りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

     

ずーっと昔の話。男性社員=仮名~”眼鏡氏”について書いてみよう。
中年の独身。ちょっと変わっていて、普段から女性を馬鹿にする言動があり、女子社員には良く思われていなかった。

ある日、眼鏡氏が

「女性諸君、誰かさあ、手鏡もってない?貸してくれない?」と社内をうろうろしていた。

お化粧のコンパクトとか手鏡は皆持っていたが、貸したくなかった。

だから女性社員は聞こえないふりをしたり、持っていないと断った。

抵抗された眼鏡氏は
「はあっ!なんだよ!ここには女はいないのかよ!鏡を持たないなんて女じゃないだろ!お前ら、女じゃないぞ。恥を知れ!」
と怒り出した。

(貸したくないってことくらい、ピンとこないのかね)って、心の中で皆思っていた。それに人に物を貸してほしいと頼む側が何でこう偉そうに言うのか。と。

ある日、眼鏡氏がお昼休みに大声で誰かと話しているのが聞こえた。

「この前さあ、お見合いしたんだよ~。そしたらさあ、病気歴がある女でさ、傷物だったんだよ。おいおいって話だよね。危ない危ない、とんでもない不良品を貰うところだった。」

と平然と言っていた。

危なかったのは相手の女性の方だろう。こんな人と結婚しなくて良かったねと言ってあげたかった。
眼鏡氏は、残業になるといつも自宅に電話をかけていた。

「もしもし、ママ?僕、まあくんだよ。今夜残業だからご飯いらないからね、じゃあね」
と大きな声で堂々と。皆聞こえないふりをしていた。(笑)

眼鏡氏は、こんな事もしていた。

お昼休みに、こちらに向かって「こっちに来て!」と手招きをしたので、仕方なく同僚の子と眼鏡氏の席へ向かった。

眼鏡氏は、片足を椅子の上に置き、ズボンの裾をめくりあげた。そしてふくらはぎのあたりを指さして「見て。すね毛が靴下からはみだしているんだよ!」と足を見せた。

彼はストッキングと似たような薄い化繊のビジネス靴下をはいていた。
「ほら、すけすけでしょ」
と言う。真面目な顔でというか無邪気な顔で。何がしたいのか、よくわからなかった。

何の反応もできず、気分が悪くなるのをこらえてその場から逃げた。

私たちの戸惑う姿を見て、ニヤニヤしている眼鏡氏。嫌がらせだったのか?

それ以来、私は男性のスーツの下の靴下が苦手になってしまった(笑)。

こういう男性は、もし結婚したらどんな旦那さんになるのだろう。見た目で判断してはいけないのかもしれない。意外に家庭を大事にしてくれるかもしれない。

いかにも良い旦那になりますオーラを振る舞いていた人が、DVしたりするのだから、人はわからない。
  
     

研修の次の日、女性だけのミーティングがあった。


前日のお偉方も含め、男性ばかりの上司が前に並んで座っていた。

「仕事上での悩みや相談ごとを皆で解決しよう」みたいなテーマだったと思う。


いろんな仕事上のトラブルなど、ぽつぽつとでてきていたが、あまり盛り上がらないので、順番に全員が意見を言う流れになった。


パワハラ気味の上役相手に、会社への苦情とか、仕事の悩みなど言える雰囲気でもなかった。
皆、遠慮がちにぼそぼそと無難な意見を言っていた。

私は当時、女性というだけで差別的な目にあうことが多く、待遇面でも不満を持っていた。

私は、勇気をだして?職場で受けるセクハラやパワハラ、差別的な体験について意見を訴えた。

半ば、やけになっていたと思う。

こういう課題をだしたのは私だけだった。ヒンシュクをかうかなと思ったが、意外に盛り上がった。


昨夜のお偉方のおじさんもいたが、苦笑いをしながら、「わかりました。会社でも気を付けていきます。」という返事だけはもらった。


それ以来、上司からのセクハラやパワハラは少しは改善された様に思う。

それ以降、お偉方の間で、私の事を「気の強い扱いにくい社員」みたいに言われていたとかいないとか?( ・Д・)噂はあったようだ。

私にとって、それは勲章だと思った。

これはたまたまうまくいった例かもしれない。他の会社では、報復される恐れから泣き寝入りしている人は大勢いる事だろう。
被害にあう人は男性だっているはずだ。まだまだ遅れている日本。

性犯罪にしても、まだまだ被害者に原因を押し付けたり、弱い立場の人が更に傷を深くする事が多い。


 

 
     

セクハラ問題が問題になっているが、今頃遅い!と思う。

遅すぎる。それでもまだ国のトップにいる男どもは素直に問題に向かおうとしない。

私が若かった〇十年前でも、似たような問題はあった。

セクハラ☆

社長がすれ違いざまに触れて来るのは日常的。

研修旅行で、夜のパーティでのことだった。

ダンス音楽が流れ、踊れる人は踊りだした。

社交ダンスができる人は楽しそうだったが、私はできないし、良く知らない中年のお偉方と踊るのは抵抗があり、端っこで座っていた。


するとあるおじさん(お偉方)が、若い女子社員を指名し始めた。

誰も内心、嫌だと思っているのはあきらか。
最初に指名された子は作り笑いをしており、しかたなく手をひっぱられていった。

次に私の順番がきた。

これは仕事ではないし、作り笑いなんかするものかと、「踊れませんから」と断った。

しかし、頑固に「お前の番だ!皆わしの言う通りにしているんだぞ。」と言う。

それでも「嫌です」と私は抵抗した。
すると他のおじさん上司が、私を背中から押して「行け」と無理やり押し出した。

他の女性も「私だって我慢したんだから」みたいなオーラをだしていて誰も助けない。

チークタイムとか絶対嫌だった。時代がわかる~笑(・∀・)

しかたなく、あからさまに嫌な顔で私は相手をした。

相手のおじさんは、踊りながら耳元でささやいた。

「おじさんだから嫌だろうけど、そんなでは社会でやっていけないよ。女っていうのはこういう時に相手をするものなんだよ。もっと社会勉強しないとだめだな。」

それでも、泣きそうな顔で抵抗する私に、教育をしてやるという顔で
「よし、もう許してやろう。はい次!」と解放したのだ。

たいした事ではないかもしれない、ちょこっと我慢して愛想笑いするのが大人でマナーだろうと言う人もいるかもしれない。

しかし、このおじさん連中の発した言葉と強引さは、納得がいかなかった。


他にも、一男性から嫌がらせを受けた事があった。

パワハラ?(ただの嫌がらせかも?)☆☆☆

朝出社したら、なんと私の机が無くなっていたのだ。

驚いて総務課長に言うと「私が片付けました。あなたはもうすぐ結婚して辞めると聞いたもので。」と言われた。

それはデマであり、仮にそうだとしても噂だけでいきなりそんな事はしないだろう。

これには周りも唖然とした。私の上司が怒鳴りつけて、総務課長はしぶしぶ机を戻した。

後から理由がわかった。
私はまだ入社2年目だったのだが、たまたま目立つ花形の部署に配属された。それが気にいらなかったという事だった。

理解に苦しむ話だが、そういう変わった事をする人もいるのだと驚いた。

その課長は以前仕事中にお酒を飲んで顔が赤くなっているところを私に見られていた。口止めされていたので、誰にも言わなかったが、それも理由だったかもしれない。と勝手に思っている。


  
     

余計なお節介もご迷惑だろうと思い、しばらくご主人とは疎遠になっていた。

でも、なぜかこの夢が気になり、久し振りにご主人に手紙を書いた。

貸したままのT美の手紙も気になっていて、その話題のついでに、こんな夢を見ましたよと書き足した。

貸したままだったT美の手紙と一緒に、音沙汰なかった事の御詫びから始まる手紙が届いた。

驚く事が書いてあった。

「実は、先日その夢と同じ事があったのです。先日、子どもが帰宅してこう言ったのです。

『今日、学校を出る時、校門にママが立っていたよ!』と。妻は子どもの事が心残りだっただろうな、

まだ成仏できないのだろうかと思っていたところに、お手紙が届き、夢の話に驚いてしまいました。」

私も驚いた。

私は現実の場面を夢で見ていたのか。

夢の中のT美は笑顔だった。子どもさんの姿を見て安心したように見えた。
いつもの私の恐怖心も無かった。

その後、T美は夢に出てこなくなった。

きっと安心して天国に行って、ご家族を見守っているのだと思うし、そう信じている。

その後、ご主人と連絡を取り合う事も無くなったままでいる。あえてそうしている。


 
     

T美とのお別れから1年以上の月日が過ぎ、日常の忙しさに紛れて少しずつ悲しみは薄れていった。

残されたご家族も、少しは落ち着かれただろうか。子どもさん達は、そうはいかないだろうな。と遠い土地から祈るしかできない私だった。

その頃、T美の夢を見る日が何度かあった。

夢に出てきても私と会う訳ではない。亡くなった人として夢の中に登場するのだ。

あっ、T美だ。霊になって会いにきたのかなと思う瞬間に目が覚める。
不思議なのは、目が覚めた時、強い恐怖心が襲うのだ。なぜだろう、夢でも会えて嬉しいのになぜ怖いのだろう、と自分の感覚が嫌だった。


それが解決されないまま、ある日、またT美が夢にでてきた。

その夢はそれまでの様に一瞬ではなく、綺麗な映像を私が遠くから観ている様な美しい不思議な夢だった。
途中でまた目が覚めたのだが、この時は恐怖心は無かった。

美しい映像のその夢は、見たことの無い小学校の門が舞台だった。

下校の時間で、子ども達が次々と校門から出ていく、それだけのシーン。

それを私は道路を隔てた向かいの塀から見ているだけ。

すると、そこにT美が現れる。ニコニコ笑顔で、門に向かって歩いている。

夢の中の私は、その映像は自分のいる世界と次元が違うとわかっていて、話しかける事も動くこともできず、ただ、その場面をじっと見るだけなのだ。

「あっ、T美だ。子どもさんを迎えに来たのかな。嬉しそう。」と思ったところで目が覚めた。

T美が夢にでてくると即、目が覚める。

この時は、ほっとしたような不思議な感覚だった。

彼女からのメッセージかもと思い、考えてみた。

乳がんで入院した時、3歳だった下の子供さんは、ちょうど小学校に入学した時にお母さんを亡くしたのだ。

入学式の1か月前に、人格が変化し、いつものお母さんではなくなった。

病気が治って、お母さんが帰ってきた、これからはずっとお母さんがうちにいる、と信じてきて3年、すっかり安心した矢先だっただろう。

ある日突然様子が変わった時がお母さんとの心のお別れになってしまった事になる。
幼い子ども達にその現実を受け止めさせるなんて、どれだけ残酷だったか。想像しても辛すぎる。

T美は、入学式を楽しみにしていた事だろう。一番心配して、構ってあげないとと思っていた子どもさんだっただろう。

さぞ、心残りだったことだろう。

それで、私の夢を借りて子供さんに会いにきたのかな…と思い、また涙がでてきた。

           


         
 
     

それからしばらくは、私は泣いてばかりいた。

朝通勤する途中、買い物に行く途中、運転する車の中でふと思い出しては涙がこぼれてきて、止まらなかった。

子どもを3人抱えて大変だろうなと思いながら、そんな時にお邪魔したら迷惑をかけると感じ、しばらくは手紙などをやり取りしていた。

ご主人からの手紙の内容は…

残された者の自責の念と優しさ故の後悔とで混乱されている様だった。

「僕は妻の事をわかっているつもりになっていて、実は何も知らなかった事を思い知らされました。」

「妻との別れがまさかあんな形になるなんて思ってもいなかった。」

「ある日突然妻が妻でなくなったんです。まともな会話もできない、別人になってしまい、それから2か月後に別れがきてしまった。」

「最後に妻と色々話したかった。これからと思っていたのに」

「僕は何をしていたんだろう。もっと沢山話をして妻の事を知っておけばよかった。後悔ばかりしています。」

ご主人が、自分を責める必要はないしT美も不満なんて無かっただろうし、感謝していると思う。

愛する人との別れ、それも納得のいかない予想もしなかった別れ方をすれば、誰でも後悔をし、自分を責める気持ちになるのは仕方がないのかもしれない。

それは自然な事だと思う。周りがいくら慰めたって、否定したって、無理な話だ。


落ち込むご主人に、”T美が乳癌で入院している間、送ってくれた数通の手紙がある”話をした。

「T美さんは、ご主人と結婚して良かったといつも手紙に書いていました。ご主人の協力があったから安心して治療に専念できたと感謝していました。今のご主人を彼女が見たら、そんな事ないよ!自分を責めないでって言ってると思います。」と伝えた。


すると「僕は妻が当時何を考えて居たかなんて全くわかっていませんでした。妻があの頃、何を思っていたかを知りたいです。もしよければ、手紙を見せて頂けないでしょうか」

とお願いされ、T美が見せてもいいよと言ってくれそうな手紙を選んでご主人に送った。

それが少しでもご主人の救いになるならと思った。

T美に頼まれてやった気がした。
T美の書いた手紙だけがご主人を救えそうな気がした。



 
     

T美が亡くなったという文章を見た時のショックは今でも忘れない。

どうして?なんで?そう言えば筆まめなT美から、最近は連絡が来てなかったなあ、具合が悪かったのだろうか。でも、急過ぎるよ…と納得いかない気持ちが込み上げた。

すぐにご主人に電話をした。

話した事もないご主人だ。自宅に電話するのも初めてだったが、何のためらいもなく、気がついたら電話していた。

自己紹介をしてから、葉書を見て驚いた事を伝えた。

ご主人の知らないT美の友人からの電話が初めてだったようで、少し戸惑っておられた。

話を始めていくと涙がこぼれ落ちてきて止まらなくなり、声も震えてまともに喋れなくなってしまった。

号泣とはこういう状態を言うんだろうなと思ったが、止められず、ご主人を更に困らせてしまった


泣き出したまま止まらない私に戸惑いながら、T美のご主人はゆっくり話してくれた。

「乳がん治療後は、元気で過ごしていたんですよ。それが、昨年の3月に朝突然おかしな事を口走って、視線も合わず、あ、これはおかしいとすぐに病院に連れて行ったんです。」

「癌の再発で…脳腫瘍でした」

神様はどうしてこんな意地悪をするんだろう。

T美ほど良い妻、母、自己磨きも頑張ってて、心の綺麗な友人はいなかった。見習いたいといつも思っていた。

子どもさんもまだこれからなのに、これからもっと幸せな人生が待っていたはずなのに。

誠実な良いご主人にも恵まれていたのに、どうしてこんな良い人達が苦しまないといけないんだろう、と悔しくて仕方がなかった。


自己愛君を思うと余計に理不尽さを感じた。
あんな自分優先な人が、気楽に我儘に暮らしていて、真面目に誠実に頑張っている人がこんな辛い目にあうなんておかしいよ。

手術はせず、自宅療養をしていたそうだ。もう手遅れだったのか。

ご主人が言うには、「様子がおかしくなったあの日から、もう彼女は別人になっていました。」との事だった。

それが、最後まで家族の心残りになったという。


        

     

学生時代に知り合ったT美は、裏表のないしっかりした人だった。

お互いのアパートを行き来したり、徹夜で話し込んだり、何か通じるものがある親友だった。

卒業後、T美は、私とは離れた土地で暮らしていたので、当時は手紙のやりとりでお互いの近況を報告しあっていた。
と言っても、頻繁ではなく、年賀状や何かお祝い事などがあった時位だ。

何も語らずとも、いつも私の幸せを祈ってくれているのが伝わる…そんな大事な友人だった。

活発で元気なイメージの彼女が、流産をして、鬱になっていたと手紙がきたことがあった。
その頃私も夫の事で悩んでいた。でも、何も言わず、お互いに励まし合った。

その後、彼女は3人の子どもに恵まれて、幸せな生活を過ごしている様だった。

私が一番下の子を出産した直後、彼女から手紙がきた。

「乳がんになってしまい、手術の後のリハビリで長い入院生活を過ごしている」との事だった。

生まれたばかりの子に母乳を与えている時だった私は、T美には出産の事は言えなかった。

T美は、末っ子がまだ3歳で、上の子どもさんも母親に甘えたい盛りなのに、「家族から離れて遠い町の癌センターに2か月ほどいなくちゃいけない」のが辛そうだった。

T美はまめに手紙を送ってくれた。けっして愚痴らず、前向きで、病院生活を楽しんでいると書いてあった。
どれだけ辛いか、不安か、想像もできないほどだったが、T美は立派だった。

もし自分が同じ立場になったらと考えてみると、恐怖だった。
まず、子どもを夫に任せられるのか?そこからして無理な話だった。

その点、T美は実家も近く、ご主人も誠実で安心して任せていたようで、安心だった。

しばらくして、退院したと連絡がきて、ホッとした。

「無理はしないでのんびりしている。勉強したい事が見つかり、好きな事をぼちぼちやってるよ」といつものT美に戻っていた。

そこで初めて私は出産した事を話した。高齢出産だったが無事生まれて良かったねと素直に喜んでくれた。心から喜んでくれたT美の人間性に感動した。

翌年、彼女のお父さんが亡くなったと、喪中の葉書が届いた。

彼女の病気に加え、お父さんもご病気だったのか、それなのに何も言わず、明るくふるまっていたT美の事がふと心配になった。

T美のお父さんの喪中葉書が届いた頃、我が家は、自己愛君に振り回され余裕のない不安な生活をしていた。

私は自分の家庭の事で精一杯で、T美とはなかなか連絡を取れなかった。
おそらく、のんびりマイペースで元気にやっているだろう、ご主人も優しいし、と心配はしていなかった。


その1年後、今度はT美のご主人から喪中葉書が届いた。

「えっ?なぜご主人から?」

嫌な予感がして、ドキドキしながら葉書を覗き込んだ。

そこには、「春にT美が亡くなった」と書いてあった。


  
     

3年前位に別居先の夫から慌てた様子で
「社長から郵便がくると思うから、受け取り拒否してくれ」と電話がきたことがあった。

配達がいつくるかもわからないし、子どもしかいない時に来たらそんな事させられない。

トラブルには関わりたくなかった。家族を巻き込む夫はあいかわらずで、本人は全く自分に原因は無いと言い、被害者の立場を強調する。何があったかは言わずに。

社長は本人が自宅にいるわけないとわかった上で(会社で会っているのだから)あえて私が見る様に、郵便を送るのだろう。

それを何もしらないはずの私が受け取り拒否したら、夫が手をまわして私にそうさせたのが見え見えだなのだが。

受け取ってもいいじゃないと言ったのだが、おそらく内容を私に知られたくないのだろう。

私に何か知らせたい社長、その内容を私に絶対知られたくない。

何が書いてあるのか聞いても「社長は僕に嫉妬しているんだ。僕に嫌がらせしても堪えないから、家族への嫌がらせまで始めたんだよ。そういう人なんだよ。」と言うだけだった。

とにかく、子どもが受け取らない様にしたいと思った。

運よく、私が在宅時にその郵便は届いた。

「郵便の受け取り拒否」なんて初めてで、どきどきし、配達のお兄さんにも恥ずかしい気持ちだった。

ーーー受け取り拒否をした時の様子ーーーー

  書留だったので、郵便配達人がドアの前で手渡しする。差出人を確認し、「受け取り拒否をしたいのですが」と告げた。

  「受け取り拒否します。という文と氏名を書いてください」と言われ、ペンを渡された。封筒の表、(宛名の左横の位置)に書いて渡した。


もうああいう事は嫌だ、二度としたくないと思った体験だった。
受け取り拒否は、された方も嫌な気分になるはずだ。

父が相続の事で送った手紙を受け取り拒否された時、初めての体験で、ショックを受けていた。

相手方からの冷ややかな拒絶反応、そんなダメージを受ける。

何か悪徳商法みたいな物ならわかるが、個人対個人でこういう事は避けれるものなら避けたいと思う。

しかも今回は、家族には全く関係のない、夫が起こしたトラブルに家族は巻き込まれたのだ。

こういう迷惑な事はこれまでも何回もあった。

転職するたびに、相手が変わってもトラブルというのは、自己愛の強さからくる夫に原因があり、夫が反省し変わらない限り、また巻き込まれる事だろう。
それも不安の一つ。

家族を守るべき立場なのに、逆の事をしているとは~悲しい。


☆☆☆受け取り拒否の仕方☆☆☆

●郵便物の表に「受け取り拒否します、」と書いて押印かサインを書けばよい。
中にはそれ用の用紙に印鑑を押す形式もあるようだ。宛名の本人でなくても、家族なら代理でできるようである。
●書留などではなく、普通郵便の様な自宅ポストに入っていた様な物も、受け取り拒否の文と印かサインを書いて(紙に書いて貼ってもよい)、郵便ポストに投函するか、郵便局員に渡せばよいそうだ。

●注意!! 一度受領印をおしたり、開封したものは拒否できなくなるので、気を付けよう。
     

子どもは、「別れた夫の相続人」であることから逃げられないという現実にぶちあたった友人がいる。

どこのお宅でも一見順調そうに見えても、何かしら悩みはあるもので。

友人Bさんは、息子さんが小学生の時に離婚した。

旦那さんの浮気と暴力に悩んだBさん。


浮気相手の女性が家に押しかけ、包丁を振り回された事もあり、着の身着のままで子どもと一緒に車で遠くに逃げ、そのまま離婚した。

ホッとしたのもつかの間、今度は別れた旦那さんが事件を起こして逮捕されたのだ。

身元引受人として、警察からBさん宅に電話がきたそうだ。

それも息子さんあてに。

別れた旦那さんの一番近い親族は、別れたBさんではなく、息子さんになる。

離婚してから時が過ぎ、子どもさんも成長し、やっと平穏に暮らしを始めたところだった。

Bさんは、せっかく縁が切れて忘れる事ができると思っていたし、トラブルから子どもを守りたい一心だったのに、別れてもこんな形でまた関わるなんて…とショックだったそう。

”夫と自分は他人になったけど、子どもは死ぬまで親から逃れられないのだ”と思い知らされたという。

財産相続など良い事で縁があるなら良いが、借金、賠償金、犯罪、孤独死など悪い事の始末が相続人であるが為に逃れられないのはつらい。

相続は放棄できるが、忘れた頃に連絡がきて、子どもが嫌な思いをするのも困る。

Bさんの場合、相続ではなく、親の犯罪に巻き込ませてしまった。
犯罪者の子どもになってしまった。自分の意志ではどうすることもできない。

母親なのに、守れない辛さ。

彼女は、息子さんの負担を少しでも軽くしようと、自分が率先して警察に行き、動いた。
こんな男と結婚した自分の責任だし、子どもに申し訳ないと。

旦那さんはその後も犯罪を繰り返した。
その都度、Bさんが警察に出向いた。

片親の生活の場合、ぶつける相手のいない子どものストレスもすべて親一人で受け止めなければならない。例え、もう一人の親が原因であっても。

親の責任であるのだから、しっかり受け止めないといけないのだが、私も同様で時には心が折れそうになる。



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