りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。


母から1日に1度は電話がくる。

病室だし、様子がわからないので
こちらからかけるのは控えていたが
母は、かけてほしい様だ。

食事もしないしただすっと点滴しているだけの日々。

リハビリで、足のマッサージはして下さるそうだが
それ以外は、やることもなく
ただ、黙って寝ているだけ。

コロナもあるし、そうでなくても感染に注意する病気なのだから
面会は禁じられている。

その為、人と会う事も話す事も無く
壁を見ているだけ。

1日が長いのだろう。
それに、薬の効目があるかどうかもわからない。

以前の様に手術して、
抗がん剤の投与 が終われば、帰宅できるという確信も無い。

不安になるのは当然。

点滴生活のせいで、機能が衰える方が心配だ。

ただ、母は「何で自分だけが」とまるで病気にかかる事が
負けだと思っている。
以前から、病気や障がいに対して偏見のある人だった。

病気になるのは、ダメな人だ。
世間体が悪い。負けだ。
と思い込んでいる。

もし、私が障がいがあったり、
病気持ちだったら、母は私を恥ずかしい子として
見捨てただろうということ。

その間違った差別意識が自分を今、苦しめているのだ。
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「これが、1カ月続くと思うと
悪い事ばかり考えてしまう。
何で、自分ばかりこんな病気になったのか、
不思議で仕方がない、何で。」
と、弱音を吐き始めた。

母が落ち込んでいる理由が
「病気になってしまって、世間体が悪い。
誰よりも長生きするはずなのに。負けを認めたくない。」
という悔しさが原因であることも感じる。


「人は永遠には生きられないの。
いつかは、この世からいなくなるもの。
高齢になってからの病気はその為の準備なの。
自分がこんな病気になるのはおかしいと思うのは間違いよ。
人間は必ず老化するんだし、お母さんは、たまたま血液が老化しただけ。
誰でもが経験すること。悪いことじゃないよ。」

と、言ってしまった。

これまで元気な時は「私はこの先何があってもおかしくない」と
覚悟を決めたかのように言っていた母だが
実は、自分は特別で、
不老不死だと思っていたのか、
病気になるはずがない、なってもすぐ治ると思い込んでいた様だ。

世間体を気にしたり、
病気の人を馬鹿にしたりするのはもうやめてほしい。

隣のベッドの若い患者さんをそんな目で見ているし
自分はあの人とは違う、自分はたいした病気じゃないと
見栄を張っている。

内容はともかく、母がそこまで元気だということだから
安心はしているが
ここまできて、まだ差別意識を持つのは
やめてほしい。
自分が辛くなるだけだ。

私が、諭したら「そうね、フフッ」と笑って誤魔化していた。

不安になり、錯乱したりする人もいるだろうから
母の脳と足腰が弱らなければよいが。

「薬の効果が出る前に、環境が身体を蝕む気がするね」と
話し、母の不安に寄り添うつもりでいる。

私は、電話と手紙を。弟は、着替などの物のやり取りをする。
雑誌などを差し入れすると言っていた。

弟は、他の医師に色々相談してみて
薬が効かなかった場合、どんな事ができるか
可能性を見つけようとしている。



テレビはコロナ、コロナ。
病院も逼迫してきた。
近くまで迫ってきている感じで
恐い。

抗原検査キットをネットで購入した。

いつ使うことになるのだろうか。
発症後2~9日の人には確定診断できるらしいが
無症状の人にはあまり意味がないらしい。

もし、帰省する時、
しないよりはましだと思うので
日を空けて何度も繰り返して使おうと思う。

家にいても気が重い。

そんな時はアレクサに音楽をリクエストする。
アマゾンプライムだから何でも聞ける訳ではないのだが、
シャッフル再生でだいたいの曲は聞ける。

BGMとして流すのには丁度いい。

で、80年代の日本のヒット曲を聴きたいと思い、
「アレクサ、80年代の日本のヒット曲をかけて」
と言ったが、何回繰り返しても
おかしな言葉にかえてしまい、ありませんと言う。

言い方をかえて、色々試してみたが
まだこちらが話している途中にアレクサが割り込み
「それはありません」と言うだけ。
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80年代の音楽と言えば、すんなり洋楽は流れるのに。

日本の、が入るだけで、混乱する様だ。

 80年代の演歌をかけて。と言えば
スムーズに流れる。

この前は、70年代の日本のヒット曲をかけて、と言ったら大丈夫だった。

なぜ、今回はうまくいかないのだろう。
意地悪をされている気になってくる。

こちらが、話す途中にアレクサが言葉をかぶせて、抵抗するので
「アレクサうるさい。まだ話している途中だよ!」と怒鳴ってしまった。

AIと喧嘩する私。

疲れたので、ジャズやビートルズに変更した。

諦めないぞ。
アレクサと喧嘩しながら、絶対に80年代日本のポップスを聞くぞ(笑)。


その後、追加:「J-POPをかけて」と言えば良かったようです。
言葉を選ぶのかあ。疲れるなあ。

「切ないクラシックをかけて」
とか、」「秋のお散歩ポップスを」
とか、そんなのもOKらしい。

そっちの方が難しそうなのになあ。


母の抗がん剤治療が始まった。
2週間の予定だという。
医師は、気休め❔的な処置で、効果は期待できないと弟には話したらしい。

2週間後には、緩和ケア病院に転院予定になっている。

母は、以前の小腸の手術後の時と同じだと思い込んでいる。
2週間の点滴が終われば、食事をとる練習が始まり、
1カ月後には、退院できて、元の生活に戻れると。

なので、電話がくると
相変わらず、帰宅した後の予定ばかり話してくる。
今回は、手術が出来ず、
腫瘍はそのままだから訳が違う。

声に力があり、具合も悪くないと言い
自分が重病だという自覚が無い。

むしろ、入院するまでの自宅で家事をしていた時の方が
だるい、もうだめかもと弱音を吐いていた。
きつくても家事をやらせ、暴言を吐く父へのストレス。
絶対に家事を手伝いに来ない息子夫婦への不満が
母の心を蝕んでいたのがわかる。

病院に居る方が、解放されている様に見える。

母にすれば、家に居る限り
どんなに具合悪くても父と弟夫婦は冷たい。
入院すると、態度がかわって優しくなる。

入院しないと、人の痛みがわからない人達。
嫁さんは、入院しようが寝込もうが、かわらない。

だから、本来、段々弱るはずが
元気になっていく様に感じる。

医師の1週間前の話では
今頃から、苦しみだして、急変したりもありえて
手のつけようがなくなるかもという事だった。

誤診じゃないかと思えてくる。

確かに検査では、どうしようもなく末期なのだろう。 
寿命でいつ亡くなってもおかしくない年齢だし。

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が、母は、同じ年齢の人に比べて
話し方もしっかりしており、
足の手術後は、しゃきしゃきと歩いていた。

10歳は若いというか、強い気がする。身体も精神も。
おそらく、母の歳での症例は少ないのではないか。

この歳で、こんなに頑張って長生きしたという貴重な例にならないかな。

この前までは、母が帰宅後の話をすると辛かったけど
今は、本当に母の思い通りになりそうに思えて来る。

母が自分でそう思うなら、そうなのだろうと。
自分の事は自分が一番わかると思うからだ。

隣のベッドに、若い人が入ってきたという。
おそらく、母と同じ病気か、血液の病気だろう。
「若いのに深刻そうで、可哀想に。」
と言う母。

自分の方が、もっと深刻なのに
まるで他人事。病気だということを忘れている。

そこまで、辛い思いをしていないということ。
苦しんでいないだけで救われる。

これから、少しづつ変化がでてくるのだろうか。

仮に、少し回復したとしても、
自宅には日帰りで戻らせ、
緩和ケア病院で過ごさせないと
家に戻ると、再びストレスで苦しむと思う。

自宅に戻したいと思っていたが
自宅に置いたらストレスで母が弱るだろう。

電話がかかってくる間は安心だ。

来なくなったらと思うと不安になる。

携帯電話の無い時代だったら
面会ができない時、どんなに気になっていた事だろう。

母は大丈夫だと、昨日は安心して
ぐっすり眠れた。




夫は、自分がいつまでも元気で成功し、老後は裕福に暮らせると信じ、
最期まで、言い訳をしながら1人で暮らすつもりだったと思う。
自惚れが強く、努力はせず、世の中をなめてきた。

結果は、失敗の連続、
現実逃避の繰り返し。
何が大事なのか、わからない人。
目先の欲を優先し、常に自分の事しか頭に無い。

自分の何が悪いのか考えないし
誰かが教えても、馬鹿にして聞かない。
悪いのは世の中のせいだとSNSで陰謀説を流す。

私は、他人のつもりでいる。
離れているから、救われている。

最初は、私や子どもたちにとって
試練だった夫の身勝手さが
今となっては、逆に救いになった。

勝手に別居して自分の事だけ優先した夫と、
被害にあった家族の、これまでの人生の積み重ねは
時間と共に、大きく道が分かれて行った。

沢山の愛を感じた子供たちとの思い出と
これからの楽しみが残った私。
人の怨みと借金だけが残り、
誰も近くにいない孤独な末路の夫。
(と想像する)

老後が迫る今になって、身体の不調を感じたり不安になって
自分には何も残っていない、何も積み上げていない、
誰も助けてくれないと、
自分に何も無いことに気が付いたのだろう。
何も無くしたのは、夫自身だ。
自分から、次々と捨てて来た結果だ。

今まで、邪魔だった家族をあてにし始めたのか。
でも、私もお金は無いし、年金も少ない。

あてにできるのは私の実家。
これまでも、そうやって私を通して実家を利用しようと
義親と一緒に企んできた人だ。

まずは、年賀状でアピールし始めたということか。
馬鹿じゃないか。

弟からは「離婚しないの?」と聞かれた。
え?あなたの方が先にした方がいいんじゃないの、と言いかけてやめた。
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夫には、私が大事にしている世界に関わってほしくない。

夫が関わると、不幸な事しか起こらない。

母は、前から「私の葬式には、あの人を呼ばないで。連絡もしないで」
と言っている。
そうするつもりだ。全てが終わってから報告するか無視だ。

もし、連絡をすれば、うきうきして飛んで帰り
葬式では、張り切って親族面するだろう。
いかにも良い旦那ですアピールをして
全てを無かったことにする。
母はそれが嫌だと言っていた。

だいたいこれまで、私の親族への香典を夫の名前でだすから送ってと言っても
一度も送って来なかった。
私が立て替えてそのままだ。私の親族の付き合いは無視されてきた。

私の実家を利用するだけ利用してポイ、
不義理を貫いて来た男だ。

今更何?という目で見られているとも知らずに
何を自己満足に浸っているのだろう。

裁判好きなので、離婚裁判を意識している事もありえる。
自分の不利になりそうな事を
こうやって潰していこうとしているのかも。
どっちみち、夫の行動は
善意からという事は無く、自分が利用する事しか動機が無いので
用心するに限る。





母の話題がしばらくは続くと思うが
今日は夫のことを書きたいと思う。

弟が、不思議そうに私に言った。
「○○さん(夫)から、年賀状がきたよ。直接本人からきたのは初めてだから驚いた。」

実家にも届いていて、違和感を感じていた。

どんなに世話になっても、迷惑をかけても
知らん顔で、私の実家から逃げ回ってきた人。

今頃になって、突然何なのだ。

年賀状は、別居した時に
重複しないよう、お互いの親族にはそれぞれで出すように決めた。

それまでは、夫は年賀状には無関心で、
全て私に自分の親族の分も押しつけていた。

そんな人なので、元々夫に届く年賀状は少なかった。

相手によっては連名で出すこともある。

なるべくやり取りを減らそうとしているご時世だし
親族も高齢化し、今年でやめますという人が多くなり
最近は数も減って来た。

これまで私の親族を利用した後でも、
お礼を言う訳でもなく、当たり前だという態度の夫は
実家からは嫌われているのを自覚していると思っていた。

やはり、いつもの脳内変換、自分の思いたい様に思い込み、
こんな自分凄い、きっと相手は自分を評価するはず、
と自己満足な行動をしたのだろう。

今頃になって、突然、私からも出しているのを知ってて
わざわざ、自分から出すなんて何か変だ。
なら何故、今まで一切出さなかったの?

しかも、仕事で使う営業用の年賀状で出している。

自分は仕事頑張ってますアピール?
夫は幼児性があるので
考えることはすぐわかる。

自分は仕事を頑張っていて、律儀な男である、と
アピールする何か理由がありそうだ。
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一番の狙いは、お金だと思う。

自分の老後が心配になってきたのだ。

父に借金していることは忘れたふりで、
このまま逃げ切るつもりの夫。
つまり、親が亡くなるのを待っている。
実家や弟に年賀状をだし、返信がきたら
様子を知る事もできる。
私は親の状況は教えないし、
探りをいれる目的もありそうだ。

そして、私が実家の財産を相続するのを待っている。

それを自分の老後の費用としてあてにしている。

自分が親から相続したはずのお金は一切貰ってないと誤魔化している。

夫は、親の言いなりだった。
だから、人も親に言われるとその通りにすると思っている。

老後の為には、私に今、離婚されたくないのだ。
私が、私の親族から、あんな男とは早く離婚しろ、と言われたら困るのだ。

私が自分の意志で、離婚を言い出したとしたら
夫は、親兄弟が、そう言わせたのだと思う人だ。

自分が妻子に嫌われるはずがない、
親の誤解で、無理やり縁を切らせられると思いたいのだ。

自分に非があると認められない。

若い時なら、責任から逃げられてラッキーと思っていただろう、
そうなるように、仕向けられてきた。

が、私はその手に乗らず、抵抗してきた。
夫の未来の行動は想定済。

その通りになってきたなと思う。





母は退屈なのもあるが、不安なのだろう。

弟と私に、毎日電話をかけてくる。

昨日の夜、電話がきていつもの雑談をした。

この前、下着を買って送ったのに、今度は
別のタイプの下着が欲しい、家にあるんだけど
弟には見つけられないだろう。

よって、私にまた送ってほしいと。

今度は一枚なので、封筒に入れて切手を貼り投函するだけ。

今日からの抗がん剤投与にむけて
検査が増えて来たらしく
下着のデザインが気になっているようだ。

そんな事を気にする余裕があるのならいいかと少し安心する。

だが「さっき先生から、膵臓が腫れてるから注射しますと言われた」
と不安そうに言っていた。

弟に聞くと
医師ではなく、母から聞いた話という前提で
「膵臓が腫れているというのは、転移してるのかな。
骨髄の検査もするみたいだ。
医師が忙しくて、予定が遅れているらしい。」

との返事だった。

骨髄の検査は、前回の手術後もやっていたが
その時は、転移なしだった。

再発率の高い、進行の早い悪いタイプのリンパ腫だから
あちこち転移していてもおかしくないのだろう。

前回から、約2年、何とか日常生活に戻れたことは
奇跡に近いのだ。
母は年齢よりも、強いというか身体が若いのだと思う。

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去年から、だるさや食欲不振が再びでていたという。
訴えても、近くにいる弟夫婦や父も
軽く聞き流していた。
定期的に検査をしていて異常が無かったからだろう。

家事ができなくなっていても、
父は甘く考え、手伝わず、暴言を吐いて
弟嫁はいっさい顔もださず、他人事で
母は無理して動き、ストレスは溜まる一方だった様だ。


本当に近くにいてもらって、
大事にするべきは娘だったと思っているのだろうか。

私の予想通りになっている。

「いざとなったら、ちゃんと息子夫婦が面倒見てくれるはず」
と信じて、奴隷のように弟夫婦に尽くした母。

「そんな風には思えないよ。あの人の行動を見ていると。
あてにしない方がいいよ。」
と注意しても、聞き入れず、私より嫁さんを大事にし
娘を差別してきた母だった。

コロナという予想外の災害も起こり、
私も動けなくなった。

人生の最期は思う通りにならないってことだな。
今の母の救いは
息子が近くにいてくれて動いてくれること、
娘が遠くからでも、頼んだ物を送ってくれること、
電話で話してくれること、らしい。

父と、それだけは恵まれて幸せだと電話で話したという。

母は、「もう我慢するのは馬鹿らしい。」と
私に、言いたい事を吐き出している。

お嫁さんが本当におかしな人だったのが
残念だ。息子はよりによって何であんな人と結婚したのか。

と、昨日も怒っていた。
父の事も、まだ根に持っている。
そんな元気があることがほっとする。

今のうちに、どんどんストレスを発散してもらいたい。





母から電話がこないと
心配になる。
かと言って、こちらからしつこくかけるのも
向こうの様子がわからないし、病院なので遠慮してしまう。

こうなる前は、母からの長電話をうっとおしく思っていたのに。
それは、いつでも会える、話せるのが前提だったからだと
今更感じる。
いつ、2度と声が聞けなくなるかわからない。
顔も見ないまま、お別れになるかわからない。

携帯でベッドにいて話ができるというのは
とても助かる。
携帯が無かった時代、使用できなかった時代、
(部屋によっては禁止なのは当然)
それに比べれば、全然違う。
声をきけるだけで安心する。

明日から、抗がん剤投与が始まる。
これから、急激に弱るのだろうか。

何もしない方が良いのでは、とも思えるし
回復するかもしれないと思えば必要だし、
母自身が、治療すればすぐ帰れると信じているので
治療した方が、希望を持てるだろう。

が、途中で苦しみだし、効果も見られないなら
緩和ケアに移行するしかない。

転院する時に、一時でも帰宅させたい。
その場にいたい。

コロナで、県外への移動は自粛要請がでているし
困った。検査キットはネットで注文したが
何度も自分で検査しながら
気を付けながら帰省するか、迷っている。
そのタイミングも。

今は病院にすら立ち入れないので
母に会えるチャンスの時に、とは思うが
それがいつになるのか、わからない。

昨日も母から電話がきて
「また持ってきてほしい物がある。(弟に)伝えて」
「お箸が入った箸箱とスプーンを持ってきてほしい。」
「そのうち食事をする練習が始るでしょ。まずは流動食からよね。いつでも食べられるように
用意しとかないと。」

食器棚の引き出しのどこどこにあるから、伝えてね、と
何度も言う。
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一瞬、胸がきゅっとなったが、
気持ちを切り替え、
「そうだね、わかった。伝えておくね。明日、帽子が届くだろうから
それと一緒に、持っていくと思うよ。」
といつも通りに明るく答えた。


二度と、食事はできないと医師に言われている。
食べると、十二指腸が破裂する可能性があるそうだ。

本人は知らない。

今は何ともない、痛みも苦しさもない、歳相応にだるいだけ。
と言う母。

これを、抗がん剤で、わざわざ副作用で弱らせるのが果たして良いのか。

何もしない事を選んでもいい、
でも、治療をしなければ、そのうち強い苦しみが襲います。
なので、苦しみを和らげながら看取るやり方を
今すぐ始めてもいいです。

と医師に言われたらしい。どっちにしろ、結果は同じだと。

母が、今苦しんでいるのなら、緩和ケアをすぐに選ぶのだが。

毎日、私の思いは、同じところをグルグルと回っている。

どこかで、医師の話が信用できない。

弟も同じ気持ちなので、色々相談すると言っていた。
弟の存在が助かる。
どんなに気がきかなくても、
奥さんが冷酷でも、
今ほど、いてくれて助かることはない。

私より、何倍も辛いと思う。

母と今日は絶対話して置こう。

明日からどうなるかわからないから。






夕飯を食べていると
実家の番号から着信があった。

一瞬母かなと思ってしまった。
入院しているのに、離れているからピンと来ない。

これまで父から電話が来るなんて、ほとんどなかった。

母に何かあった?と思い、
ドキドキしながら電話をとると
(母に渡す下着類の)宅配便が届いたよという連絡だった。

これまでは、そんな事で電話をしてくる事はなかったので
私と話したかったのかもしれない。

荷物は弟に渡して病院に預けるように頼んで
父とお喋りをした。
先日、話したいと思った気持ちが伝わったのかも。

その日、父はガラス越しに母と面会をしたのを弟から聞いていた。

それも私に伝えたかったのだろう。

弟は、父に全てを話し、今のうちにガラス越しでも
母との面会をさせた方が良いと思い、
病院にお願いし、許可を得て、父と面会させたのだった。

父は、ガラスのドアの前まで、歩いてきた母を見て
あんなに元気なのに、と、安心しながらも
複雑だったろう。

母とも電話で話をした様だ。

「自分の事は心配するな。大丈夫だよ。ちゃんとご飯も作れるから」
と何度も母に言った様だ。

私にも同じ事を言い、
コロナが怖いから、無理に帰って来なくていいと言っていた。

とてもしっかりと話していて
認知症がでているようには思えないが
ムラがあるのだろう。
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母からも、退屈してよく電話がくる。

いつ最後になるかわからないから
一杯話しておこう。
もうここまできたら、前とは違う。

病院で面会もなく、黙って寝ていたら
一機に衰えそうだし、母を元気つける為にも
今まで通り、軽口をたたいたり、愚痴を言ったり
つい長電話になっていく。

まるで、うるさいと思っていた、あの頃に戻ったみたいだ。

これのどこが末期なの?おかしいよ。

下着が届いたら、今度は、室内用の帽子がほしいとのこと。
脱毛が気になるし、寒いからと。

弟に持ってきてほしい物も、
私に連絡してきて私から弟へラインで伝える。

ガラス越しの面会も、許可がないとできない。

荷物は預けて、顔も見れずにそのまま帰るだけ。

それでも、家にいても気がめいるから
病院に持っていくだけでも気分転換になるらしい。

しばらくは、あれをこれをと言って来て
病院に運ぶ日が続くようだ。

私は、母は他の人より内臓は10歳若いと思う。

だから、とりあえず2週間の抗がん剤治療で、
(医師は、治療が始まると急変するかもと、見込みは無いと
匙を投げているが)
奇跡的に、一時的にでも回復する気がしてならないのだ。

本当に末期なら、母自身が自分の身体に胸騒ぎを感じる気がするからだ。

本人が、すぐ帰れる、治る、治す為なら、頑張ると思っているのに
勝手にもうダメだ、高齢だからと、周りが
諦めてはいけないんじゃないか。

母が今、苦しがってて意識朦朧なら
医師の話も、緩和ケアも納得するし、お願いする。

本人が苦しみもなく、希望をもっているから辛いのだ。

元気なのに、悪くなるのを見て行かないといけないのは
残酷なことをしている気がしてくる。

誰でも、いつかは寿命がくるし
元気で長生きしてきた母は、本人が口癖だったように
いつ何が起きてもおかしくない年齢だ。

母は幸せな人生だったと思うし、仕方の無い事なのだが。

親を看取った人は、似た様な体験を誰もがしている。

コロナのせいもあるかもしれない。
帰省も見舞いもできないことが
不完全燃焼な気持ちを増幅させている。

まさか、こんな事が世界中に起きるなんて。

いかにこれまでの日常が幸せだったかと思わざるを得ない。







弟の話では

母はあと2~3週間もつかどうか。だと。
いつ急変するかわからないと。

は?あんなに元気そうなのに?

自分でお風呂も入って
廊下を散歩して、携帯で電話もかけているのに?

寝込んで苦しんでいるならともかく
本人は、「あと1週間ほどで退院できるのかな、
帰宅したら、しんどいけど、片付けをして
あれをして、これもしなきゃ。」
と、電話が来る度、話している。


医師が言うには、
リンパ腫の再発で、できた場所が悪く
手術は危険すぎる。
 高齢であることと、リンパ腫の種類が良くないタイプで
これまで、回復していたのが奇跡の様なもの。
抗がん剤で治療すると少しは縮小するかもしれないが
その前に、合併症で急変する可能性が高い。

治療をせず、緩和ケア病院に転院するか、
抗がん剤治療を続けても、2週間で打ち切ります。
その後は、緩和ケア病院に転院する事になります。

どうしますか。と聞かれたという。

今の母が、瀕死の状態なら、
楽になる方を選んだかもしれないが
本人は、すぐ帰宅できると思うほど
しっかりしているし、苦しんでもいない。

母は、再び以前の様に手術すればまた帰宅できて
元の生活に戻れると思い込んでいる。
だから医師に「先生、さっさと切ってください」と頼んだと言う。

弟は、そんな母を見ていて、緩和ケア病院に入ろうなんて言えないと
どんなに失望するだろうと
戸惑っていた。

そして、更にショックなのは
「このまま、二度と食事をすることはできません、最期まで点滴です」
と言われたことだ。

十二指腸が薄く、いつ破裂するかわからないそうだ。

できた場所が悪すぎる。

今日、元気でも、いつ何が起こるかわからない、
だから、2~3週間の命だと。

母に買ったばかりの下着と退院時に着るセーターを買った直後に
聞いた、ショックな話。
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もう、二度と家に帰れない。
母は、家に帰ってあれをこれをとやる気で話してくる。

嘘でしょう、おかしいよ。
私は、母を信じる。本人が希望を持つ間は、
母の思う通りになると信じる。

だから、退院する時に
私の送った下着とセーターを着て
帰宅することを信じて、そのまま送った。

母には、手術はしないで、薬で治しましょうと伝えられた。

「いつまでですか?退院はいつ頃になりますか?」と
看護師さんに聞いたらしく
「2月頃まででしょうかね」と言われたそうだ。
それを私に「すぐに帰るつもりで来たのに
2月までかかるなんてね。近所の人には退院してから
こうだったのよと報告するわ。
帰ったら、介護サービスも頼むわよ。
そして、片付けもして…」
と毎回、帰ったらやりたいことが一杯あると話す。


もう帰れない、元の生活には戻れない、
このままお別れだなんて
あまりに残酷すぎる。

こんなに元気な母が
これから弱っていくのを見て行かないといけないなんて。

コロナで面会もできない、
私は、県外なので完全に出入り禁止。
帰る事もできない。

今は、母から電話がきて
普通に話しているから、現実味がなく
声をきくと安心する。

医師の判断は正しいのか。
セカンドオピニオンを聞いてみたいと弟に言ったら
弟も同じ気持ちだった。

当然、弟の方が、参っている様子。
奥さんは、相変わらずで、他人事。
少しでも、夫婦一緒にやってくれていたら
弟の気持ちも救われただろう。

奥さんにも話せず、隠れて泣いている様だ。

私に全部ぶつけなさいと言っておいた。

今は、母を信じる。
きっと帰れる。
そう思うと悲しくない。

母自身がそう思っているのだから。
本当に末期なら、本人が胸騒ぎを感じて
弱音を吐くだろう。

母が、希望を口にする間は同じ気持ちでいることに決めた。



母は、私が前の様に電話にでて
話をするようになったからか
退屈なこともあって、何度も電話をかけて来る。
こうなったら、少しでも何でも母と話しておこうと思う。

電話ができる、自分でお風呂に入れる、
今のところは、自分のことは普通にできている。

声は力が無いが、
話し方はテンポよく、とてもしっかりしており、
同じ年齢の人から受ける年寄りのイメージとは
かけ離れている。

それだけに、自分のこれからについて敏感になっている。
私が何か知っているのではないか、聞いてくる。
脳がしっかりしたまま重い病気になるというのは
不安や恐怖、苦しさも鮮明になるので残酷だ。
若い人の病気との戦いが壮絶になるのは
そう言う事なんだろう。

脳と身体の老化のバランスは大事だなあと思う。

父の脳と母の脳の状態が逆だったら良かったのかもしれない。

母が、実は…と色々吐き出した。

父の元来の性格に加え、認知症が入り、
母に対する暴言が最近酷くなっていたようだ。

認知症と言っても、ほとんどちゃんと生活はしていけるので
一緒にいると、わかりにくい。

病気だとわりきれるものでは無いだろう。
ストレスは相当なものだったと思う。

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たいしたことなく、すぐ帰宅できると思って
家の事を、そのままにしてきたのを気にしていた。

「入院に必要な荷物を弟が持ってきたが、
下着も父の物を持って来たり、
捨てようとおいて置いた古い物だったり
男だから、気が付かないのかなあ、こんな時に奥さんが
手伝ってくれたら、女性の衣類なら気が付くと思うけど
何も手伝う気はないみたいだし。
それにしても、下着が無くて困った。」

と言うので、
私が買って送る事にした。

すぐに、近所のお店に買いに行き、
上下の下着数枚づつと薄手のセーターを買って(退院の時に着る服を気にしていたので)
他にも、希望された物をまとめて送ることにした。

買物を終えた時は、外は暗く、冷え切っていた。
帰ろうとすると弟から電話がきた。

主治医から、母についての説明を聞いた報告だった。
店の駐車場で話を聞いた。

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