りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。


海外ドラマを見過ぎていつも眼精疲労になるので、休養として
アマゾンミュージックで、色んな曲を聴いて楽しんでいる。
テレビ画面に歌詞が出るので、カラオケの練習になる。

最近好きになった曲があって、練習しようと声を出したら全然出ない。
焦った。喉が締め付けられる感じ。
以前より声を出す機会も減ってるし、
老化が一番の原因だろうけど、これはヤバいと思った。

コロナ禍になってから、カラオケも長く行っていない。
カラオケは健康に良い。
誤嚥防止にも良いし、有酸素運動だし、ストレス発散できるし良い事ばかり。
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私の場合、誤嚥が一番気になる。
楽しみながら、自然に喉が鍛えられるなら最高じゃないか。
問題は、歌が下手なこと。
元もとが女性にしては低めでハスキー、大声を出すのが得意では無い。
中間の高さの声も出ない。

カラオケに行っても下手なので恥かしく、率先して歌う事はあまり無い。
あの空間が好きで人の歌を聴くだけで楽しいからいいのだ。
私みたいな人間は、1人カラオケがいいかもしれない。

家でカラオケの練習しているのが近所に聞こえてないかな。
うるさいかも?変な声が聞こえると騒がれそう?
小さめの声でも出さないよりはいいかも?
これも有酸素運動だ。

車に乗った時に、大声で歌うのが一番かな。
こういう事も1人でいるからできること。
1人暮らしはやっぱり最高だ。



再び子どもが、ふらっと遊びに来た。
お菓子のお土産を持ってきたので、一緒にお茶を飲みながらお喋り。

こうやって、適度に?子等が入れ替わリに来てくれるので、寂しくない。
それだけで満足してしまうから、他人と会うのがおっくうになってしまうのかな。

どうやら恋人ができたらしく、
遠距離恋愛なので大変そうだ。

私は、結婚しなければならないとか、早く孫を見せてとか絶対言わないし、思わない。
自由に好きに生きればいいと言っている。
自分が結婚に失敗したことが大きいのかも。
親から早く結婚しろとうるさく言われたのも原因だと思っている。

とにかく子どもには、私みたいな人生を歩んでほしくない。
どうか普通の良い人に巡り合えますように、と祈るのみ。
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これからの事を考えると、気がかりになってくる。
子ども達が結婚するとなると、夫の存在がまたもや足を引っ張る。
この異常な別居生活を話さないといけない訳で、
子ども達が辛い思いをしたり、恥をかくのは目に見えている。

いっそのこと、下手に繕って父親を紹介するよりも、
出て行ったまま帰らないので、縁を切っていると話した方がすっきりするかも。
夫には関わらせないようにする。
どっちみち、連絡したところで、夫は父親として何もしないどころか、
搾取目的で、将来、子どもの家庭に馴れ馴れしく土足で入り込む可能性もある。

今、籍はそのままでも、縁を切られたようなものだ。
向こうから無視して、連絡を絶っているのだし。
ただ、ずるい人なので、自分が利用したい時には急に態度を変えて、
擦り寄ってくるはずだから、早く籍は抜きたい。

そんな事を考えると、気が滅入る。
いざ、その時には子ども達と一緒に考えてみたい。
縁が簡単に切れるならさっさとやっているのだが。
サイコな面もある人間なので、何をされるかわからない。

私ではなくて、子どもにつきまとう可能性が高い。
それも、騙しやすい子を選んで。

これまでも、子どものお祝い事になると、
必ずモラハラ、嫌がらせをして水をさしてきた最低の父親。
家族が幸せなのが気に入らないのだ。
そんな奴に、子どもの結婚を祝う気があるとは思えない。

本当に離婚を急いだほうが良いとわかっている。
でも、まだ実家に住める状況ではないし。

こういう嫌な思いをさせられることが、夫の思うつぼであり、
私達は加害者の支配から抜け出せていない事になる。

ならば、いっそ何も考えず、
こちらの好き勝手にやってしまえばよいのだ。
夫は自分から責任を放棄したのだ、
だったら、本気で存在が無いものとして考えよう。
事実婚があるのだから、事実離婚もあっていい。
夫とは縁を切りました。母子家庭です、でいい。

あいつに文句を言う資格はない。
こっちから父親の資格をはく奪してやるのだ。
気にして来たのは、罪悪感が邪魔をしてきたからだ。それがDVの手口。
目には目をでいこう。
こういう思考で行く事が、心理的支配から解放されるコツなのかもしれない。


 


ジャニーズ事務所の問題で、記者会見の様子にしても、
事務所側の体制にしてもしっくりこず、日本はまだまだ人権教育が遅れていると思った。
性的、経済的、精神的、肉体的など、さまざまな暴力、所謂「虐待」について
自分もまだまだ理解できていないと感じる。

日本はどんどん世界から取り残される。
そうしむける力が働いている気さえしてくる。陰謀論ではなく。

あるジャーナリストの解説を聞き、再確認した。↓

虐待の加害者の目的は、相手を支配すること。
被害者に対して周囲の人間は「何故、逃げなかったの」と言う。
逃げられない状況に心理的に追い詰めるのが加害者の手口。
ジャニーズの場合も同じ。
被害者は、異常な空間に支配され、その恐怖やストレスから、自己防衛本能が働き、
回路を遮断し、異常を認知しない様になってしまう。
だから逃げられなくなる。

加害者は、支配しやすい相手を選んでいる。
(シングルマザーはターゲットになりやすい)
相手の弱味を握り、優しく援助して(経済面、食生活、性的)騙した後、
様々な暴力の形で、支配し依存関係に持っていく。
外の世界を遮断させ、外には敵しかいないと恐怖を持たせる。
戦うふりをして、自分しかいないのだと思わせる。
そうやって、離れられない様にしていく。

被害者は、過剰なストレスを抱え、いつかは爆発する。
虐待の結末は、必ず悲惨な事になると言う。
実際、悲惨な事件が多いし、
一部の権力者の悲惨な終わり方もそう言う事らしい。

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ジャニー喜多川に関しては、亡くなってから問題が取り上げられ、
何故、生きているうちに罰を与えられなかったのかと
誰もが腹立たしく思っているはずだ。

加害者の最悪のハラスメントというのが、まさにこれ(しぬこと)だと言う。
加害者はすぐに「いう事聞かないならしんでやる」と言う。
それも虐待の手口。ジャニーは最悪のハラスメントをして逃げた事になる。

被害を根本的に改善するのであれば、全ての被害者(その空間にいた人)に
まずは医療的対応させるべきであると言う。
それ位、簡単に解決できる問題ではないという事だ。

自分が虐待の被害者だと思うならば、黙っていてはいけない。
黙って我慢することは虐待に加担する事と同じ。
まずは、加害者にきっぱりと示すこと。
「あなたに興味が無い」とメッセージを送ること。

以上、ざっとまとめてみたが、
公的権力者が国民に対して加害者であったら、とても恐ろしい事になる。
過去に存在したし、今でも存在する。

加害者=NPD(自己愛性人格障害)だと思う。
夫の行動も、あてはまる事が多い。
戦うふり、自分しかいないと思わせるやり方、
子育てを押しつけ、経済的に困窮させる事で、私を身動きできなくし、、
周囲の人間を悪く言い、全てその人達のせいだと
電話、メール、帰宅した時にもしつこく言い続け洗脳しようとした。

もし、ずっと同居していてどっぷり夫の洗脳空間にはまってしまったら
今頃、完全な共依存で私まで最悪な人間になっていたかもしれない。

それでも、どこか違和感を感じ、ストレスが蓄積し、
病気になっていた可能性もある。
そうなると益々夫の思うつぼで、子ども達も人生狂わされ、
精神面でも苦しんでいたかも。ぞっとする。

夫が、弱虫で逃げ癖があったために、責任から逃亡した別居生活。
それが計算間違いで、私と子等にとっては救われる結果となった。

本当に夫に悲惨な結末が訪れるとしたらいつなのだろう。
子ども達が巻き込まれない形であってほしい。





我が家には小さい古いテーブルライトが2個ある。
かなり前に、電器店で投げ売りしていた物。

それぞれ、リビングと玄関の常夜灯として使っている。
シェードが濃い色なので、明るめの電球をつけても周囲は暗い。
明るい色のシェードに交換しようかなと思い、
色んなお店を見たが、サイズもデザインも値段もなかなか合う物がない。

買った本体よりもシェードが高いし、それならスタンドそのものを買う方がまし。

思いついたのは、自分で作ってみる事。
失敗しても遊びみたいで楽しいし、小学校の工作みたいだ。
透明で、形が綺麗に作れて、丈夫な材質の物があるかなと考え、
クリアファイルを思いついた。

ほんのり色付きやイラスト付きのクリアファイルも使えば綺麗かもしれないし、
余ったものが沢山あるから、失敗しても惜しくない。

試しに、透明なシンプルなファイルで作ってみた。
1枚の板状に広げて、スタンドにすっぽりかぶせる円筒にする。
不要部分は切り、セロテープで仮止め。
更にその上から、余っていた障子紙を巻き付ける。
ほんのり半透明になり、良い感じ。
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上下の端の始末として、これも家にあった銀テープ(装飾用)をくるりと巻き付ける。
何かについていたフリフリレースの飾りを物置から出してきて、
上の部分に飾りつけた。

簡単にできた。家にあった余り物だけで。1円も使わず。
内側の固定器具は作れないので、筒をすっぽりスタンドにかぶせる形。
ライトをつけると明るくて、可愛くなった。

もう1個も同じ様に、今度は模様入りのファイルを使った。
同じく上から障子紙を巻きつけた。模様がうっすらと浮き上がり、
なかなかいいじゃない?
と、1人満足して楽しんだ。

取り外すのも、ぽいっと手で取るだけだし、
壊れたらまた作ればいいし。
人が見れば、安っぽい工作物にしか見えず、
貧乏人の家らしいのだろうけど、お店で売っている高いシェードに比べたら
これで充分だ。
立派な応接間に飾るインテリアを意識するなら、私も
ちゃんとした物を買うだろうが、
我が家では、この程度の物が似合うし、気に入った。

飽きたり、誰かに笑われたら、また本来のシェードに戻せばいい。

それにしても、以前は物が安かったなあと今つくづく思う。
このスタンドは、タダ同然な値段で買えた。
今では絶対そんなに安く買えないと思う。

ささやかな事だけど、頭と手先を使う工作もたまには脳トレになっていい。


お風呂のカビが気になってくると、
天井、壁をハイターで拭いた後、しばらく時間を置いてから
水で流したり、雑巾で拭きとる作業を定期的にしている。

先日もやったのだが、ハイターを洗い流そうとお風呂にいくと びっくり。
天井の一部が黄色く変色していた。
最初に拭いた部分なので、ハイターが濃くついたのだろう。

これまでこんな事は無かったので焦った。
実際お風呂を使う時は、湯気で目立たないとは思うが、
綺麗になるはずが、汚くなったら意味が無い。

ネットで調べてみると、天井板の変色ではなくて、板についている水垢が変色しているらしい。
確かに、長年使ったお風呂だから水垢がこびりついてもおかしくない。
メーカーのアドバイスに、酸素系漂白剤で色が戻るとあった。
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天井なので、紙に浸してはりつけられるのか、
台に乗っても手が届かないし、転倒しても怖い。
しばらく浸さないと効果が無いなら無理かもと
がっくりしていたが、やるだけやってみることにした。

ワイドハイターの液をアクリルスポンジにたっぷり浸し、
トングで挟んで台に乗って、片手は柱を掴んで身体を支えながら拭いてみた。
すると、あっという間に変色した部分が元に戻った。
こんな事があるんだ。勉強になった。

最後に全体を雑巾で拭きとり終了。
お風呂の古さはそのままだけど、すっきりした。
ハイターの臭いがほんのり残って清潔感を感じるのも効果的。

お風呂の黒カビなどは、間質性肺炎の原因になる事もあると
聞いたことがあるので、かなり前から気を付けていた。
昔は、掃除嫌いの人が「埃で命は落とさないよ」と言っていた。

時代の移り変わりにより、人間を取り巻く環境、身体も変わって来た。
掃除嫌いでお風呂も含め家中のカビと埃を気にしていなかった弟の奥さんは、
もしかしたら家が原因で肺炎になったのでは、とつい思ってしまう。
もしそうだとしたら、恐ろしい。
私の心の中でそう思っているだけの不確かな話だけど。




子ども達は、休日になると交互にフラッと泊まりに来る。
私は1人暮らしになってから、寝る時間が早くなり、
その分朝早くに目が覚める様になった。
お年寄りの生活リズムそのもの。

誰かが泊まりにくると、
そのリズムを相手に合わせようと思うから、
最初のうちは変に緊張している。
少し前までそれが当たり前の生活だったのに
あっという間に、生活リズムは変化する。

遠慮のいらない家族なのだし、
食事の準備をしたり、あれこれお喋りしていると
緊張はすぐに取れる。それ以外はお互い好きに過ごす。
(少しでも居心地良くしようと思うのが緊張に繋がるみたいだ。)

夜、誰かが家にいると思うと安心して眠れる。

先日、お弁当を作って、子が帰る時に持たせた。
いつもはそんな事はしないけど、ちょっとお遊び的な感じで。

久し振りに高校生弁当を思い出した。
長い間、お弁当を作り続けていた事が信じられなく思えるほど、今は気力が無い。
朝、5時半に起きて作って、朝食を食べさせてそれぞれを送り出し、
仕事に行く生活、今ではもうできない気がする。
体力、気力が持たない。

お弁当のメニューを毎日考え、食材を買うのが大変だった。経済的にも。
物足りなかった事だろう。我慢ばかりさせた。
でも母同様「あの頃が一番楽しかった、あの頃の自分が好きだ」
と思える日が来るとしたら最高の幸せだ。
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久し振りに子どもにお弁当を作るのは面白いし、
刺激になって良かった。
特に末っ子は、小さい時からお弁当への想いが強く、
お弁当=親の愛 を感じている様に思えた。
あえてそれを私は口にしないできたし、本人は自覚していないと思う。

反抗期で荒れていたり、落ち込んでいるのかなと思った時に、
休日で家にいても、昼食をあえてお弁当にして一緒に食べたりした。
効果てきめんで、笑顔になっていた。
我が子にとっては、お弁当は癒しの薬になっていたと思う。

今はどうかわからないけど。
親が作った弁当だからではなくて、料理を人に作って貰う有り難さや
食べ物を大事にする気持ちを持ち続けてくれたらいいなと思う。

今回は、子どもの為にと言うよりも、
私の喜びの為に付き合ってもらったというのが真実なのだ。
こんな事ができるのも今のうちだけだろう。
そのうち、泊まりにも来なくなると思う。
それが当然、そうでなくてはいけない。

自分は、どんなに厳しい時期でも、生き方を迷った時も
「子どもの事を最優先に、一番に考えれば間違うことはない。」
と思う様にしてきた。

自分の事を一番にしてしまうと、
その場は一時的に楽な気がするかもしれないが、
必ず、後からその時犠牲にした何かの歪みが自分に返ってくる気がするのだ。
(夫は問題外。)

あくまでも私個人の考えに過ぎない話。



母の重い病気がわかった時、母から電話で言われた。
「私は重い病気みたいだわ。今日医師からあの子(弟)に説明があったみたい。
可哀想に、母親が病気と聞いてショックを受けてるわよね、
ああ可哀想に。今頃、落ち込んでいるだろうねえ。あの子に余計な心配かけてしまったわ」

思わず、私は「え?私もあなたの子どもだけど。可哀想じゃないの?」と口走った。
それでも母は??という反応で、意味が理解できていない様子だった。

重い病気で先が短いと知り、母自身、相当辛いはずなのに、
息子の気持ちを心配する母。
小さい頃から息子の気持ちばかり配慮して、娘の気持ちは想像もしないし、
どうでもよいという長年の習慣?がそのまま表れていた。

世間体の悪い行動をする私の夫を軽蔑してはいたが、
弟は嫁の尻に敷かれて可哀想、私には悪い男に騙されたあなたが悪い、と言う。
恥かしい娘だからと、他人のふりをさせられたこともあった。

私は弟に母の表裏を全て話した。
弟がたまに母にちくりと注意すると、一瞬慌てるが態度が変わる事は無かった。
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母が病気になってからは、それまでの気持ちは一旦忘れ、積極的に母と話す様にした。

皮肉なもので、寿命を意識した母は、
次第にまともな事を言う様になり、俗っぽい計算や世間体や差別意識も消えていた。
本当に、仏様に近づいていってた気がする程だ。
言葉使いも綺麗になっていた気がする。

私への態度も自分の人生と重ね、
女性の生き方として共感し、まるで同じ年の友人と話している様だった。
変なフィルターが外れ、真実が見えたかのように。
自分の人生を振り返りながら、20代に戻った様な、別人のような、
何でも素直に私に話す日が続いた。

亡くなる日が近づくにつれ、弟に不信感を持ち始め、
息子と話があわないと言い出し、自分は間違っていたと言い出した。
私にだけ電話をかけてくるようになった。
「大丈夫だから、心配しないで」と何度も慰めた。

「私はもうダメかもしれない」と言う最期の電話も私にかけてきて
私一人、病室に泊まった日の夜明け前、
結果的に、私一人で看取ることになった。
あの時の幸福感は悲しみを超えていた。
理想的なお別れが出来た様な、満足感があった。

自分にとって、二人の母がいた。
毒親的母と亡くなる前の良き母。どちらも記憶から消えない。

暇な時間ができる度に、思い出す。
今までずっと母の電話の相手で、こんなゆったりした時間は無かったなあ。と。

そして、生れてからこの歳まで続いていた説明のつかない嫌な感情がぷつっと消えた。 



1人暮らしになったせいもあると思う。
最近、休日や夜、ぼーっと過ごす時間が多くなった。
以前なら友人と電話したり、会ったりして暇を感じる事は無かったが、
この数年のうちに、人と接触するのがおっくうになり、
1人でいる方が楽になってしまった。

海外ドラマに夢中になっている時は、時が速く過ぎるのだが。
その後の疲労を取るまでに時間がかかり、
目から体調不良へ、不安感へと悪循環になる。
なので、今は観たいのをぐっと我慢して、休息中。

空いた時間に、やる事があると気が紛れるが、
これまでこんな暇な時間を感じる事はなかったなと気が付いた。
子育て中もそうだけど、空いた時間は母の電話相手をしていたからだ。

それも長い間。
今から出勤で、急いでると言っても電話を切ろうとしない母。
一度話し始めると、何時間も1人で話しまくる。
話さないと不安だったのだと思う。
が、相手をする私にはストレスだった。
ただ、色んな親族の情報、父や弟家族の事が良くわかったし、
たまには、私も愚痴を言って(あまり聞いてくれなかったが)発散できたので
仕方なくも、話し相手になっていた。

誰にも話せない夫のことは、母にしか話せなかった。
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あまりに長電話になると、父が後ろから怒鳴りつけ突然電話を切られた事もあった。
母と話した後は、いつもイライラが残っていた。
母の表の顔と裏の顔が違い過ぎて、
裏の顔を私に吐き出して、表では物わかりの良い良い人を演じていた。

一番私がイラついたのは、
娘の感情はどうでもいい、娘は何をしても気にしないもの、
いくらでも利用してもいいという親の差別的思い込みだ。

息子の感情はいつも気にして、気を使い、冷たくされても
裏切られても大事にしていた。
私は母の都合の良いストレス発散の道具だったと思う。

勿論、抵抗し、電話にでない、断ることもあった。
すると、何て冷たい娘なんだ、親を泣かせるなんてと非難された。
それも、私にだけ見せる顔だった。
色々そんな事が積み重なり、私が大爆発したこともあった。 続く




いつまで運転ができるのか、わからないけど、
若い時よりも運転が怖くなってきた。
目の調子が悪いのも原因だけど、ヒヤリハットを体験すると、より慎重になる。
このまま無事故の記録を維持したまま終われたら良いけれど。

どこにでもドライブできる人が羨ましい。
元々運転は好きでは無く、生活の為、仕事の為にやむを得ず乗って来た。
だから、他人を乗せるのはできるだけ避けたい。
もし、事故したらと思うと怖い。本来私は怖がりだ。
とは言え、子どもが小さい時は、車があって助かった。

病院に何度乗せていったことか、
部活の試合の競技場への送迎もあちこち行った。
仕事でもタクシー並みにあちこちに運転して行った。

ちょっとした引っ越しの手伝いも、車に家電を乗せて運んだり、
思い出すと、色んな事で車を使って来た。
免許を取った時は、ここまで運転するとは想像していなかった。
長くペーパードライバーだったが、
結婚し、夫があんなで、1人で子ども達を育てる為には
絶対に車が必要だった。
その費用も全部自分でどうにかするしかなかった。
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今は、自分の為だけにしか使わなくなった。
たまに子ども達から、飲み会や、結婚式の会場、イベント会場までなど
送迎を頼まれる。

先日、片道1時間ほどの郊外のある場所に、子どもから送迎を頼まれた。
目は見えにくいし、頭がぼーっとしていたので不安だったが
私が断ると困ってしまう様だったし、不安なだけでやめてしまうと何もできない。
逆に運転中の方が集中して気は紛れる。

実際その通りで大丈夫だった。
運転しやすい道でもあり、帰り道は気分の良いドライブになった。

子は、急に静かになったなと思ったら疲れて寝ていた。
私の運転を信頼してくれてると思ったら
そうか、赤ん坊の時からいつも私の運転であちこち行ってた訳だしなと。

(今では、自分の車でどこへでも運転し私よりずっと上手。)

色んな事を思い出して、ほのぼのとしてとっても幸せな気持ちになった。
この前までチャイルドシートに座って、私の運転に命を任せていた子が
こんなに成長して、今もたまに私の車に乗っているシーンが
急に感動的に思えて来た。

反面、夫の運転は皆嫌いだ。
危険な目に遭わされた記憶しかない。
危ないことは1人の時にやってくれ。
家族を故意に危険な目にあわせようとしているのかと思う位だ。

事故はよく起こしている様だが、
何故か、ピンピンしているのが不思議だ。
それももう遠い過去。むこうには幸せな思い出なんて無いだろうし、
不要なのだろうから、どうでもいい。
早く自滅してほしいと思う。

私はこのまま楽しく自由にやっていくから。


夫は以前、SNSでもターゲットを探していた。
今とは違い、まだ自信にあふれていて熱心に投稿していた。
なりふり構わずと言った感じで、フォローしたり、誰とでも友達になっていた。
その中で、中小企業の社長さんに熱心にコメントを送り、
会った事もないのに、まるで古い付き合いみたいに慣れ慣れしい会話をしていた。

夫は、人との距離感がおかしい。
初対面なのに、馴れ馴れしくしたり、
逆に家族には変に距離を置いたり、
顔見知りの数は多いけれど、信頼関係があるかというと無いと思う。

夫が変な行動をとって、まだ迷惑をかけるのが気になり。
その頃の夫のSNSは気を付けて見ていた。
あえて中小企業を選ぶのも夫の作戦だ。
そりゃそうだろう。大企業の社長さんが夫を相手にする訳もなく、
夫もそこまで騙せる力も自信も無いはずで、
かと言って、個人で会社を必死で経営されている社長さんを舐めているのは失礼な事だ。

SNSのコメント欄のやりとりだけの関係なのに、
夫は、入り込めると自信を持ったのか
その人の所へ(会社名で住所がわかる)送り物作戦を始めた。
ケチな人だから、自腹ではなく、得意先から貰った物をいかにも自分が買ったかのように、

社長さんに話を合わせて、さも温和で誠実な人間を演じる。
私や夫を良く知る人がそのやり取りをSNSで目にすれば、
「またこの人やってるわ。あ~あ。」
と呆れる事になる。

相手の社長さんは、本物の苦労人で責任感があり、
夫の小手先の嘘なんか、いずれ見抜くはずだ。
しばらくすると、夫はその人から離れた。
嘘は続かない。相手にされなくなったのだ。
結果はわかってはいたが、ホッとした。

で、また次のターゲットを見つける夫。

また個人経営の社長さん。相手方の学歴が東大というのも気に入ったようだ。
夫は、自分の憧れるタイプの人を自分に投影する癖があり、
まるで自分の実績、立場であるかのように思い込む。

その人との関係は、コメントの交換だけの知り合いなのにだ。

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その社長さんが、ある日、東大に仕事関係で用事があって出かけると投稿していた。

その後、たまたま夫とメールのやり取りをした。
用事が終わった後、夫は
「今、個人的に新規の大きな仕事の話がきている。
自分を高く評価してくれる社長さんがいて、東大も関わっていて、
今度、東大で会う事になっている」
と誰も聞いていないのに、嘘をついてきた。

嘘がばれているとも知らず、
相変わらず、簡単に私を騙せると思っている様だった。
何度、そんなホラをふかれたことか。

その後、この社長さんの会社は倒産の危機にあるとわかり、
そうなるとさっさと縁を切った夫。

夫が詐欺師で、人格障害なのをあのメールで確信した。
こういう嘘を何度もつく異常さ。
一度ばれたら、次は通用しないと思うべきものを、
言い訳すれば騙せると信じて居るのも変。

信用、信頼関係というものが、どういうものかわからない様だ。

そもそも、いくらターゲットを見つけても、
何も証明する実績も推薦する人も無いのだから、
騙せると思うその自惚れはどこから来るのだろう。

たまたま、若い頃にうまく寄生できたのを勘違いしたのだろうか。
それも、嘘がばれて解雇になったり、トラブったのに、
まだ、自分がおかしいと思っていない。
いつまでも「幼児的万能感」から抜け出せない。
これは、育ち方の問題だからどうしようもない。


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