卒業式の時期になった。

子どもの時の自分にとっては、卒業式なんて面倒臭い嫌な行事だった。緊張するだけの時間で苦痛だった。

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小、中、高と、卒業式の前になると、大声で指導する教師のもとで、何回も練習させられた。ひどい時は、ちょっと動きがずれただけで殴られた子もいた。

今思えば誰の為の式なのか、子ども達をお祝いする為の式なのに。馬鹿げている。

だから、自分にとって式というのは、「叱られない様に、学校の為にきちんと決められた通りに動くセレモニー」でしかなく、自分をお祝いする行事だなんて全く感じられなかった。


親になって初めて、式で感動する事になった。
「無事にここまで来たなあ。」という安堵感、色々な思い出があふれて涙がでる。
(そんな時、こんな感動も味わえない、思い出も無い、関心を持たない夫が愚かに思えた。)

子の小学校の卒業式で、最後に教室で担任とお別れの会をした際の事だった。

先生が「クラス全員が揃って卒業できるということは、当たり前と思われがちですが、当たり前ではないんです。とても素晴らしい事です。」と言いながら泣き出した。

30代の男性の、感じの良い先生だった。

その時、先生の目の前の一番前に座っていた子どもさんが、一緒に泣き出した。

その子どもさんは、不登校で辛い日々を過ごした子どもさんだった。

担任の先生やクラスメイトがいつも気にかけていて、「卒業式に一緒にでられたらいいね」と声かけをしていた。

先生は、その子どもさんが皆と一緒に卒業式に出席できれば、それが自信となって、その子の未来が開くきっかけになるのではないかと期待していた。

「全員一緒に式の日を迎えさせたい」と心から願っていた様だ。

ストレスにならない様配慮し、強制する事もなくひたすら祈っておられたという。


その子が自発的に式に出席した事は、クラス全員にとっても、とても嬉しい事だった。

不登校は、虐めとかが原因では無く、心因的体調不良と聞いていた。
学校に行きたいのに身体がいう事を聞いてくれないと辛い日々を過ごしていたと。本人も親御さんも悩まれた事だろう。
今なら、医療の発達で正確な身体的な何か原因が見つかるかもしれないが、当時は全てが心因性と決めつけられていたと思う。

担任がいつも子供達に彼の事を忘れない様、いつでも友達であることを忘れない様、声かけしていた。

クラス内はいつでも温かく迎える雰囲気になっていた。

人間的に素晴らしい先生だったと思う。それがクラスの雰囲気に良い影響を与え、とても良いクラスだった。


卒業式のそのシーンは、今でも忘れられない。先生も彼も、クラスメイトも父兄も皆泣いていた。


「当たり前だと思っている事、それは当たり前じゃないんだよ。凄い事なんだよ。生きてるって素晴らしい事なんだよ」と言う言葉が、この時私の子どもの心にも刻まれている。

今でもその先生に出会えてよかったと親子で話している。


自分の子どもの時に比べれば、式への思いは変わった。

式に参加するたび、素晴らしい体験をさせてもらってきた。

主役の子ども達を心からお祝いしたい。そして子育てを頑張る親御さんにもエールを送りたい。