同室に他の患者さんが入院してきて、声が筒抜けの為、電話をかけにくくなったと母が言う。

それにしても思ったより、自由にしている。

シャワーは毎日入れるし、廊下は歩けるし、リハビリはやってもらう。

食事は、全部食べている。1週間過ぎたが、副作用はでていないようだ。

医師が母の様子を見て、驚愕しているそうだ。
「あなたの年齢の人は、本来なら今頃一日寝込んでいますよ。本当にお元気ですね!」と言われたとのこと。

病気が判明した初めの頃、家族への説明が深刻だったのは、一般的な母の年齢の例を頭に入れてのことだったのだろう。

面会、検査を繰り返すうちに、これはちょっと違うぞと、母を看る目に変化がでてきていると思う。

母の声も明るい。抗がん剤を打った人とは思えない。

若い人みたいに、数クール化学療法を繰り返せば、そのうち髪も抜け、だるくなり、体力を奪われていくのかもしれない。
高齢だから弱めの薬と1回だけの化学療法。

以前から、抗がん剤に対して強い抵抗感があった。

再発していない時に、予防の為の治療をする。血液中には癌化したリンパ球が存在している。

再発を恐れてびくびくしながら生活したり、再発した時にはもう治療ができないとか、場所が悪かったとか、苦しみながら緩和ケアで最期を待つのか、どっちを選ぶかということだ。
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母の病気がわかった時、選択を迫られた。

次にまた腸に再発したら、また同じ苦しみを味わう。次は手術はできない、何も食べられなくなり管に繋がれてそのまま痛み止めだけで、命の火が消えるのを待つのか、寝たきりになる覚悟で、抗がん剤治療をするのか。


本人を見ていると、まだまだ元気に日常生活を取り戻せると信じている、その為には抗がん剤も仕方ないのか、と思わざるを得ない。

これまでは、化学療法は寿命を縮めるだけと思っていた。

そうでは無い事もあるんだなと思う。

昨日までピンピンしていたのに、突然重病患者になって、それまでの生活ができなくなるという驚きと不安。まだまだ、現役世代の人や子どもさんが、こんな風になるのはどんなに辛い事だろう。

母は、寿命、老化でこうなったと思えるし、本人もある意味理解していると思う。

昨日、子どもの保育園の時の友人の話になった。
まだ5歳の時、お母さんが脳出血で急死された。

当時、その話は自分もショックだった。まだお母さんに甘えたい、お母さんを必要とする幼い子どもさんを置いて、どんなにか心残りだったろう。

子どもが当時を思い出して言った。
「自分も一緒に泣いたよ。子どもの頃ってさ、お母さんは神様なんだよ。お母さんがいなければ生きていけないと思っていたよ。友達はこれからどうするんだろうって、自分なら途方にくれてパニックになったと思う位、悲しかった。」

そうだよなあ。幼い頃は、生活費がどうのなんてわかる年齢ではないから、「ご飯を作ってくれたり、世話してくれるお母さんがいるから生きていける」と思うのは当然だ。
お母さんから生まれてくるんだものね。

特に我が家は、当時は夫がすでに出て行っているから、我が子は私しか頼る親はいなかったはず。だから余計に母親がいなくなったらどうしようと不安だったに違いない。
そんな事を思い出すと、夫は本当に罪な事をしている。そんな話を夫にしても、喜ぶだけだ。
「そうか俺様の存在価値がわかったか」と。

とりあえず、自分が今日まで生きて来れたことに感謝する。

あともう少し、生きさせてください。と祈ろう。子どもたちの為、親の為に。