りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。




母は退屈なのもあるが、不安なのだろう。

弟と私に、毎日電話をかけてくる。

昨日の夜、電話がきていつもの雑談をした。

この前、下着を買って送ったのに、今度は
別のタイプの下着が欲しい、家にあるんだけど
弟には見つけられないだろう。

よって、私にまた送ってほしいと。

今度は一枚なので、封筒に入れて切手を貼り投函するだけ。

今日からの抗がん剤投与にむけて
検査が増えて来たらしく
下着のデザインが気になっているようだ。

そんな事を気にする余裕があるのならいいかと少し安心する。

だが「さっき先生から、膵臓が腫れてるから注射しますと言われた」
と不安そうに言っていた。

弟に聞くと
医師ではなく、母から聞いた話という前提で
「膵臓が腫れているというのは、転移してるのかな。
骨髄の検査もするみたいだ。
医師が忙しくて、予定が遅れているらしい。」

との返事だった。

骨髄の検査は、前回の手術後もやっていたが
その時は、転移なしだった。

再発率の高い、進行の早い悪いタイプのリンパ腫だから
あちこち転移していてもおかしくないのだろう。

前回から、約2年、何とか日常生活に戻れたことは
奇跡に近いのだ。
母は年齢よりも、強いというか身体が若いのだと思う。

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去年から、だるさや食欲不振が再びでていたという。
訴えても、近くにいる弟夫婦や父も
軽く聞き流していた。
定期的に検査をしていて異常が無かったからだろう。

家事ができなくなっていても、
父は甘く考え、手伝わず、暴言を吐いて
弟嫁はいっさい顔もださず、他人事で
母は無理して動き、ストレスは溜まる一方だった様だ。


本当に近くにいてもらって、
大事にするべきは娘だったと思っているのだろうか。

私の予想通りになっている。

「いざとなったら、ちゃんと息子夫婦が面倒見てくれるはず」
と信じて、奴隷のように弟夫婦に尽くした母。

「そんな風には思えないよ。あの人の行動を見ていると。
あてにしない方がいいよ。」
と注意しても、聞き入れず、私より嫁さんを大事にし
娘を差別してきた母だった。

コロナという予想外の災害も起こり、
私も動けなくなった。

人生の最期は思う通りにならないってことだな。
今の母の救いは
息子が近くにいてくれて動いてくれること、
娘が遠くからでも、頼んだ物を送ってくれること、
電話で話してくれること、らしい。

父と、それだけは恵まれて幸せだと電話で話したという。

母は、「もう我慢するのは馬鹿らしい。」と
私に、言いたい事を吐き出している。

お嫁さんが本当におかしな人だったのが
残念だ。息子はよりによって何であんな人と結婚したのか。

と、昨日も怒っていた。
父の事も、まだ根に持っている。
そんな元気があることがほっとする。

今のうちに、どんどんストレスを発散してもらいたい。





母から電話がこないと
心配になる。
かと言って、こちらからしつこくかけるのも
向こうの様子がわからないし、病院なので遠慮してしまう。

こうなる前は、母からの長電話をうっとおしく思っていたのに。
それは、いつでも会える、話せるのが前提だったからだと
今更感じる。
いつ、2度と声が聞けなくなるかわからない。
顔も見ないまま、お別れになるかわからない。

携帯でベッドにいて話ができるというのは
とても助かる。
携帯が無かった時代、使用できなかった時代、
(部屋によっては禁止なのは当然)
それに比べれば、全然違う。
声をきけるだけで安心する。

明日から、抗がん剤投与が始まる。
これから、急激に弱るのだろうか。

何もしない方が良いのでは、とも思えるし
回復するかもしれないと思えば必要だし、
母自身が、治療すればすぐ帰れると信じているので
治療した方が、希望を持てるだろう。

が、途中で苦しみだし、効果も見られないなら
緩和ケアに移行するしかない。

転院する時に、一時でも帰宅させたい。
その場にいたい。

コロナで、県外への移動は自粛要請がでているし
困った。検査キットはネットで注文したが
何度も自分で検査しながら
気を付けながら帰省するか、迷っている。
そのタイミングも。

今は病院にすら立ち入れないので
母に会えるチャンスの時に、とは思うが
それがいつになるのか、わからない。

昨日も母から電話がきて
「また持ってきてほしい物がある。(弟に)伝えて」
「お箸が入った箸箱とスプーンを持ってきてほしい。」
「そのうち食事をする練習が始るでしょ。まずは流動食からよね。いつでも食べられるように
用意しとかないと。」

食器棚の引き出しのどこどこにあるから、伝えてね、と
何度も言う。
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一瞬、胸がきゅっとなったが、
気持ちを切り替え、
「そうだね、わかった。伝えておくね。明日、帽子が届くだろうから
それと一緒に、持っていくと思うよ。」
といつも通りに明るく答えた。


二度と、食事はできないと医師に言われている。
食べると、十二指腸が破裂する可能性があるそうだ。

本人は知らない。

今は何ともない、痛みも苦しさもない、歳相応にだるいだけ。
と言う母。

これを、抗がん剤で、わざわざ副作用で弱らせるのが果たして良いのか。

何もしない事を選んでもいい、
でも、治療をしなければ、そのうち強い苦しみが襲います。
なので、苦しみを和らげながら看取るやり方を
今すぐ始めてもいいです。

と医師に言われたらしい。どっちにしろ、結果は同じだと。

母が、今苦しんでいるのなら、緩和ケアをすぐに選ぶのだが。

毎日、私の思いは、同じところをグルグルと回っている。

どこかで、医師の話が信用できない。

弟も同じ気持ちなので、色々相談すると言っていた。
弟の存在が助かる。
どんなに気がきかなくても、
奥さんが冷酷でも、
今ほど、いてくれて助かることはない。

私より、何倍も辛いと思う。

母と今日は絶対話して置こう。

明日からどうなるかわからないから。






夕飯を食べていると
実家の番号から着信があった。

一瞬母かなと思ってしまった。
入院しているのに、離れているからピンと来ない。

これまで父から電話が来るなんて、ほとんどなかった。

母に何かあった?と思い、
ドキドキしながら電話をとると
(母に渡す下着類の)宅配便が届いたよという連絡だった。

これまでは、そんな事で電話をしてくる事はなかったので
私と話したかったのかもしれない。

荷物は弟に渡して病院に預けるように頼んで
父とお喋りをした。
先日、話したいと思った気持ちが伝わったのかも。

その日、父はガラス越しに母と面会をしたのを弟から聞いていた。

それも私に伝えたかったのだろう。

弟は、父に全てを話し、今のうちにガラス越しでも
母との面会をさせた方が良いと思い、
病院にお願いし、許可を得て、父と面会させたのだった。

父は、ガラスのドアの前まで、歩いてきた母を見て
あんなに元気なのに、と、安心しながらも
複雑だったろう。

母とも電話で話をした様だ。

「自分の事は心配するな。大丈夫だよ。ちゃんとご飯も作れるから」
と何度も母に言った様だ。

私にも同じ事を言い、
コロナが怖いから、無理に帰って来なくていいと言っていた。

とてもしっかりと話していて
認知症がでているようには思えないが
ムラがあるのだろう。
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母からも、退屈してよく電話がくる。

いつ最後になるかわからないから
一杯話しておこう。
もうここまできたら、前とは違う。

病院で面会もなく、黙って寝ていたら
一機に衰えそうだし、母を元気つける為にも
今まで通り、軽口をたたいたり、愚痴を言ったり
つい長電話になっていく。

まるで、うるさいと思っていた、あの頃に戻ったみたいだ。

これのどこが末期なの?おかしいよ。

下着が届いたら、今度は、室内用の帽子がほしいとのこと。
脱毛が気になるし、寒いからと。

弟に持ってきてほしい物も、
私に連絡してきて私から弟へラインで伝える。

ガラス越しの面会も、許可がないとできない。

荷物は預けて、顔も見れずにそのまま帰るだけ。

それでも、家にいても気がめいるから
病院に持っていくだけでも気分転換になるらしい。

しばらくは、あれをこれをと言って来て
病院に運ぶ日が続くようだ。

私は、母は他の人より内臓は10歳若いと思う。

だから、とりあえず2週間の抗がん剤治療で、
(医師は、治療が始まると急変するかもと、見込みは無いと
匙を投げているが)
奇跡的に、一時的にでも回復する気がしてならないのだ。

本当に末期なら、母自身が自分の身体に胸騒ぎを感じる気がするからだ。

本人が、すぐ帰れる、治る、治す為なら、頑張ると思っているのに
勝手にもうダメだ、高齢だからと、周りが
諦めてはいけないんじゃないか。

母が今、苦しがってて意識朦朧なら
医師の話も、緩和ケアも納得するし、お願いする。

本人が苦しみもなく、希望をもっているから辛いのだ。

元気なのに、悪くなるのを見て行かないといけないのは
残酷なことをしている気がしてくる。

誰でも、いつかは寿命がくるし
元気で長生きしてきた母は、本人が口癖だったように
いつ何が起きてもおかしくない年齢だ。

母は幸せな人生だったと思うし、仕方の無い事なのだが。

親を看取った人は、似た様な体験を誰もがしている。

コロナのせいもあるかもしれない。
帰省も見舞いもできないことが
不完全燃焼な気持ちを増幅させている。

まさか、こんな事が世界中に起きるなんて。

いかにこれまでの日常が幸せだったかと思わざるを得ない。







弟の話では

母はあと2~3週間もつかどうか。だと。
いつ急変するかわからないと。

は?あんなに元気そうなのに?

自分でお風呂も入って
廊下を散歩して、携帯で電話もかけているのに?

寝込んで苦しんでいるならともかく
本人は、「あと1週間ほどで退院できるのかな、
帰宅したら、しんどいけど、片付けをして
あれをして、これもしなきゃ。」
と、電話が来る度、話している。


医師が言うには、
リンパ腫の再発で、できた場所が悪く
手術は危険すぎる。
 高齢であることと、リンパ腫の種類が良くないタイプで
これまで、回復していたのが奇跡の様なもの。
抗がん剤で治療すると少しは縮小するかもしれないが
その前に、合併症で急変する可能性が高い。

治療をせず、緩和ケア病院に転院するか、
抗がん剤治療を続けても、2週間で打ち切ります。
その後は、緩和ケア病院に転院する事になります。

どうしますか。と聞かれたという。

今の母が、瀕死の状態なら、
楽になる方を選んだかもしれないが
本人は、すぐ帰宅できると思うほど
しっかりしているし、苦しんでもいない。

母は、再び以前の様に手術すればまた帰宅できて
元の生活に戻れると思い込んでいる。
だから医師に「先生、さっさと切ってください」と頼んだと言う。

弟は、そんな母を見ていて、緩和ケア病院に入ろうなんて言えないと
どんなに失望するだろうと
戸惑っていた。

そして、更にショックなのは
「このまま、二度と食事をすることはできません、最期まで点滴です」
と言われたことだ。

十二指腸が薄く、いつ破裂するかわからないそうだ。

できた場所が悪すぎる。

今日、元気でも、いつ何が起こるかわからない、
だから、2~3週間の命だと。

母に買ったばかりの下着と退院時に着るセーターを買った直後に
聞いた、ショックな話。
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もう、二度と家に帰れない。
母は、家に帰ってあれをこれをとやる気で話してくる。

嘘でしょう、おかしいよ。
私は、母を信じる。本人が希望を持つ間は、
母の思う通りになると信じる。

だから、退院する時に
私の送った下着とセーターを着て
帰宅することを信じて、そのまま送った。

母には、手術はしないで、薬で治しましょうと伝えられた。

「いつまでですか?退院はいつ頃になりますか?」と
看護師さんに聞いたらしく
「2月頃まででしょうかね」と言われたそうだ。
それを私に「すぐに帰るつもりで来たのに
2月までかかるなんてね。近所の人には退院してから
こうだったのよと報告するわ。
帰ったら、介護サービスも頼むわよ。
そして、片付けもして…」
と毎回、帰ったらやりたいことが一杯あると話す。


もう帰れない、元の生活には戻れない、
このままお別れだなんて
あまりに残酷すぎる。

こんなに元気な母が
これから弱っていくのを見て行かないといけないなんて。

コロナで面会もできない、
私は、県外なので完全に出入り禁止。
帰る事もできない。

今は、母から電話がきて
普通に話しているから、現実味がなく
声をきくと安心する。

医師の判断は正しいのか。
セカンドオピニオンを聞いてみたいと弟に言ったら
弟も同じ気持ちだった。

当然、弟の方が、参っている様子。
奥さんは、相変わらずで、他人事。
少しでも、夫婦一緒にやってくれていたら
弟の気持ちも救われただろう。

奥さんにも話せず、隠れて泣いている様だ。

私に全部ぶつけなさいと言っておいた。

今は、母を信じる。
きっと帰れる。
そう思うと悲しくない。

母自身がそう思っているのだから。
本当に末期なら、本人が胸騒ぎを感じて
弱音を吐くだろう。

母が、希望を口にする間は同じ気持ちでいることに決めた。



母は、私が前の様に電話にでて
話をするようになったからか
退屈なこともあって、何度も電話をかけて来る。
こうなったら、少しでも何でも母と話しておこうと思う。

電話ができる、自分でお風呂に入れる、
今のところは、自分のことは普通にできている。

声は力が無いが、
話し方はテンポよく、とてもしっかりしており、
同じ年齢の人から受ける年寄りのイメージとは
かけ離れている。

それだけに、自分のこれからについて敏感になっている。
私が何か知っているのではないか、聞いてくる。
脳がしっかりしたまま重い病気になるというのは
不安や恐怖、苦しさも鮮明になるので残酷だ。
若い人の病気との戦いが壮絶になるのは
そう言う事なんだろう。

脳と身体の老化のバランスは大事だなあと思う。

父の脳と母の脳の状態が逆だったら良かったのかもしれない。

母が、実は…と色々吐き出した。

父の元来の性格に加え、認知症が入り、
母に対する暴言が最近酷くなっていたようだ。

認知症と言っても、ほとんどちゃんと生活はしていけるので
一緒にいると、わかりにくい。

病気だとわりきれるものでは無いだろう。
ストレスは相当なものだったと思う。

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たいしたことなく、すぐ帰宅できると思って
家の事を、そのままにしてきたのを気にしていた。

「入院に必要な荷物を弟が持ってきたが、
下着も父の物を持って来たり、
捨てようとおいて置いた古い物だったり
男だから、気が付かないのかなあ、こんな時に奥さんが
手伝ってくれたら、女性の衣類なら気が付くと思うけど
何も手伝う気はないみたいだし。
それにしても、下着が無くて困った。」

と言うので、
私が買って送る事にした。

すぐに、近所のお店に買いに行き、
上下の下着数枚づつと薄手のセーターを買って(退院の時に着る服を気にしていたので)
他にも、希望された物をまとめて送ることにした。

買物を終えた時は、外は暗く、冷え切っていた。
帰ろうとすると弟から電話がきた。

主治医から、母についての説明を聞いた報告だった。
店の駐車場で話を聞いた。



母から着信履歴があった。

疲れた声で「またこんな事になってしまって。 あ~あ」みたいな
ため息まじりのメッセージが入っていた。

お昼の時間なら、電話できるかなと思いかけてみた。

「お昼ご飯の時間は終わった?」と聞いてしまい、
アッと気が付き、「食べられないんだったね」とすぐ訂正した。

点滴だけの入院生活。面会も禁じられているので、
退屈らしい。
せっかく体重が戻って、髪もふさふさに戻ったのに。
また、一気に10キロ位落ちるのかなあ。
抗がん剤でまた髪が無くなるのか。

高齢だから
もう苦しむことなく
好きに過ごせるようにしてあげたい。

あれこれ弄り回して、管ばかりになって
寝込む生活にはしたくない。

弟が言うには
腫瘍がリンパ腫なら手術はできないから薬を使う。
ガンだったら、切除する。
と医師から言われたそうだが
その理由まではわからない。

医師の言い方では、以前もそうだったが
高齢だから、いつ何があってもおかしくないと。

前回、そう言われて、1年半が経ち、日常生活をどうにか
過ごせる様になっていた。

このまま再発もなく、どうにかいけるかなと思っていたところだった。
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母が言うには
「ここんところ、また食欲が失せて、だるくて
胃が張っていたけど
歳のせいなのか、病気のせいなのか
よくわからなくなってた。」と言う。

食欲が全くなくなる期間が長く続く時は
何か病気が隠れているかもしれないと
思った方がよさそうだ。

「もう、死にたいと思う、前から思っていたのよ。どうでもいいわ。」
と投げやりな事を言っていた。


母から聞いて呆れた事に、

年末年始は、接待できないから来ないでねと言ったのに、
大晦日の夜遅くに突然弟夫婦が来て、
ずっと座って動かず、母にお茶やお菓子をださせて
疲れて、眠たい母の気持ちも考えず、
夜があけるまでいたそうだ。

母が体調悪くなったのは、それから数時間後だったと聞いた。

「あの人(弟嫁)に会ったのは、1年間で2回目よ。助けてほしいと
頼んでも来ない。来ても、元気じゃないですか、と言うだけ。
来てほしい時に来ないで、こんな時だけお客様で来る。
本人は、来てあげたと良い嫁をしているつもりなんだろうね。
もう何もしなくていいから、黙っててほしいわ。」

と言うような事を、無気力な感じで言っていた。

そんな愚痴をこぼせるほどの会話ができているので、
母の状態が切迫している感じはせず、安心した。

それにしても、ストレスを与え、寿命を縮めてるのはいったい誰?






昨日は、父の激しい抵抗に不安になった弟は
結局、申請を取り消し、自分で何とかする決心をしたようだ。

その後、弟からラインが来ていた。

そこにはこんな事が書いてあった。

”実家に行ったら、居間でテレビもつけずに父がポツンと座っていた。

申請を取り消したよ、と言うと、父はわかったと答えた。
晩御飯はどうするの、と聞くと
自分でできるから大丈夫と言う。
台所を見ると、おかずを父が作っていた。
他にも、食材は色々あり、2~3日分は大丈夫そうだ。
明日にでも、うちからおかずを持っていこうと思う。
冷蔵庫を見ると、缶コーヒーが袋に入れて入っていた。
父に聞くと「介護の面談の人が来ると思って、お土産を用意してた」と
言う。
あんなに抵抗したのに、来客があるのは楽しみだったようだ。
面談はまだ先だったのに、今日はその気になって
楽しみにしていたのだろうか。”

という内容だった。
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父は、面談はまだ先だったのに昨日あるのかと思って
お土産を用意して、部屋でじっと待っていたのだろうか。

寂しいんだよね。
母には父がストレスかもしれないが
父にとっては、母は大事な存在なはず。

父が憐れに見えてきて、涙がでた。

今すぐ、父に会いに行きたくなった。





昨夜、弟から電話がきた。
「父の事で話したいことがある」と真剣な口調だったので
父に何かあったのかとドキッとした。

良く聴くと
父が、介護認定申請をされた事について
ごねたらしい。

”自分は健康で若い、介護認定される必要は無い。
家事をやらないのは、仕事が忙しいからであり
老化で出来ない訳ではない。
面談するなら、そうはっきり言って断る。”

と言ったそうだ。
仕事はしていないし、忙しくも無い。
だが、本人はそう言い張る。
こういう年寄りが多いと思う。

調査員は慣れているので心配はいらない、
家族が説明すれば大丈夫、むしろ認知症がわかるからいい
と弟に話したのだが

父の様子では、どんな失礼な言葉を言ったり、
調査をすっぽかしたり、怒りだしたりするかわからない。
どうしようと困りきっていた。

母が、これから家事ができなくなるし無理はさせられないよ。
お父さんがやれるの?と聞いたらしいのだが
それがまた、酷い言葉が返って来たそうだ。

全く母の事を心配するでもなく
女には死ぬまで、家事をやらせればいい。
できないなら、施設にいれたらいい。
病気であろうが、家事やらせた方があいつの為になる
など、典型的なDV発言。
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ちょっと前の父とは別人。

数年前の母の入院の時は、私には、母を褒め、
大丈夫だろうか、ととても心配していた。
母とのなれそめや、結婚する前のラブラブな話まで
私に聞かせてくれた。
もうあの時の優しい父は消えつつあるのか。

脳の老化、認知症は怖いし、悲しい。

弟は、現実を突きつけられ、ショックで
私に電話してきたのだ。

父の女性差別は、私の育て方を見ても
元々持っていた人だから、老化でそこだけ残ってしまったのか。

反対に差別意識が消えて、丸くなる人もいるのに。

その後、介護サービスについて調べて弟に教えたら、
面倒になったようで、父への不安が頭から離れないようで
申請を取り消すと言っていた。

サービスは週1~2回だし、
誰かがやってあげれば済む話だよと私が言うと

父の事で、悩む位なら
自分が週1回くらいは、掃除をすると言い出した。

ああ、やっとか。

ここまでこないとその気にならなかった訳だが
良かった。

遅すぎるよ。弟も父と同じ事をしていたってこと
わかっているのかな。

弟には「1人で抱え込まないで何でも相談できるという良さが
介護サービスを受ける利点でもあるよ。」とは言っておいたが。
私に色々、相談する回数が増えてきた事は
良い変化だと思う。

息子の方が、母親に対する思いは強いのかな、
お別れが近いのかもと実感すれば
このままではいけない、と目が覚めたのかもしれない。

調べたが、無症状で、安く、PCR検査を受けられるところが無い。
検査を気楽に受けられるなら帰省するのだが。
こっちで検査できても
向こうで検査できないと
帰る時が怖い。

検査を誰でもどこでもいつでも受けられる様にしていれば
安心して動けるので、経済も回ると思う。
不安だから、中途半端に自粛するわけで
前から言われているのに
何故、やらないのか。

このまま、両親と会えないまま突然の別れとなる気がして、
顔色の変わった弟1人がバタバタしている様子を
離れて見ているだけなのも
何だか、辛くなってきた。





そろそろ母の診察結果が出る頃だと思い、弟からの連絡を待った。

さっきラインがきて
担当医師の時間が取れず、明日に延びたそうだ。

母は落ち着いているようだし
病院なので安心だが
待たされるというのは疲れるものだ。

コロナもあり、予定外の入院なので仕方がないのだろうが
それだけ、緊急性も無いと判断されたのなら良しとしよう。

私が先日、怒ったせいか
父の世話が迫ってきたせいか
やっと、弟が訪問介護サービスを受ける為の
相談をし、申し込みをしてきたらしい。

母は、認定されているが
以前、父は認定は無理と言われ
父がどんなに高齢でも
家事ができるとみなされ
訪問介護サービスは受けられないと言われたらしい。


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介護認定も訪問介護サービス内容も
以前に比べて条件が厳しくなっている。

介護保険制度が開始されたばかりの頃は、
認定が甘く、サービス時間もたっぷりで、
安く使えるお手伝いさん感覚で使う利用者もおり
介護保険が赤字に。
それ以降、保険料が上がり、
認定基準やサービスの見直しが続いた。

基準の変更は仕方が無いのだろうが
本当に困っている人には迷惑な事だ。

最近特に、弱者に厳しい国になってきた。

父は、最近皮膚がんの手術を受け完治はしているが
軽い持病もあり、通院はしている。
以前なら、がんの手術歴だけでOKだったはず。
何といっても、認知症もでている高齢者。

父が介護認定されないことには
訪問介護サービスが受けられない。

面談が中旬にあるとか。

良くある老人の「元気なふり」「しっかりしているふり」を
してしまい、いつもは何もできないのに
認定されなかったという事もありそう。

まずは、父が認定されることを祈る。
弟夫婦がもっと家事を手伝ってくれたら
こんなに心配しなくて良いのだが…。
不労所得があり
時間とお金に余裕のある2人。
気持ちがあるなら週1回の掃除位はできると思う。

生活と子育てに追われた私とは全然違い、恵まれている弟。
おまけに、1人っ子の子育ても
両親に任せっきりだった。
そのお陰で今の楽な生活がある。

でも、いい大人なんだし
どうにもならないと半分諦めている。

それにしても
コロナ対策を見ても、
弱者に対して厳しい世の中になり、
消費税も介護保険料も上がったが、
国からは自助とか言われるし
何の為に税金や保険料を払うのか
わからなくなってきた。





あれから色々考えた。

一番良いのは、両親を私が引き取る事。

でも、現実的には不可能。
コロナ禍もあるし、慣れない土地で
2人共ストレスを溜めるのは間違いない。

2人が今より若くて元気なら、たまに自宅に帰って
こっちと行き来するという方法もある。

でも、元気なら面倒を看る必要は無い訳で
介護が必要だから引き取る訳で。

かかりつけの担当医師が代わる事は不安だろう。

父は、今のところは治療も不要で
自分の決めたスケジュールで好きなことをして過ごしている。
父は年齢相応の認知症がでており
頑固、物忘れ、怒りっぽい。

父は、絶対拒否するだろう。
自分の決めた通りの日常が無くなるのは
かなりのストレスで、苦痛になるからだ。

無理に引き取っても、
突然家を出て、帰ってしまう可能性もある。
(両親がいれば、夫へのけん制にもなるのだが)

今は、弟夫婦に任せるしかないのだが
あの夫婦が意識をかえないままだと…心配だ。

母が今回も無事再発を乗り越えて
自宅で過ごせる様になる日が来ると確信はしている。

前回の手術後、退院してしばらくは
食事制限もあり
家事ができない母にかわり
私がしばらく家事全てをやり、
母の回復を確認して帰った。

今回はそうはいかない。

母は家で寝たり起きたりの生活になる気がする。
家事はできなくなるだろう。
どうするのか。
普通なら息子夫婦が実家に出入りするのだろうが
意地でもやらない夫婦だから。
介護サービスを受けられる様にと
弟に頼んだが、やる気を感じられなかった。

弟夫婦、実家の台所に二人共立つのを拒否する。
不思議で仕方がない。

「親を一度甘やかすとつけあがるから」
みたいな、さんざん世話になった親に対して
上から目線。

自分等はさんざん親に甘え、我が子も甘やかして
どの面で、親をそんな扱いをするのだろう。

この話は、母が「そんな気がする」とこぼしていた。

弟嫁の言葉が母のぎりぎり踏ん張る心を
ずたずたにしてしまう。

これまで、母は本音を私にだけ漏らしていた。

でももう、このまま電話も愚痴も言って来ないだろう。
そのエネルギーももう無さそうだ。

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どんな嫌な目にあっても
弟しか頼れる人がいないから
感謝して文句なんて言えないと
気持ちを押し殺していると思う。

そういう母にも原因があるから仕方がない。

人間関係は、母や夫みたいに
自分の都合で計算して
相手によって待遇をかえるというのは
結局、自分にそのまま返ってくるという事なのだな。

私自身の気持ちを考えても、
弟との差別もなく、
もっときちんと娘の話、気持ちを受け止めてくれる親だったら、
世間体第一ではなく。
どんな事があっても、我が子を守るという人だったら。

今の自分の意識、行動が違っていたかもしれない。

息子第一なら、最期まで息子だけを頼ればいい。
母の気持ちを優先するよ。
とどこか、醒めている。

ただ、時には味方になってくれて
助けてくれたこともあった。

何割かは毒親だったけど、
何割かは普通の母親だった。

今年も色々悩み多き年になりそうだ。




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