りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

     

夜、さあ寝ようかなと思っていたら、母が叫んだ。
「あ。リンパ腫って書いてある」
「悪性って書いてある!」

え?何を見てるの?やばい!と思い、見てみると、封がしてあった病院の封筒を勝手に開けて見ていた。

そんな封筒をなぜ置いている?弟は何をしているのだ。

病名を書いている書類は弟がうまく隠したと聞いていた。封がしてあるから大丈夫と思って渡したらしい。

「これは開けたらだめなのよ。転院する時必要なのよ。」と怒ったら慌ててさっと封を閉じた。

なので私はその書類を見ていない。


綺麗にそっと開けていたので良かったが、自分あてのものと勘違いした様だ。


確かに封筒を見ると、○○様と母の名前が書いてある。自分あてだと思うはずだ。

下の方に、「転院する際はこれを病院にお渡しください」とある。そこまで読まずに開けたのだろう。


「悪性」という文字にショックを受けていた。癌という名前が無かっただけが救いだ。

悪性といっても、完治するタイプのもあるし、あまり関係ないのよと話しておいた。

医師は弟に「一番悪いタイプのもので、週単位で悪化するので緩和ケアをしますか」とまで話したらしい。嘘みたいだが、誤診では無かった。
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夜、寝付けなかった様だ。当然だろう。それにしても、こういう封筒は弟が持っててほしかった。

弟はいっさいそういうフォローはしない。もしその場に弟がいても黙っていただろう。その態度を見て更に母が不安になったに違いない。

それから色々私が病気の事を説明し、良い薬もあるし、不治の病ではないと淡々と言ったら、なあんだと元気になった。

身体は調子も良く、自覚症状が無いので尚更そうだよね、元気になるよねと思えるのだ。

ただ、1カ月で6キロも痩せた。その姿を見るとただならぬ病気という感じはする。

「年齢的にも、どっちみち先が短い、仕方ないよね」と母が言い、「私だって死ぬのよ。病気にならなくても、誰だっていつかは寿命がくるのよ。仕方の無い事よね。」と私が言う。

「老いたということね。当たり前の事ね。」と気持ちが落ち着いた母。

ああ、疲れた。それで、私は明日とりあえず帰宅することにした。

骨髄検査の結果がでたら、また来よう。

母も、私が段々イラついてきたのを感じ、「いったん、帰った方が良くない?」と言い出した。

自分の居場所の無い、実家。自分の部屋は物置、私の寝る場所も無く、茶の間のすみっこで寝る。
両親はきちんと寝室があり、自分たちの居場所を確保している。

2階に広いスペースがあるが、父が占領し、使わせてくれない。

実家は親の老化と共に変貌していく。

     

昨日は、PET検査と脊髄からの血液採取だった。

PETの結果は、午後に担当医から聞けた。
再発は見られず、手術をしたところに反応はあるものの、炎症かもしれないし、その部分は悪いところは取っているので、今すぐどうのということはないそうだ。

だが、病名は変わらず、厳しいことは確かだそう。

母と弟と私と一緒に説明された。病名に悪性は付けず、言葉を選んで話してくれた。

母は、入院したせいだろうが、耳が急に遠くなり、言葉を理解する力が急に弱くなっている。

頷いているが、全くわかっていない。

歯がゆいのは、弟の感覚がずれていること。

母のそういう変化に気が付かない。ただの性格だと流す。だから母のやり方に合せる家の手伝いは嫌なんだという。

そして、病名を母にどう伝えるかばかり気にする。


骨髄検査の結果は1週間後らしい。

その時、家族にこれからの治療の意向を聞かれるので、弟から私もいた方がいいと言われた。

帰宅を1週間延ばす?困った。
骨髄まで侵されていたらやばいことになるから、説明の時までいた方がいいのは確かだ。

母は、再発が無かったので、もう大丈夫と思っている。
「そうじゃない、まだ骨髄検査があるし、結果が悪ければ辛い治療があるかも。油断しないで。」と、少し真面目に言った。
そうしないと、母は、とんでもないことをするのだ。弟は、病名ばかり気にしている割に掃除もいっさい手伝わない。やるのは、買い物と病院の付き添いのみ。

母が家事をやればよいと思っている。もちろんできる事はさせないと、認知も進み、よくない。
だが、母は不衛生な事ばかりしたがり、面倒な料理はしたがらない。

人混みに出て行きたがる。白血病みたいなものなのに。

おそらく私がいなくなったら、母は料理が面倒だと言い出し、父に攻撃をむける。父に料理は無理だろう。やれることはやれるが、母の食事療法ができるわけない。

こうしている今も、弟の奥さんはすぐ近くの家で好きなことをして過ごしているらしい。

「お母さん、元気じゃないですかぁ」と母に会うたびに言うそうだ。
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それだけでもイラつくが、母から、ぽろっとでた言葉に、私はカチンときて、今すぐ帰ろうかと思った。

母が私に検査の日にそばにいてほしいと言ったのは、自分の気持ちではなく、弟の御機嫌を取る為だったそうだ。

いつも弟に付き添ってもらうのが申し訳ない。待ち時間が退屈で可哀想。自分のせいできつい思いをさせたくない。せめて待ち時間をたいくつさせずに過ごさせたい。その為に私を呼んだという。


何回もそれを言われた。弟のいない場所で。

弟自身は純粋に「いれくれて心強かったよ」とお礼を言ってくれたが。そんなのどうでもいい。

無神経な母の言葉、これまでもそうだったし、弟はこんなに気を使ってもらい、娘の私は誰もやりたがらない家事をしているだけ。その間、弟夫婦が安心してゆっくりできるから良かったわとまで母からいわれた。

つまり自分が助かるからという以前に、弟夫婦が家事をやらなくていい状態にしてあげたくて私を使っていると言うのだ。


私は、母に頼まれたからやっているのではない。
自分がやりたくて帰って来た。それを母が私に弟夫婦の為にやらせたという事になり、それを世間に言われ、最悪な時は、「娘は帰っていない。全部息子夫婦がやってくれた」という事を言ったりする。
認知症では無くて、息子を褒めたいが為に。

私には、娘も息子もいるが、その差別する気持ちは全く理解できない。

病気だから我慢できるが、そうでなければまた私は、ここで母を怒鳴りつけていただろう。

おそらく、私が帰ったあとに、わざとらしく弟夫婦がきて、母はお世話になって助かるわと二人にお金を大金を渡すはずだ。嫁はそれを平然と受け取り、行動に変化はない。

弟が、自分がコーヒーを飲みたくて、いれていると「あの子がコーヒーいれてる、可哀想に」と言う母。私にいれてやれと言う。は?私は何なんだ。この家で一番下の立場?と思ってしまう。

で、怒って帰るというパターンはずっと今までの事だった。


もうそんな事は無いかと思ったが、私の心の根深いものがふつふつと湧き上がってきてしまう。

弟にそんな話をして、私、もう帰るかもと伝えたら、あわてて実家に来たけれど、何もすることなく帰った。掃除機位かけてくれたら良いのにと思うが車をだすこと以外はやりたくないみたいだ。

母は、弟だけは守り、上手くいかないことは父のせいにし、弟の我儘は嫁のせいにする。でも、嫁には何も言わずご機嫌をとる。弟の為に。

やってられないわって感じ。というか、私はいつまでもいられない。

私にも仕事や生活がある。暇でお金のある人がいるんだからその人がやればいい。




     

昨夜は少し慌てた。

感染に気を付けて過ごすようにと病院に言われ、わかっていないのが母本人。

体調が何ともないので、動き回る。ちょっと目を離すと?普段開けない物置をあけて、埃まみれになっている。

注意しても、「すぐ終わるから」とマイペース。


言わないと、手も洗わない。昔の人だから雑菌には強かったのだろうが、今は違う。

風邪でも大変なことになる。

深刻な事は母は知らない。だからこっちも言葉を選んで注意する。

そうこうしていたら、シャワーを浴びようとした母が、私に「見て!」と言う。

下腹部の横側に、赤く腫れて化膿している傷があった。

手術前後につけていたチューブの跡が化膿したらしい。

母は、メスの傷跡ばかり気にしており、そんな小さい傷は放置していた。

普通なら、化膿とめの軟膏を塗って、様子を見てから病院に行くのだが、感染に弱い普通じゃない身体なので、私は焦った。

母は、平気で触ろうとする。ダメ!と言っても無意識に触る。そして「触ってない」と言う。


手を洗ってと言っても、なかなか洗わない。

土曜の夜遅い時間。でも、病院に電話をし、救急の窓口に相談すると、来てくださいとの返事。

弟に車をだしてもらい、病院へ。処置してもらい安心して帰宅した。

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これ位の事ですんだけど、これがもっと深刻な病状で、急変だったらもっと動揺したかもしれない。

母が最初、傷口を見て、「こんなところに注射跡があったっけ?できものかなあ」などと言い出すので
ついに皮膚に転移し、腫瘍が発生したかとどきっとしたのだ。

そうではなかった事がわかっただけで、救急で行った意味はあった。


明日はいよいよ、精密検査。これで、再発しているか、どこにあるか、抗がん剤をどうするか、ステージなど色々、わかってしまう。

本人は、じっとしていない。あれもこれもしなくては。
元気になったらやらなくちゃ。と張り切っている。

私の作る食事を美味しいと綺麗に食べている。快便で腸はすっかり良くなった様子。
本当に元気になっていくだけに見えるので、明日の結果が、誤診でしたと言われることを祈る。


     

その立場にならないとわからないとか、体験しないとわからないという事はいつも意識はしているつもり。

介護をする立場にならないとわからないという事も、わかっていたので、友人が毎週実家に通ってお世話を頑張っていた時や、亡くなった時も、よけいな事は言わず、ただ彼女の気持ちを受け止めるだけにしていた。


いくら、慰めようとか、励まそうとか思っても、相手にとっては余計なお世話だろう。
所詮他人事の立場から物を言ったところで、相手の立場になることはできない。

友人が疲れたり、鬱になった時に会いたいと連絡がくるから、それを待つ。そして馬鹿な話をして笑う。

それで良いと思った。

今回、その友人から誘いがあったが、今度は私が実家に通うことになり、その話をすると、何も余計な事は言わず、あっさりとわかってくれた。

もう一人の遠方の友人も長年、遠い実家に通い、介護を頑張った経験のある人。今はもうゆったりと生活している。

その遠方の友人は、古い付き合いで、近くにいてくれたらなと思える大好きな人だ。


でも、私はひねくれていると自分のことを今思う。

何故だろう。遠方の長く介護を頑張った友人の経験談をメールで読んだ時、不快感がしたのだ。

何故だか自分でもわからない。

自分もこんなに頑張って、親も姉も看取ったのだから、あなたはこれからよ。覚悟なさい。
みたいに言われた感覚がしたのだ。

彼女にそんなつもりは全くないと言うことはわかっている。


でも、これから頑張ろうと思っている私に、「自分はもっと頑張った。親が亡くなるまで大変よ」と言う表現をされるのは、どうなんだろう。


私の性格が歪んでいて、被害妄想なのはわかっている。自分だってこれまで無神経な言葉を使って誰かに失礼なことをしてきた事だろう。


今の私も母も、まだ希望を持っている。まだ危篤でもない。誤診ではないかと思うほど今はまだ悪化が見られない。急変はあるかもしれないが、希望を捨てていない。

そこへ、あなたもこうなるわよ、でも、私にはかなわないわね、あなたの頑張り何てたいしたことないわ。と言われた気がしたのだ。私の妄想だ。


だから、言葉には気を付けている。本人に悪気は全くない、むしろ善意、優しさからくる言葉。

なのに、相手を傷つけたり、不快にしたりするのだ。言葉は難しい。
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母から聞いたのだが、お見舞い客の中に、無神経な人がいたという。


腸の手術で絶食状態だと知っているのに、食べ物を沢山持ってきたり、「お腹を切って、大きなおなかは少しはひっこんだんじゃない?」と言ったりする人がいたそうだ。


私も、体調を崩した時、普段付き合いのない人から電話がきて、心配していると言いながら実はねずみ講の健康食品を売りつけてきた。


何かがあると、周りの人がどんな人か良く分かる。

かと言って、いちいち縁を切ろうとは思わない。自分だって無神経な事してきたかもしれない。

母が、注意しても、動き回る。今やらなくても良いことをする。あさって精密検査なのに。

掃除したばかりの部屋を次々と散らかしていく。

はあ~年寄りって、我儘だよね。わかっていたけど。

勝手な時に呼びつけ、次々と仕事をやらせる。やってもやっても片付かない。どんどん仕事を増やす。

無駄な動きに見えるが、本人はやらねばならないと思い込んでいる。

自分もいつかそうなるのだろうか。嫌だなあ。


     

「食べきれない。」と言われるほど、できるだけ栄養と消化の良さを考えて食事を作り食べてもらっている。

父も、固いものは苦手なので、むしろ食べやすくなり、良く食べてくれる様になった。
私がいるうちに少しでも太ってもらいたいものだ。

買い物は弟に車をだしてもらい、まとめて買うことにする。

嫁は全く存在感はないが、弟を通じて私に何かやらせようとしているようだ。

行動はせず、口だけはだしたいらしい。

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介護の事は少なくても弟たちより詳しいつもり。勉強してきた。

高齢者むけ料理は慣れている。頭にメニューがあり、食材を色々選んでいると弟が口をだしてくる。嫁がこうしろと言っていると。

これを作れと言っているから作れと。

は?なら自分で作りにきたらよいのに。退院当日も顔も見せず、余命宣告されている母が自分で家事をしていた。

すぐそばに住んでいても、一度も実家の台所にたったことがなく。母にご飯を作らせてきた夫婦。

まさかここまで徹底してやらないとは。

行動したくないなら、それでも良いが、口をだすのはあまりに失礼だろう。

弟も馬鹿だ。正直に言わなくてもいいのに。嫁が気にしてくれているとアピールしているつもりだろうが逆効果だ。

弟のいう事は聞き流し、好きにやっている。

それでも、私は永遠に実家にいれるわけじゃない。いない間、どうすんだろう。

おそらく、父が最悪な料理をつくって、母も衰弱してしまうのでは。

弟が何か買ってきて置いて帰るのが精一杯だろう。台所にどんなに洗い物があろうが、母が寝ていようが、ゴミだらけであろうが、何もしないで帰る。嫁さんは口で命令はするが、家にすら入らない。入ってしまうと、やらなきゃならなくなるからだろう。

でもさ、ずっと子どもを両親に預けて、休みも子どもをあづけたまま自分だけ遊びに行っていたよね。
いつもお客様で、母を家政婦扱いしてきたよね。それで、親が困った時は知らん顔できるのかなあ。
今の自分たちの優雅な生活は、両親の協力が無ければ絶対に成り立たなかったはず。

逆に私は、冷たく突き放された事が多かった。
こんなに息子と娘では、可愛さや待遇が違うのかと悲しかったよ。
で、こうなるわけ?


外出の時は、車をだしてくれ、付き添うのは本当に弟の存在は助かる。

でも、いくら病院に付き添っても、自宅でまともな生活ができなければ意味が無い。

最悪、私は帰宅できなくなるかもしれない。

東京にいる友人からメールがきた。

今実家にいる事を話すと、彼女は、10年前にお母さんの介護を続け、お姉さんも続けて亡くされたそうだ。私より頑張って大変な経験をしたんだなあと思う。
いつかゆっくり会って話したい友人の1人だ。

実家はうちよりかなり離れていて、行き来が大変だったそうだ。親を看取るという年齢になっているということを実感する。

うちは、両親が長生きで、世話をするのが遅いくらいだろう。

子どもの手が離れた頃で助かった。子どもに迷惑をかけずにきた親だと思う。迷惑をかけてきたのは私の方だったから。


それにしても、母が「日に日に快調になってるわ。病気が良くなっていくのがわかる」と言っている。
普通にご飯を食べ、禁じられても、我慢できず家の周りをウロウロしたり、家事をやろうとする。

本当に病気なの?嘘でしょとしか思えないのだ。

気のせいか、2日前に見た母の顔を今日の顔が違う。やつれていた顔が日に日に明るくなっている。


恐いのは、月曜だ。どうか転移していませんように。





     

駅に着くと、弟が迎えに来てくれた。

車の中で、これまでの医師の説明を話してくれるが、何回も聞いたことで、私の意志も伝えている。

さあどうするかと言われても、精密検査をうけてもないと何も決められない。
今気にしてもどうしょうもない。

そんなに心配ならもっと家の事やってよと言いたいのを堪えた。
言っても謝ってくるだけで、何もかわらず、お嫁さんには絶対意識をむけない。全て自分が悪いのだという方向にもっていかれ、何も解決しない。

おそらく夫婦の中で、悪いのは全て弟という事にいつも結論づけられるのだろう。

私が嫁さんに何かをいったところで、嫁さんは「すべてこの人が悪いんです」と言うだけ。

だから母も、何も言えない。もう期待しない。ただ黙って弟を支えてくれたらいいだけ。


弟に、迎えにこなくてもいいよと言ったが、「家にいても落ち込むから。外にでたいから」と言うのだ。なら、とお願いした。

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それより、母を見て痩せた姿に驚いた。

ついこの前まではそうじゃなかった。

お腹が痛くて食べられなかったし、入院してから1カ月絶食だったのだから、痩せる訳なのだが。

母は、「理想体重になったから良かった。」と喜んでいる。


確かに余計な脂肪がとれて身体は軽くなり「全然疲れを感じなくなった」と言う。


そして「後は検査が終われば薬をのむだけよね。」
「元気になったら、またあそこに行こう」「もう少しの我慢。すぐに元に戻る」「来年はこうしなくちゃ」など、明るい言葉がでてくる。

痩せて、以前よりは弱々しい感じはするが、まだまだ気力があり、しっかりしている。

本当に医師の言う通りなのだろうか。誤診じゃないのかな思えるほどだ。


自覚症状が無いだけで、じわじわと病気は悪化しているのかもしれないが、信じられない。


医師からは、退院して1~2週間目には、急変してもおかしくないと言われたそうだ。

絶対嘘だろう。

私が作った料理を美味しいと食べているし、快便だという。


どこも痛くもなんともなく、このまま回復するだけと、本人も周りもそうしか見えない。

誤診であってほしい。次の精密検査で、異常なしか、進行していないとか、何か良い結果を期待してしまう。

こんなに元気で、しっかりして、何ともないのに、抗がん剤を打ち、わざわざ副作用で弱らせる必要があるのだろうか、そしてその時、母が自分の病名を知ると一気に気力が失われる気がする。


今、母は、今のうちにと思っているのか、あれもこれもと仕事を頼んでくる。

暑いのと、ゆっくり休む場が無いのと一日中、料理を考え作っているので、疲労感が強い。

実家には自分の部屋が無い。以前の自分の部屋は物置になっている。

老人の悪いところがでてきて、家の中に物があふれている。

母は、いつも片付けないとと口うるさく掃除をしていると言うが、全然すっきりしていない。

ほっと休む場所が無いので、精神的に疲れる。

母の入院中は、母の部屋でゆっくりできたのだが。

ここで私が倒れる訳にはいかないので、何とかふんばるしかない。






     

朝早い新幹線で実家へ向かう。

行ったり来たりがこれから何回続くのだろう。


帰る実家がまだある事の大切さをしみじみと感じる。

玄関を開けた時の、両親の顔と声。いつまで見られるのだろう。


今日はまだ大丈夫。今まで通りの両親がいる。このままずっと消えないでほしいと願う。

何気ない日常の幸せ、学校帰りに家から漂う夕飯の臭い、犬の声、車の音、台所の家事の音。
永遠に続くと思っていた遠いあの日。
あれが幸せというものだった。

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自分の子ども達もいつか同じ気持ちになる日が来るのだろうな。なるべく長く変わらぬ平和な日常を守っていきたい。

平和は、突然無くなる。守っていく事は努力がいる。

私の実家の平和な情景が少しづつ、消えそうになっていく。
今のうちに両親とよく話をしておこう。

この続きはまた…




     

昨日、母から、「今日退院した」と連絡があった。

余命少ない重病とは思えない声だが、帰宅し、さっそく荒れた台所の消毒や片づけだけで疲れたようだ。

母は、弟と父に「せめて掃除機だけでもかけておいて」と頼んでいたのに、二人とも何もせず、病気の母にやらせるつもりだったわけだ。

弟は意地でも、実家で家事をしない。嫁は当然。二人でそう決めているのか。こんな時でも?
でも、今まで、母にさんざん世話になっただろう。それはいつ恩返しをするのか。

それとも、私にやれという事か。新幹線で何回も家事をしに毎日こいと?

午前中に退院だったので、まだ力の無い、食事制限のある母は、昼食に困ったようだ。
てっきり弟夫婦が協力すると思っていた。

感染予防で(白血病と同じだから)買い物に行けないし、食事療法もある。

母は、自分の食べる物がなく、弟に買い物は頼んだが、母の入院中の荷物も、買い物したものも、ぽんと置いたまま、さっさと帰ったらしい。お昼は嫁と食べるからと。後は勝手にやれと。

残されたのは、荒れた部屋にぽいと置かれた荷物と食材と、何もしない文句を言うだけの父だけ。

父は認知がでて頑固じいさんで、何もしないし冷たい。

母は1人で食パンを食べたという。父には、前日の残りものがあったのでそれをだしたとか。

私は、昨日帰省しようと思っていた。でも、弟が日程を遅らせるように連絡してきた。だからてっきり、退院の日は弟がちゃんとしてくれるのだと安心していた。

何が、辛いだ。悪性なのを隠すのが辛いだと?

そこまでいうなら、もっといたわれ。奥さんが反対しているの?せめて私が帰省するまで、ちょっと手伝ってもいいんじゃない。掃除くらいしても。

弟はショックで気が弱っていたのではなく、世話するのが嫌だったみたいだな。がっかり。まだ介護も何もしていないのに。

確かに疲れている事はわかる。

でも、せめて退院した日くらいは、手伝ってもらいたかった。

介護状態が進むのに、これからどうするつもりなのか。


ヘルパーさんを頼もうかと母が話すと、弟はそれも反対したそうだ。てっきり「僕たちがみるから大丈夫」ということかと期待していたが、違った。
何もする気が無いなら、口をだすなと言いたい。

入院前、腹痛で苦しむ母を、平然とみていた弟だったから、どこか人間として感覚が鈍っているんだろう。

母は父と弟夫婦へのストレスで寿命が短くなる気がしてきた。

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「そんな事なら、できるだけ早く行くよ」と私が言うと、母は太陽がさしたみたいに声が明るくなった。
泣きそうな感じで。助けてと言いたげな。重労働が待っている様だ。あれこれ仕事を溜めて待っている。弟がするべき力仕事まで。(それは納得がいかないから弟にやらせる。)
母は、そこは男女差別があり、弟には気を使う。
力仕事を男にやらせられない、娘にやらせると言うのだから。そんな育て方が今結果としてでている。

いくらなんでも、私は奴隷にはならない。最悪弟にキレて、途中で帰ってくるかもしれない。

弟夫婦は遊んでくらせる経済的余裕がある。自由で何の障害もない。
私は、苦しい生活があり、DV夫がいて、行き来するのは経済的にも苦しいのだが、そんな厳しい状況の私が動く事になる。夫が親に借金をし、迷惑をかけたので、私は罪滅ぼしの気持ちもあるのだ。

それよりも、人間として、家族として弱っている相手が助けを求めたら、救いたくなるものではないのだろうか。ましてや、甘やかされて、大事に大人になっても援助してくれた親に、感謝の気持ちはないのだろうか。

弟にとってはこれが精いっぱいなのかもしれない。なら陰で支えるだけでも奥さんにはしてほしいものだ。

私が弟夫婦の立場なら、どんなにか思いっきり世話ができたことだろう。

もし誰も他にいなければ、あの2人は親が寝込んでも知らん顔をするってことか。

私は予想した通りだったが、まさかここまで冷たくされるとはと母はショックを受けている。

弟の鈍さ、ダメさがうんざりする。母がそんな風に育てたから因果応報なのだろうが。

そのうち、自分の怒りが爆発しそうで怖い。母は、それでも、弟をかばい、悪いのはお嫁さんだから息子は良い子と言い続ける。確かにやりたい事しかしない弟だが、何もしないのではないから。

それでも、弟には騙された気分だ。



     

母から、毎日多い時は3回も電話がくる。

内容は、今日の食事の内容や便通のこと、医師のことなど。

じっとベッドにいても、不安が消えないのだろうし、元々お喋りで発散する人だから、誰かと話すだけで気がまぎれるのだ。

娘なら気兼ねなく、今までもかけていたんだし、良い相手なのだろう。

今こそ、私の出番。こういう時ならいつでも歓迎だ。若い時の母からの電話は苦痛な時が多かったが。

電話の声が、日に日に元の元気な母らしくなってきた。

ご飯も美味しく感じられ、どこも痛くなく、入院前に比べて体調が良く感じると言い始めた。


腸閉塞で腹痛をおこす前に、肩が痛い、背中が痛い。と言っていた。それが、手術をした後、嘘みたいに痛みが消え、手が背中に届くようになったという。

今年に入ってから、急に食欲が消えたと言い出した。食べると言う事に全く関心が無くなった。買い物も、料理も苦痛になったが、仕方なく作り無理やり押し込んでいる、私はどうなったんだろうかと訴えていた。

それも、手術をしてから、最近食事をとれる様になってきて、久し振りに美味しいと感じたというのだ。

意外な事が原因で、色んな症状がでるんだなあと、聞いてはいたが、こういうことなんだと感じた。

悪性腫瘍ができると、食べ物の好みがかわったり、味がかわってきたり、背中や腰の痛みがあったりする話は聞いたことがあった。


気になるのは「下腹の横がチクチクするけど、筋肉痛かな。お医者さんから痛み止めをあげましょうと言われた」と言っている事だ。

毎日院内を良く歩いているから、筋肉痛なら良いのだが。

腫瘍がどこか皮膚の中にできているんじゃないかとか、帯状疱疹ではないかとか、考えてしまう。
医師に任せるしかないが。次の精密検査で、それもはっきりすることだろう。
結果を聞くのが怖いが、今は何も考えないようにする。
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手術そのものは大成功だったようで、回復も良く明日退院だ。

「良かったね。悪いところを全部とってすっかり良くなったってことだね。」と言うと、母は嬉しそうには答えるが「でも、また検査をしないといけないんだよね」
といつもの話題になる。

「他にもできものができていないか、今のうちに徹底的に調べて、みつけたら薬で全部やっつけるのよ。最近の医学の進歩は凄いのよ。薬がよくきくんだって。」と話すと落ち着いてくる。
毎日同じ話の繰り返しなのだが、それが母の励みになっている気がする。

事実、悪性リンパ腫は、薬の効果が強く、完治する人が多い。

今の母の様子では、全くそんな病気とは思えない。弟は医師から聞いた話をどう解釈したのか、医師の言葉を私は直接聞いていないが、弟は、母はあと1カ月ももたないんじゃないかと思っているふうだ。

昨夜の母からの電話は「あの子が今日は疲れていた。元気が無かった。大丈夫かな。」と弟を心配していた。

全く、弟は何してんだと思ったが、嫁さんが支えてくれていないのは確かだろう。

弟に何気なくラインすると
「母に悪性だと言えないストレスがたまって疲れている。いつかは言わないといけないし」と言う。

毎日顔を見ていると、そうなのかもしれないが、もっと希望をもてないのか。

私が「私は、医師の言葉なんて信じていないよ。医師は最悪の事を言うものだよ。今の母なら気力もあるし、薬で抑えられると思う。先が短い年齢なら母らしく最期まで生活してもらいたいと思う」
「私たちが諦めていたら母に伝わるよ。希望をもっていれば、母も元気になる」
と伝えた。

弟嫁が原因で暗いのだとしたら、私にはどうしようもない。

嫁が原因で、鬱で入院した事のある弟だ。弱いのだ。

こんな時に、母に心配させることだけはやめてほしい。

これから検査の日まで、感染予防が大事だ。
母からも、「検査の日は不安だから来て。そばにいて」と頼まれた。

これまでは、弟がいるからあなたは来なくていいと言われ続けてきたが、こう言われたのは初めてで、びっくりした。
「私がいても何もかわらないでしょう。」と言ったが「いや、心強いわ。絶対に来て。」と強く言われた。

それにあわせて、また実家に帰って、家事を手伝いにいく。その間は弟も休めるだろう。家にいても休めないなら実家にくるだろう。弟の為にも帰るしかない。


これから行ったり来たりの生活になるが、自分がやりたい事をやっていく。


     

当然なことだが、母の不安は消えることなく毎日何だかの言葉で訴えて来る。

再検査をする事が怖くてしかたがないようだ。


腸の手術は大成功のようで、順調な回復。他に痛みも何もなく、このまま元の生活に戻れるはずだった。

母の気持ちを想像すると

”回復しているのに、また再検査?全身麻酔で?血液の病気?”

”もし検査の結果が悪ければ、そのまま入院になり、寝たきりになって2度と家に帰れないのでは”と恐怖で一杯の様だ。

私が、「そんな事は無いよ、薬の治療になると思うし、薬が良くきくみたいだから大丈夫よ」と言うと、ぱっと声が明るくなる。


だが、母にすれば、医師から直接話を聞いていない私が言うことは、「想像だろう。慰めているだけだろう」と思うらしい。

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母の話をきくと、どうも不安の原因は弟の態度のようだ。

弟が態度にだしているのかもしれない。”もうだめなんだ。どうしよう。隠して接しないと”という気持ちが行動にでているのかも。

弟に聞いてみるとどうもそんな風だ。だめかどうかを勝手に決めるなと言いたい。

しかも、たまに弟嫁が顔だけだして、
「お母さんは本当に元気な身体に生まれて着たんですね!元気ですね!」とだけ言って帰るという。
母が言うには、
”こんな状態の自分に「元気ね」と言うなんて、何を考えてるんだか。励まし方にしてももっと言いかたがあるだろう。元気だから私は何もしませんよと言いたいのかな、全く病人に共感する気持ちの無い人ね。”とまたストレスを増やしていた。


退院後、しばらくは食事に工夫が必要になる。感染予防も大事なので買い物など外出を控えないといけない。

私はできるだけ帰り、食事を作ったり世話をするつもりだが、限界がある。


弟夫婦は自由に動けて経済的な余裕もあり、近所にいて何の障害も無い。羨ましい環境だ。

でも、家事は一切手伝わない。弟嫁は台所に立ったこともない。いつもお客様ですわっているだけだった。
おそらく、全く世話をする気はないだろう。

弟嫁は、自分の親の介護も姉にさせいっさいやらず、他人事の様だった。

ましてや義親の世話なんてしないだろう。

実家を掃除機すら弟夫婦は一回もかけたことはない。どんなに汚れていても。

母が腹痛を訴え、危険な時も、弟は母に自分の夕飯を作らせていた。その間、嫁は旅行先で遊んでいた。母は、今頃、やっと娘が近くにいたらと思ったようだ。これまでの事を考えると何だか複雑。

夫と同じく、私の中で、弟嫁は家族から外した。いっそのこと今後いっさい顔を見せない方が母の為には良さそうだ。裏で弟に命令し、私にあれこれやらせようとしてくるかもしれないが、そうはいかないぞ。


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