夫あてに支払いの請求用紙が送って来た。

振り込むのは私。メールで連絡。

数日してからやっと返事が来た。
「何とかしてやる」
??自分の事なのに?私がお金に困って頼んだ訳ではない。
でも、いつもいかにもそんな風に話を作っている。以前は夫が払うべきものの請求書は向こうに送っていたが、払わず放置され、その度催促がこっちに来てしまう。なので大事な支払いはこちらで管理している。私が夫に先に請求し、代わりに振り込む。精神衛生上それが良いから。

何回も何年も変わらずだらしない人なので、疲れてしまった。
私はただの代行。なのに、連絡するとなぜか私がお金を払ってくれと頼んだかのような言いかたで返事をしてくる。自分が使って、わかっているはずなのに。

すぐに払えるはずでも、もったいつけて「え~?困ったなあ。仕方ない。何とかしてやるよ。まったく」と言ってくる。

私には全く関係の無い支払い。

これは、全てにおいてそんな感じだ。やってやる風に話を変える。自分の頭の中だけで。
夫の親族や他人には、そういう風に話を変えて伝えている様だ。
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どうしても人に頭を下げる時があるとすれば「○○の点では感謝している」という表現をする。

お金だけでなく感謝の言葉も出し惜しみする。最初にターゲットにした時に相手に対する態度とは天と地の差だ。

つまり、”自分が存在するだけで、有り難く思え。子育てだの扶養するだのなんて贅沢な願望だ。”と心の奥底で思っている。だから何故、自分が無責任よばわりされるのかが理解できないのだと思う。

これは、自己愛性パーソナリティになる人の根底にある勘違いなのだろうか。

裏を返せば、”自分が存在するだけで愛してくれる親の存在”が希薄だったのだろうか、アイデンティティが無いまま大人になったからだろうかと思うのだが、違うだろうか。

無条件に愛されたいと思っても、愛された実感が無く、親の愛に飢えたまま生きて来た。
それを他人や家族に要求して、不満を発散して生きている様にみえる。

自分が人を大事にせず、家族を愛さず、責任ある行動をとらずして、相手に自分だけは愛されたいというのは無理な話だろう。本人は、全くその自覚はない。むしろ逆の事を言う。

しかし、子どもの生活費すらも、恩をきせて他人事の様に言う人だというのは、絶対忘れない。本人は忘れているか、記憶を書き換え、作り話だと否定する。
そうやって学習できない為、同じ失敗を繰り返し、永遠に欲しいものが手に入らない。

何故、自分だけがと不満を言い、妬みや僻みに満ちた人生。

人を子どもを愛せば良いだけなのに。自分がしてほしいことを人にすれば簡単に実現するのに。
わからないまま、人生の最後までいくのだろう。可哀想な人。

これまで何回も同じ事を繰り返され、慣れていたつもりだったが、今回、ふと「このままではいけない」と心の底から感じた。寒気がしたほど。

何というのか、いつ同居する事になるのかおびえて過ごすのはよくないと思った。
母の件があり、自分の最後は今のままでは嫌だと心から思ったのだ。

いざという時に抵抗できる様に、相手から離れられる様に準備をしておかねばならない。
時期はいつとか、色々考えた。

問題は自分は他人になれて関係を絶っても、子ども達はそうはいかない。
そこが悩みの種だった。

そうこうしているうちに、母の手術日が決まり、とりあえず今は母の事を最優先に考えよう。