りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

     

当時の私は、結婚なんて全く頭になく、まずは仕事優先で、そのうち好きになった人と自然に一緒になるものと思い込んでいた。


相手が恋愛対象でないのに、条件さえあえば結婚できるという感覚が不思議だった。


そうはいっても、O恵にとっては生理的に嫌な相手ではなかったのだろう。一緒に暮していけるという気がしたから決めたのだろう。

当時の私にしたら、そこまでして焦って結婚する気持ちがわからない…という気持ちだった。

O恵が以前私にぽつりと言ったことを思い出していた。

「恋愛した事ある?私、無いの。男の人とお付き合いするってどんな感じなのかしら…」

「これからいっぱいチャンスはあるよ!沢山恋愛を楽しもうね!」と一緒に笑ったのに。


私は「もっと独身生活を楽しんで、恋愛して、結婚はそれからでもいいんじゃないの」と言いたかったが言えなかった。

私と彼女は世界が違うんだ…と思った。



その後、結婚式の案内状は、式の1週間前になっても届かなかった。

誰にも届いてないようだった。

どうしたのだろう、事情を聞くわけにもいかないし…と社内で招待される予定の人達で話題になった。


「何かあったのだろう。病気とか、相手の突然の転勤とか…。」
「そのうち連絡がくるだろう」と、黙って待つしかなかった。

結婚式予定日の前日、O恵の直属の上司だった人に彼女から手紙が届いた。

上司がその内容を教えてくれた。


「式の直前になって、急きょ破談になったらしいよ。」

と聞いて驚いた。


自分に言いたい事!☆人は人。自分が正しいわけじゃない。考えを押し付けてはダメ。
     

「3回しか会ってないのに、決めていいの?本当に大丈夫なの?」

と言う人もいたが、余計なお節介だし、本人が良いのだから周りがとやかく言うのも失礼よねと陰で話す人が多かった。


O恵は、寿退社するのが嬉しそうだったが、これから戦力になってもらうつもりの上司たちは、がっかりしていた。


意外だったのは、誰もが私に「君が先に結婚すると思っていたよ。まさかあの子がこんなに早く寿退社するなんて思わなかったよ。」


どういう意味?と思ったが、理由をきくのが怖くて聞き流していた。


そして「君はやめないよね?」と念を押された。


事務的な仕事の他に、段ボールに入れた商品や書類を台車に乗せて倉庫から出し入れする作業も毎日頻繁にあった。

作業中のO恵に「高価な婚約指輪をしていて大丈夫なの?私なら大事に保管しとくけどね。」と声をかける先輩もいた。


結局入社して2年目にO恵は会社を辞めた。


その後結婚準備を始めた彼女が、用事で会社に来た。


結婚式の招待状の準備をしている事、花嫁修業に専念している事、専業主婦になるつもりで、共稼ぎなんて考えて居ないとの事だった。


「あなたがだした結婚相手に求める条件て何だったの?」と聞いてみた。


「一流大学卒業!一流企業勤務で高収入!長男じゃない事!実家が遠いこと!私を実家に1週間に1度は帰らせる事!専業主婦をさせる事!」

が、彼女がだした条件だという。


そんな都合の良い相手なんているのかな?と思ったが、「探して貰ったら合う人がいたのよ。だから即決めたの。」と、O恵は得意気だった。


彼女は、一流企業に就職したわけでもない。だが、相手に望む条件はレベルが高いというその自信と現実的な考えは、私には無かった。


結婚に夢見る当時の未熟な私とは結婚観が違い、彼女の気持ちを理解できなかった。


私には、そこまで相手に望めるほどの自信も自分に無かった。

おそらく彼女の魅力と家柄とお互いに周囲の薦めもあっただろうし、お相手の方の人柄も良かったのだろう。

いざとなると現実はどうなんだろう。本当にうまくいくのだろうか。と他人事ながら心配だった。
  



     

新卒で入社してすぐに、同じ部署に配属された同期のO恵は結婚に成功した人だと思う。

彼女は勝ち組、私は負け組なのは明らか。

今になって、彼女に学んでも遅いが、O恵の結婚成功への道のりを自分の知っている範囲で振り返ってみる事にする。

入社後、担当の課は違ったので、O恵と一緒に仕事をすることはなかった。

制服の無い会社だったので、安い給料で一人暮らしの私は、通勤の服に苦労した。


会社は東京の一等地、駅前にあり、学生時代の服はとても着れるものではなかった。


O恵は、実家暮らしでゆとりがあり、羨ましかった。


ブランド品を使っていて、全く違う家庭環境で育った人という感じがして、一線を置いて接していた。


周りからは何かと比較されたが、お互い気にしなかった。
おっとりしたところもあるO恵の性格に助けられた。


入社して2年目、少しは仕事にも慣れてきて後輩も入り、これからと言う時期、O恵が突然「昨日、お見合いをしたの」と言ってきて、驚いた。

嬉しそうに社内で話すので、どんな相手なのかまで、皆に知れわたった。

 O恵は、お見合い相手の事を自分から皆に話した。

誇らしげで、嬉しそうに話すO恵の様子を見て、よっぽど気にいったんだろうと周りは思った。


(まだ相手の返事も貰っていないうちから公表して大丈夫かな)とは思ったが、「私の望む条件にあう人だったから、結婚するつもり」と即決していたのには驚いた。


それから2週間ほど過ぎた頃、O恵の指には大きなダイヤの指輪が輝いていた。


皆の前で手をかざして
「婚約しました!指輪もらったからはめてきました。」
と指輪を皆に見せていた。


お見合いから婚約までのスピードの速さに皆、唖然としていた。

「婚約って、この前お見合いしたばかりよね?お付き合いもろくにしないで決めて大丈夫なの?」

「お相手がどんな人かわかっているの?よっぽどの一目ぼれだったとか?」

などなど、先輩たちが質問責めをしていた。(良くお付き合いもしないで大丈夫なのかな。相性が悪かったらどうするのかな。好みとか彼女には無いのかしら…)などなど内心心配していた。

O恵は、何を言われてもニコニコしていた。

心配そうに聞いてくる先輩達に対して
「今までに3回会っているから大丈夫です。人柄?多分良い人だと思います。」
「私が希望した条件にぴったりあっていて、こんな素晴らしいご縁はないと思いました。」
と自信満々で答えていた。

「それより、高い婚約指輪を貰えたのが嬉しい。良い人だと確信しました。」

話を聞けば聞くほど、皆不思議な感覚を持っていた。


この時の皆の抱いた不安感が、後に当たる事になる。
     

S子は、子どもの時から、一時的に反抗しても結果はいつも父と兄の意見に従う娘だった。


受験校も、自分の行きたい学校は反対され、父親が決めたところに入った。面白くなくて、勉強を放棄し、心を病んだ時期もあった。
結婚も、結果的には親に押し切られて決めた。


成長するにつれ、お兄さんがS子の行動に口を出し始めた。


友人との約束も、「兄がいくなと言ったから」と言って断ったり、「兄が」「父が」が口癖のようになっていた。



そんな彼女に、友人たちが
「いい加減、たまには自分の意志で行動したら」と彼女に不満を言った事があったという。


すると、その日の夜、S子はある友人に電話をかける。

電話にでると、突然お父さんが「うちの娘にこんな事を言ったそうだね。うちのやり方に口をださないでほしい。」と言ったというのだ。

驚きと恐さで黙っていると、次にお兄さんがでてきて「わかった?妹に余計な事を言わないでね。妹が迷惑してるんだよ。」と更に念をおしたらしい。

そしてS子は、「そういうことだから。」と言って電話をきったのだ。

結婚しても何も変わっていないんだな…と私はその事を思い出していた。

実家から追い返されたS子は、仕方なく結婚生活を続けることにした。

もう帰る場所は無いと諦めて。

まだやり直しはできた年齢だったのに、子ども2人を、実家の協力もなく育てる自信が無かったのだろう。(そういう苦労を女性が負う世の中って、いつも納得がいかない。その弱い立場につけこむモラハラ夫が多いことも。)


それから今日まで、長い年月が過ぎた。


S子は、気持ちを切り替え、子どもさんの成長を生きがいに、頑張っているんだろうなと想像する。

ご主人は彼女よりずっと年上、今頃は老人みたいなものだろう。

今ではS子の方が強くなっているかもしれない?


年賀状の写真を見ると平和に過ごしているようだ。


何も知らない人が年賀状の家族写真を見ると、そんなゴタゴタがあったとは思わないだろう。


そう、上辺ではわからない。隣の芝生は青く見える。皆悩みを乗り越え、頑張っているんだ。


ポイント!☆幸せそうに見えても、実はどこのお宅もいろいろ闇を抱えていると思えてくる。ふさぎこんでも、文句言っても変わらないのなら、明るく生きた方が勝ちかもしれない。



 
 



 
     

S子は、離婚するつもりで実家に帰ってきた。

「もう旦那と一緒に暮す気は無い。このまま帰らないつもり」と彼女は話していた。

でも、なぜ今決心したの?と聞いてみた。


「実は母と旦那が大喧嘩して、こんな男とは別れなさい!と母が連れて帰ってきたような感じ。」

「母が用事で上京してきて、数日うちに泊まっていたの。旦那はそれが気に入らなかった様で、私にも母にも暴言ばかり吐いていた。流産の件もあって、もともと母は旦那を良く思ってなかったし。」


「母も最初は我慢していたんだけど、あまりに失礼な態度をとるから、最後は怒りが爆発したのよ。あなたみたいな人といたら娘と孫は不幸になるから、私が連れて帰ります!って怒鳴りつけて私たちを連れて帰ってきたってわけ。」


「その時旦那は、うるさい!好きにしろ!と、母に怒鳴ったのよ。信じられなかった。母にまで酷い態度をとった事、許せなかった。それで決心がついた。母が味方についてくれるなら、安心して実家に帰れると思ったの」

こんな風に守ってくれるお母さんがいるS子が羨ましかった。

 実家に帰ったものの、また次の困難が彼女を襲う。

お母さんが連れて帰った事で、心強かったはずだが、なんとお兄さんが「この家にお前のいる場所はない。帰れ。」と冷たい態度だったそうだ。

お母さんはお父さんと長男に責められた。


「どうやって娘親子3人をうちで世話できるというんだ。息子の孫の世話だけでも大変なのに、迷惑でしかない。部屋も無いし、結婚なんて我慢するのは当然だ。離婚は許さない。帰って旦那さんと一生添い遂げろ」
と、S子も叱られたのだ。


S子の兄さんは、自営業をしており、親が資金面も生活費も援助していた。年金生活の両親が兄さんに振り回されていたようで、目一杯のところに娘が子どもを連れて帰ってきたのだ。


確かに理解できなくもないのだが、当時DVなんていう言葉も認識もない時代、結婚したら我慢だ、どんな相手でも離婚は避けろという考えが強かった。


当時の彼女にとって、どれだけ冷酷な言葉だったろうか。


まだ、お母さんが味方だったから救われたようだが、結果、S子は、仕方なく旦那のところへ戻るしかなかった。


自分に言いたい事!☆もし自分の子どもが逃げ場の無い辛い立場になっていたら、一番の味方になる。
以前の「我慢するしかない。」はDVという観念が無かった時代にはきつかった。 


     

久し振りに帰省していたS子と会えた。

当時まだ小さい子どもさん2人と一緒に3人で帰省していた。

いつまでいるのか聞いたところ、

「いつまでいるか決めてないの。私家を出てきたの」

とS子が答えた。

「もう別れるつもり。もう限界。」と怒っている。

全ての事を聞いた訳ではないが、S子が一番許せなかったのは、出産に関してのご主人の態度だった。

「結婚してすぐに流産をしていた」と、この時初めて聞いた。

流産の気配があり、絶対安静と医師から注意されていたS子は入院したかったが、ご主人が反対し、家で安静に過ごす事にしていた。
が、ご主人が全く協力せず、家事は自分がやるしかなかった。

日曜日にご主人と過ごしていた夕方、突然出血があり、止まらなくなった。

「流産しそう!お腹が痛い!病院に連れていって!」とご主人に訴えるS子。

するとご主人は、動揺もせず、平然とこう言ったそうだ。

「はあ?俺の晩御飯は?作ってから行けよ」


 さあ、自分ならどうするか。
タクシー呼んで一人で病院に行っただろう。S子はそうではなかった。     

出血が止まらず、腹痛もひどい、このままでは流産してしまう!と危機感一杯のS子。

それなのに動揺もせず、「俺の晩御飯を作ってから病院に行け」と言い放ったご主人。

お腹をおさえながらS子は台所に立った。

(え~っ!そんなの無視してさっさと病院に行けばよかったのに)と思ったが、ご主人の付き添いなしでは病院に行けないと思った彼女は、急いで料理をしたのだそうだ。

ゆっくりとご飯を食べるご主人を待ちながら、不安と痛みに耐えるS子。

やっとの事で、ご主人とタクシーで病院へ。

到着と同時に出血が激しくなり、結果流産してしまった。

医師から「どうしてすぐに来なかったのですか」と言われたが、理由を言えるはずもなかった。

「あの時の旦那を許せない。今でもずっと。」というS子。

でも、それから2人の子供さんに恵まれて良かったね、という話になると、顔を曇らせた。

「子どもは可愛いし、産んで良かった。子どもだけが生きがい。子どもがいなかったらすぐに別れていたと思う。」
「実は、旦那を嫌いになっていたから、子どもは一人でいいと思っていたの。家庭内離婚状態になってたのよ。」
「ところが、DVを受けて…その後二人目ができたの。」

その二人目の子どもさんは、この時1歳になっていた。


 自分にも言いたかった事!☆私も似たような体験がある。自分の身体が一番大事。無理しないで出来ない時はできないときっぱり断ろう。
     

「そうこうしているうちに、しびれをきらした紹介者の親族が来て、今日はっきりさせろって迫ってきたの。」

「この人はいい人よ。いいわよね?」

と強い口調で言われ、黙っていたら「OKってことね?はいこれで決まりね。良かった良かった!」と押し切られ、その場一同から拍手、祝杯をあげる宴会まで始まったそうだ。

「やっぱりお断りします、と言うつもりだったのに、言えなくなって、もうその場で諦めたわ。もう私の人生どうでもいいやと思った。」と笑いながら話すS子。

ニコニコと作り笑いをして、自分を騙して生きる事にしたという。

「東京に行けるのだからいいや。東京に行くために決めた結婚なんだ。」と自分に言い聞かしたらしい。
「良い人そうだし、結婚したら案外正解だったと思えるかもしれないしと思ってみたけど、私は絶対あの人を好きになる可能性はないと思った。」のに、自分の気持ちに蓋をした。

ただ、お母さんは、彼女の味方だった。S子の気持ちを心配してこっそりと声をかけていた。

S子は、「大丈夫、心配しないで」とお母さんにも笑顔で答えたという

その後、S子から結婚式の招待状がきたが、遠方に住んでいた事と、運悪く自分の大事な用事と重なってしまい出席できなかった。

ご主人の顔は写真でしか知らない。

写真では、確かに彼女の好みではなさそうだが、真面目そうで堅実な人に見えた。

それから数年後、東京で彼女と会った。

その時の話では、ご主人は家族思いの優しい人のようだった。

ただ、年齢の割に独身時代の貯金が少なかったとか、給料を部下との付き合いで使ってしまうとかを愚痴っていた気がする。

でも、ちゃんと平穏に家庭を切り盛りしている様で幸せに見えた。

2人の子どもさんにも恵まれていた。


S子からの年賀状は、毎年家族写真が送ってくる。
それで様子を何となく知る事はできた。

私は夫と一緒に写った写真なんて絶対友人に送りたくない。どっちみち、家族写真なんてとる事が不可能だ。

家族写真を送れるって事は、ご主人とうまくいっているっていう事かなと私は勝手に想像していた。

東京で会ってから5年後、実家に帰省した際、連絡してみたら偶然彼女も帰省しており、会う事ができた。
この時のS子の話には驚いた。
 

感想!☆自分を騙してもいつかは苦しくなる。結婚は一生を決める大事な事。自分を大事にしよう。と、自分の反省。

 
     

「気が乗らないのに結婚するの?」と聞きながら、S子の揺れる気持ちがわからないでもなかった。結婚前は誰でも不安に成るものだから…と。


お見合いだったそうで、お相手はS子より10歳以上年上だった。

良い人なら年齢は関係ないし、大事にしてくれるのでは?と思ったが、彼女の話では、そんな感じの人ではないとのことだった。


「全く好みじゃないし、ただでさえ中年なのに、歳より老けて見えるし、収入も多くないし、断りたかったの。でも、私もこんな歳だし、”前科”があるし、親がうるさくてどうでも良くなったと言う感じ」


彼女のいう”前科”とは~

   S子は、25歳の時に、結婚したいと思う人がいて、ご両親に会わせた事がある。

   お父さんは、相手が気に入らず、猛反対した。
   理由は、親の直感で「こいつは詐欺師だ」と思ったからだそう。

   S子は、お父さんに反発。親子喧嘩。口もきかない日々が続いた。
   
   そんなある日、お父さんがS子に書類の束を見せた。
   「これでも結婚したいか?」と言われたそうだ。

   その書類は、探偵からの報告書だった。

   なんと彼氏は本当に詐欺師だった。

   借金が1千万、住所不定、結婚詐欺の前科があった。
   S子は騙されていた。


親の直感は凄い。娘を愛すればこそだ。何と素晴らしいお父さんだろう。

うちの自己愛男とは正反対だ。私の父もここまではできないだろう。その直感自体が無いかもしれない。


そんな事があったので、S子は、自分が男性を見る目がなく、騙されやすいのだと自信喪失になり、男性不信になった。


それ以降恋人を作る気力は無くなっていた。

S子の話は続く。


「お見合いした後、絶対断ろうって思ったのよ。嫌だって話したら父親に説教されてしまったの。いつまで一人でいる気だ。お前は男を見る目がない。親の勧める人と結婚すれば間違いないんだぞ。って。」

それだけではなく、この時、彼女のお兄さん夫婦も実家に同居していた。

お嫁さんへの配慮で、早く小姑の娘を家からだしたいという親の考えもあったようだ。


お見合い相手は、お父さんの親戚からの紹介で、素性もしっかりしていて安心だと太鼓判を押された人だった。


「この人を断ったら、お前は一生結婚できないぞ。紹介してもらえるのも最後だぞ。」と説得されたS子。

「生理的に受け付けられない感じで嫌だったのよ。でも、父の気持ちは理解できて、反抗できなかった。唯一魅力的だったのは、相手は東京在住だったこと。結婚したら東京にまた住める事だけが良かった。」

唯一の上京できるという事だけで、自分をごまかし、承諾せざるを得ない状況だったという。



 感想!☆親が反対するのは何か理由がある。親になって初めてわかる事もある。素直に意見に耳を傾ける事も必要。

結婚を決める時は、案外ばたばたと流されて半ばあきらめて決めてしまう人もいる。その時の色んな状況がそうさせてしまうのだろうが、勇気をだして一旦ストップする事も大事かもしれない。

     

気分は何となくまだすっきりしない毎日だが、気候が良い今のうちに片づけをしておこうと思っている。

夏は暑くて汗だくだし、冬は寒くて押し入れなどの整理なんてやってられない。

家の大掃除や片付けは、年末ではなく、気候の良い時にするのがベターと思う。

昨日から、少しづつ引き出しから整理している。

年賀状も古い物から現在まで大量にファイルが積もっている。

私みたいなおばさん年代でも、”年賀状を書かない事にします主義”の人が増えてきた。

親しい人ならメールやラインでやりとりするし。

私もできれば年賀状のやりとりはやめたいと思っている。

ただ、友人が北海道から沖縄まであちこちにいる為、疎遠だけど気になる人?は、年賀状は私にとって大事な連絡手段となる。

それ以外の義理だけのやりとりの人とは、お互いに辞めた方がよいかもと思っている。

やりとりを続けたい友人の中に、中学の同級生S子がいる。

最近の年賀状では、子どもさんも大きくなり、平穏な生活を過ごしている様な感じだ。

彼女も色々あったのだが、無事乗り切れた様だと安心した。


S子の結婚する時の様子を思い出す。

S子とは、高校から別々の道を歩んだが、縁はずっと続いている。

人生の大きな転機の度に会って、お互いの近況報告をする仲だった。

私は親友の一人と思っていたが、向こうはそう思っていないだろう。

私は自分の無神経な性格に気が付かず、これまで彼女に迷惑をかけてきたかもしれないなと今頃になって思う。

特に何があった訳でもないが、何となく…

よく、歳をとって性格が丸くなるとか言われるが、こういう事なのかな?

最近、これまでの自分の言動を思い起こすと恥ずかしくなる。

何て我儘だったのか。失礼だったのか、無神経だったのか、頑固だったのかときりがない。

若かったから~と言えば言い訳になる。


だから、今でも付き合ってくれる遠くにいる古い友人達は、よくこんな私と長い間仲良くしてくれたなあと感謝するこの頃。

話を戻そう。

大学時代は2人とも東京にいて、よく会っていたが、私はそのまま東京で就職し、彼女は実家に帰されてしまった。

まだ子どもが幼かった頃だ。

お盆休みに実家に帰省した時、S子に連絡した時の事を思い出す。

彼女に電話をしてみた。すると

「私、結婚するかもしれないんだ。気が乗らないんだけどね~」と憂鬱そうにS子が言った。



反省!☆若い時は気が付かなかった自分のいたらなさ、歳をとってから恥かしくなる。   

   ☆友人S子の結婚までのいきさつを思い出しながら、自分への教訓としたい。      
     

昨日は、知り合いの子供さんの運動会に呼ばれて、雲ひとつ無い青空の下、久しぶりに一日中太陽にあたってきた。


紫外線には要注意だけど、太陽の光には、人間を元気にしてくれる力がある。


疲れよりも爽快感が残った。
一生懸命走ったり、演舞する子供達をみていると、その純粋さに涙がでそうになった。


自分の子供たちの運動会は、父親不在だった。
夫は、おそらく小、中、高と一度も見たことはないだろう。


楽しみにしていたそぶりもなかったし、興味もなさそうだった。


当時は、私の親や知り合いの人が、わざわざ遠くから出てきて一緒に参加してくれた。賑やかに過ごせるようにと。

時には、私だけしか行けない時もあったが、いつも明るく、楽しくがモットーに過ごしていたので、それはそれで良い思い出にはなっている。


子供自身は、父親は仕事の都合で来られないと思っていたので、(別居する前から)気にしていなかっただろうが、一度もこないとなると、さすがに成長するにつれて、父親の冷たさに気が付いていたようだった。


運動会や、発表会は、親に見てもらいたくて、褒めてもらいたくて一生懸命練習する無邪気さを子供に感じる。だからこそ、見ていて涙がでる。

その晴れの日に、できるだけ親は参加して、例え失敗してもいっぱい褒めてあげたい、と思っていた。



仕事の都合や、家庭の事情で、どうして参加できない方もおられる。


いつも思う。皆が全て同じで当たり前では無い。でも学校とか世の中は、皆同じというのが前提で物事を決めていく。

昨日も、賑やかで楽しいお弁当の時間に、ふっと思った。誰も来られない子供さんがいるかもしれない。学校はどのようにその子供さんに対応しているのだろう。


誰か一人でも、親戚のおばさんでもいい、来てほしいよなあ。


そんな事を、昔からいつも思っている。


自分の子供が、夫からこんな目にあわされるとはまさか思ってもいなかった。他の事情のある家庭とは違い、出来る事をやらない自分勝手な父親であり、私はそれが腹がたつのだ。


運動会に行きたくても行けず、後ろめたい思いをされている親御さんがほとんどなのに、行ける時もわざと行けないように作為をする父親なんているのか、うちにはいるのだ。


夫は、子供の気持ちを想像できなかったのだろうか。


まだ、素直に後悔していたり、申し訳なさそうにしているならまだ救われるのに。


夫は、自分が傷つけた相手の気持ちを知っても、何にも感じない。ただ自分に不満を言ってくる嫌な奴と思うだけだ。その内容には心を向けない。

もし行動を改善するとすれば、相手を傷つけたという反省や後悔からではなく、自分に不満を言われるのが面倒臭いので、相手を黙らせる為である。



当時の自分が思っていた事☆親は子どもの気持ちを想像し、できるだけ明るく賑やかな家庭にしてあげたい。ひがんだり、すねたり、コンプレックスを持たせない様に、天真爛漫に育てたい。その為には自分がそうやってみせることだ。


 

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