、休めずだった。

何の為に実家で出産したのか意味がないのではと、思うほどだった。

母は、私の身体よりも、世間体を優先。「どんなに体調が悪かろうが、産後の肥立ちが悪いなんて、みっともないから、40日経ったら、絶対に帰ってもらうからね。」

といつも言っていた。だから、フラフラしながら赤ん坊を抱いて帰宅した記憶がある。

今思えば、若い頃の私は強く自分の意志を言えない、抵抗できない人間だったのだ。今思えば、あの頃の自分が情けないし、可哀想になってくる。


診察した産婦人科の医師は「これはどうしようもない事で、昔は血の道といって、多くの女性が苦しんできた症状なんです。もし、また痛みがきたら我慢しないですぐに薬を飲みなさい。そしたら大丈夫だから。」と私の不安感を取り除く事を優先してくれた。


優しく安心させてくれ、痛み止めの薬をだしてくれ、それだけで、私はだいぶ救われた。


そして「完治させる方法はありますよ。出産する事です。また子どもを産む事により、子宮の壁は新しく生まれ変わりますからね。」

と言われた。これらの話が全て真実かどうかは確かではない。でもその時はそう言われた事で精神的に楽になり、救われたのだ。


夫に不信感があり、もう子どもなんていらないと思っていたので、二人目は無理だなと思っていたのだが、それから3年後に二人目を出産し、本当にこの症状は完全に無くなった。

2度目の時は、幸いに実家は都市部に転勤しており、出産する病院も慎重に選ぶ事ができた。


出産は病気ではないと言う人もいる。

とんでもない。一歩間違うと一生重い体調不良を抱えたり、感染して命を落としたり、大出血を起こしたり、子どもの命も母親の命も危険になる事だって、ありえるのだ。

昔の女性は、嫁という立場で何も言えず、産後の肥立ちが悪い事を恥と思われ、一生我慢を強いられてきた。

私は、自分が嫌だった事は、絶対に子どもにはしないと決めてきた。
自分が誰かのお産の世話をする時は、母親になった人の一番の味方になろうと思った。

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